三国志を読もう!8

平成の三国志小説 北方&宮城谷

私が小学生時代を過ごした昭和では、書籍(小説・漫画)による三国志文化が絶頂を窮めましたが、次の平成に入ると、新たなメディア、そう、テレビゲームによる三国志ブームが一気に花開きます。

人物や地理は史実どおりに。しかし、誰が天下を取るかはプレイヤーであるあなたの腕次第…。

そんな魅惑的なフレーズに釣られ、多くの三国志ファンがゲームショップに列を作りました。そして、彼らが実際にプレイすると、テレビの画面いっぱいに箱庭的中国大陸が広がり、おなじみの英雄知将が勢揃い。さらに設定は緻密かつシンプルで、イナゴの大量発生や疫病といったイベントもあるなど、完成度は想像以上。まるで自分が劉備や曹操にでもなったかのように縦横無尽に大陸を駆け巡りました。

他にも、わが国の戦国時代が舞台の「信長の野望」や、現代の兵器を駆使して戦う「大戦略」というゲームも発売されてしまったので(笑)、私なんか勉強そっちのけで随分とのめり込んだものです。おかげで成績はひどく落ち込み、社会だけは超得意科目になるというアンバランス状態になりました(笑)。

まあそれはさておき、当時は子どもから大人まで『三国志』ゲームに夢中になり、ある者は強い曹操で天下統一を目指し、ある者は道半ばで無念の死を遂げた劉備でプレイし、またある者は呂布や南蛮の孟獲、仙人華佗で覇を競い…。

まさに十人十色。史実や演義物語では叶わなかった、贔屓の武将に天下を取らせてやりたいという想いを、各々がプレイの中で果たすことができたのです。革命的な商品の登場であった、と言って良いでしょう。

そんな時代に、しかも吉川英治、柴田錬三郎、陳舜臣といった先人たちが偉大な足跡を遺したあとに、「三国志」の小説を書くというのは、相当困難を窮める作業なのは明らかであったはずです。

それでも、「三国志」をテーマにした小説は、平成に入ってからもたくさん書かれました。中でも代表的なのが、北方謙三と宮城谷昌光によるものです。

北方先生は、もともとハードボイルド作家として一世を風靡し、アウトローだらけで男くさい日陰の世界を、激しく美しく、しかも洗練された文章で書く、というのを得意とした作家さんです。

90年代になると、先生は今度は歴史小説を書くようになり、我が国の南北朝時代、それから中国を舞台にした歴史大作「水滸伝」に着手しますが、後者は完成まで足かけ約6年を要しました。完成度は非常に高く、この作品のおかげで先生はいまや国民作家の地位にまで登りつめた、と言っても過言ではありません。

北方「三国志」はその「水滸伝」の直前、1996年から1998年にわたって書かれています。こちらも大変な評判になりました。

内容は想像通りアツいです。それまでの作者が神の視点で俯瞰して人物を動かしていたのに対し、北方版ではそれぞれの英雄が悩み、苦しみ、そして生身の人間としての感情や欲望をむき出しにしています。

設定も従来のものと大いに違います。張飛は義理の塊、しかもクレヴァーで、苦悩する知識人のような風情があります。また、他作品では神さま扱いをされている諸葛亮も、頭はいいけど、小心のために悩み、苦しむ。まるでアダルトチルドレンのような人物像が設定されていて、とてもユニークです。

こういう展開であるなら、曹操と曹丕の親子は悩める覇王として美化されそうなものですが、北方先生はえげつないサディスト、権力とプライドの亡者として二人を描きます。ただ、演義のように設定としての類型的な悪玉ではなく、現実社会にもいそうな、病理の一端としてリアルに描いています。

孫権もリアルですね。まるで頑なに内向きな経営者のようです。彼が熱心なのは、呉の国の強固な安定のみ。そこに領土拡大の野心はありません。家臣はやきもきしますが、それこそ孫権という男のスタイル、として描かれています。

なお、北方先生はこの「三国志」を書くにあたり、演義の荒唐無稽な設定や人物の描き方は一切無視し、陳寿の正史を見つめ直して作り直しています。演義の世界観が好きな方には、あるいは重すぎるかもしれません。でも、等身大の英雄たちの心に共感できたりして、面白いことは間違いありません。

次は、現代屈指の歴史小説家、とりわけ古代中国を舞台とした作品で第一級の評価を受けている宮城谷昌光先生の「三国志」です。

宮城谷先生は、若い頃に我が国の漢字学の権威・白川静氏に弟子入りしたのをはじめ、有史以来の中国のあらゆる歴史文化を研究し、その成果をもとに優れた作品をこれまでたくさん発表してきました。

そんな先生が、2000年代に入ってから満を持して取り組んだ三国志。それはまさに、これまで誰も書いて来なかった、宮城谷先生ならではの世界観における三国志でした。

この作品はなんと、後漢時代の名臣・楊震(54-124)から始まります。楊震は有名な故事「天知る、地知る、我知る、汝知る」のエピソードを持つ人で、清廉潔白な人柄で知られています。しかし、その清さは災いに転じ、佞臣奸臣の讒言を受け、不遇のうちに自ら命を絶ちます。

宮城谷三国志は、こうした漢王朝の腐敗、これはのちに十常侍のような宦官の専横にもつながるのですが、そこにしっかり冷静な目を向け、この戦乱の時代の必然の糸みたいなものを手繰っていきます。

それにしても、劉備や曹操はなかなか登場しません。楊震の次に活躍する、曹操の祖父・曹騰も、まだ後漢中期の人物です。こうした部分をとってみても宮城谷三国志は慎重かつ念入りで、独特の書き方です。

さて、その曹騰ですが、彼は宦官でありながら忠義の人、かつ公正であり、正義感にも富んでいる。政治の荒廃を嘆き、どうにかして光明を見出そうと奮闘します。しかし、とうとう彼の存命中にその熱い願いは叶いませんでした。ただ、曹騰の代わりに希望を実らせた人物がいます。それは彼の孫、曹操でした…..。

何だか因果論みたいな流れで、正直、読むのにしんどい部分もあります。しかし、中国の思想にはこうした因果関係に物事の真理を求めるようなところがあり、例えば性善説や性悪説もそうでしょうし、司馬遷も「史記」の中で人物が栄えたり失脚したりするさまを何らかの因果関係の下に説明しようとします。

中国の多くの歴史書を現代風に、しかも原典の根底を崩さずに表現してきた宮城谷先生だからこその表現だと思います。

全10巻、読むのにこれほど骨の折れる現代の小説も珍しいと思いますが、それだけに、三国時代の「なぜ?」をある程度、理解できるようになる作品だと思います。

宮城谷先生の作品も長いですが、私の「三国志を読もう!」もずいぶん長くなりました。この辺でお開きにしたいと思います。

今後もいろいろなメディア、作品によって「三国志」はリメイクされるでしょうが、皆様どうか食わず嫌いをせず、さまざまな「三国志」を鑑賞する余裕というものを持ち続けて頂きたいと願います。