松本清張の徳川家康

徳川家康

この本の作者 松本清張
この本の成立年 1982年 刊
この本の巻数 1巻
入手のしやすさ ★★★★★
未成年推奨 ★★★★★
総合感銘度 ★★★★☆

昭和の文豪が書いた家康の生涯

あの松本清張が書いた、徳川家康の伝記です。しかも、児童向けに書かれています。

この本は、私が小学生の頃(と言いますからはるか昔です)にはすでにあって、他の講談社火の鳥文庫(織田信長やら源義経やらシューベルトあたり)に比べると、ちょっと難しい印象がありました。

それでも、すごく読み応えがあって、格調が高くて、中学生や高校生になっても何度も読み返したのを覚えています。

ところで、家康の生涯を徹底的に描いたものと言えば、これはもう誰が何と言おうと山岡荘八の「徳川家康(全26巻)」に指を折るわけですが、当作 は読むこと自体が大変です。途中挫折しかねませんし、根気強く読んでも相当の時間を要します。

それに比べると、この清張版は家康の生涯を簡潔にまとめ上げ、またその人となりを客観的に鮮やかに描いており、1冊の中に詰まっている内容は実に濃厚です。

自己犠牲に散った鳥居元忠の話なんて、とても感動的ですよ。

豊臣氏を亡ぼした悪印象から、家康の家臣は謀臣揃いのように思われがちですが、古参の元忠の覚悟と家康の悲痛な心境の絡み合いを描いたこのシーンは、徳川方だって決して安泰ではなく、命をもって大志を貫かなければならない過酷さをひしひしと伝えてくれます。

それに対して、天下統一後。家康がうまうまと舶来の天ぷらを食し、呆気なく亡くなってしまうラストは面白かった。このあたりは、清張らしいブラックユーモアを感じるような筆致で、さすがだなと思いました。

松本清張の作品と言えば、「鬼畜」とか「西郷札」、「小説帝銀事件」のようにほんと、面白くてしようがないものがたくさんあります。それらに比べると、児童向けのこの作品はあまり知られてこなかったのですが、大人の方もぜひ読んでほしいです。また、子供さんも家康の忍従する気概、冷静な知略といったものを読み取ってほしいと思います。

ちなみに、家康関係でひとこと。

東京の浜松町駅そばに増上寺というお寺があります。

ここは徳川家の菩提寺であり、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所が設けられています(家康は東照宮に祀られていますが、葬儀は増上寺で行われました)。

私も過去にここを訪れましたが、本堂がすごく広くて、裏に立派な墓所があり、また様々な資料が展示されているなど、みどころ満載でした。

 

 

 

 

写真をご覧のとおり、増上寺の隣にはスカイツリー以前、東京の高層建築のシンボルであった東京タワーがそびえ立っています。すなわちかつては、多くの人で賑わう有名スポットでした(といっても、今は人通りが閑散となったというわけではありません)。場所としては分かりやすく、羽田空港から終点・浜松町駅で降りればすぐのところにあるわけです。

江戸時代という泰平の時代を築き、統べた徳川家のことを知るには欠かせない場所です。

ぜひ、一度は訪れることをお勧めします。

泉鏡花 「高野聖」

高野聖(こうやひじり)

この本の作者 泉鏡花
この本の成立年 1900年 刊
この本の巻数 1巻
入手のしやすさ ★★★★☆
未成年推奨 ★★☆☆☆
総合感銘度 ★★★☆☆

 

 

 

泉鏡花と言いますと、絢爛たる近代文学史の一角を占める重要な作家ですが、私はこれまでロクに読んできませんでした。こんなエラそうなブログを立ち上げていても・・・、です。

最近になって、電子書籍(kindle)で昔の名作群がびっくりするほど安く読めるようになり、そうした流れの中でやっと泉鏡花全集を手に取った、というのが真相です。まあ、何だか申し訳ございません<(_ _)>

それにしても、この電子書籍版・泉鏡花全集、すごいですね!鏡花の188作品すべてが読めるのですから。

高野聖、歌行燈、婦系図、義血侠血、草迷宮、外科室、天主物語……。ほんと、宝の山と言って良いでしょう。

今日はそれらの中から、「高野聖」について書いてみたいと思います。

この作品は鏡花28歳の作。それまで尾崎紅葉(「金色夜叉の作者」)の書生であった鏡花が、一躍文壇から注目を浴びた出世作です。

あらすじはざっとこんな感じ(引用:Wikipedia)

若狭へ帰省する旅の車中で「私」は一人の中年の旅僧に出会い、越前から永平寺を訪ねる途中に敦賀に一泊するという旅僧と同行することとなった。旅僧の馴染みの宿に同宿した「私」は、夜の床で旅僧から不思議な怪奇譚を聞く。それはまだ旅僧(宗朝)が若い頃、行脚のため飛騨の山越えをしたときの体験談だった。……

旅僧・宗朝の話はざっとこんな感じ。(これはWikipediaではなく自分でまとめたもの)
宗朝は、信州・松本へ向う飛騨天生峠で、先を追い越した富山の薬売りの男が危険な旧道へ進んでいったため、これを追っていく。薬売りはひねた男で、決して同情に値するような男ではなかったが、それでも宗朝の僧としての帰依心なのか、あえて彼も旧道を進んでゆく。途中、自然の恐るべき脅威、グロテスクさに宗朝は恐れおののくが、何とか危機を脱し、漸く人里離れた孤家にたどり着く。そこには白痴の男と美しい女が住んでいた。

 

ここから先は読んでのお楽しみということにしておきますが、実に官能的な展開が待っています。しかし、そのものズバリという描写は出てきません。ひたすら女性の肉体的な妖しい美しさ、大いなる母性と魔性が鏡花のみごとな筆致で表現されていきます。

ちなみに、鏡花の文章は擬古文と型破りな口語表現(いやむしろスラングと言って良いでしょう。セリフに限らず、語りの部分にさえ出てきます)、そして世話物落語か歌舞伎のような美文が目まぐるしく交錯します。こんな文章を下手な素人が真似したら、とても読めたものではない拙文になるものを、鏡花は見事に破綻なく、一種の芸術作品のように仕上げているからすごいです。

例えば、宗朝が鬱蒼として妖気漂う森の奥深くに迷い込み、蛭に噛まれて錯乱するあたりはこっちまで具合が悪くなりますし、しがない旅僧の暮らしよりも女とともに享楽的に過ごしたいという欲求に支配されるあたりは、男性の心理を良く突いていると思います(口のくさい婆さんに渋茶を振舞ふるまわれるのが関の山、という表現は秀逸ですね笑)。

まあ「高野聖」は、内容についてはそれほど深くないです。鴎外とか漱石の小説みたいに、女の心理や僧侶の俗物ぶりなどを深読みしてあれこれ力説するのは野暮というものです。

それより、この怪奇な世界観、肌に空気が伝わるような卓抜した情景描写、そして文章の美しさに魅せられることこそ、泉鏡花を楽しむ醍醐味かと思われます。

ちなみに英訳もされています。このこった文章がどのように巧みに英訳されているかに触れることも、文学の楽しみの一つではないか、と私は勝手に考えております。