松本清張の徳川家康

徳川家康

この本の作者 松本清張
この本の成立年 1982年 刊
この本の巻数 1巻
入手のしやすさ ★★★★★
未成年推奨 ★★★★★
総合感銘度 ★★★★☆

昭和の文豪が書いた家康の生涯

あの松本清張が書いた、徳川家康の伝記です。しかも、児童向けに書かれています。

この本は、私が小学生の頃(と言いますからはるか昔です)にはすでにあって、他の講談社火の鳥文庫(織田信長やら源義経やらシューベルトあたり)に比べると、ちょっと難しい印象がありました。

それでも、すごく読み応えがあって、格調が高くて、中学生や高校生になっても何度も読み返したのを覚えています。

ところで、家康の生涯を徹底的に描いたものと言えば、これはもう誰が何と言おうと山岡荘八の「徳川家康(全26巻)」に指を折るわけですが、当作 は読むこと自体が大変です。途中挫折しかねませんし、根気強く読んでも相当の時間を要します。

それに比べると、この清張版は家康の生涯を簡潔にまとめ上げ、またその人となりを客観的に鮮やかに描いており、1冊の中に詰まっている内容は実に濃厚です。

自己犠牲に散った鳥居元忠の話なんて、とても感動的ですよ。

豊臣氏を亡ぼした悪印象から、家康の家臣は謀臣揃いのように思われがちですが、古参の元忠の覚悟と家康の悲痛な心境の絡み合いを描いたこのシーンは、徳川方だって決して安泰ではなく、命をもって大志を貫かなければならない過酷さをひしひしと伝えてくれます。

それに対して、天下統一後。家康がうまうまと舶来の天ぷらを食し、呆気なく亡くなってしまうラストは面白かった。このあたりは、清張らしいブラックユーモアを感じるような筆致で、さすがだなと思いました。

松本清張の作品と言えば、「鬼畜」とか「西郷札」、「小説帝銀事件」のようにほんと、面白くてしようがないものがたくさんあります。それらに比べると、児童向けのこの作品はあまり知られてこなかったのですが、大人の方もぜひ読んでほしいです。また、子供さんも家康の忍従する気概、冷静な知略といったものを読み取ってほしいと思います。

ちなみに、家康関係でひとこと。

東京の浜松町駅そばに増上寺というお寺があります。

ここは徳川家の菩提寺であり、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所が設けられています(家康は東照宮に祀られていますが、葬儀は増上寺で行われました)。

私も過去にここを訪れましたが、本堂がすごく広くて、裏に立派な墓所があり、また様々な資料が展示されているなど、みどころ満載でした。

 

 

 

 

写真をご覧のとおり、増上寺の隣にはスカイツリー以前、東京の高層建築のシンボルであった東京タワーがそびえ立っています。すなわちかつては、多くの人で賑わう有名スポットでした(といっても、今は人通りが閑散となったというわけではありません)。場所としては分かりやすく、羽田空港から終点・浜松町駅で降りればすぐのところにあるわけです。

江戸時代という泰平の時代を築き、統べた徳川家のことを知るには欠かせない場所です。

ぜひ、一度は訪れることをお勧めします。

泉鏡花 「高野聖」

高野聖(こうやひじり)

この本の作者 泉鏡花
この本の成立年 1900年 刊
この本の巻数 1巻
入手のしやすさ ★★★★☆
未成年推奨 ★★☆☆☆
総合感銘度 ★★★☆☆

 

 

 

泉鏡花と言いますと、絢爛たる近代文学史の一角を占める重要な作家ですが、私はこれまでロクに読んできませんでした。こんなエラそうなブログを立ち上げていても・・・、です。

最近になって、電子書籍(kindle)で昔の名作群がびっくりするほど安く読めるようになり、そうした流れの中でやっと泉鏡花全集を手に取った、というのが真相です。まあ、何だか申し訳ございません<(_ _)>

それにしても、この電子書籍版・泉鏡花全集、すごいですね!鏡花の188作品すべてが読めるのですから。

高野聖、歌行燈、婦系図、義血侠血、草迷宮、外科室、天主物語……。ほんと、宝の山と言って良いでしょう。

今日はそれらの中から、「高野聖」について書いてみたいと思います。

この作品は鏡花28歳の作。それまで尾崎紅葉(「金色夜叉の作者」)の書生であった鏡花が、一躍文壇から注目を浴びた出世作です。

あらすじはざっとこんな感じ(引用:Wikipedia)

若狭へ帰省する旅の車中で「私」は一人の中年の旅僧に出会い、越前から永平寺を訪ねる途中に敦賀に一泊するという旅僧と同行することとなった。旅僧の馴染みの宿に同宿した「私」は、夜の床で旅僧から不思議な怪奇譚を聞く。それはまだ旅僧(宗朝)が若い頃、行脚のため飛騨の山越えをしたときの体験談だった。……

旅僧・宗朝の話はざっとこんな感じ。(これはWikipediaではなく自分でまとめたもの)
宗朝は、信州・松本へ向う飛騨天生峠で、先を追い越した富山の薬売りの男が危険な旧道へ進んでいったため、これを追っていく。薬売りはひねた男で、決して同情に値するような男ではなかったが、それでも宗朝の僧としての帰依心なのか、あえて彼も旧道を進んでゆく。途中、自然の恐るべき脅威、グロテスクさに宗朝は恐れおののくが、何とか危機を脱し、漸く人里離れた孤家にたどり着く。そこには白痴の男と美しい女が住んでいた。

 

ここから先は読んでのお楽しみということにしておきますが、実に官能的な展開が待っています。しかし、そのものズバリという描写は出てきません。ひたすら女性の肉体的な妖しい美しさ、大いなる母性と魔性が鏡花のみごとな筆致で表現されていきます。

ちなみに、鏡花の文章は擬古文と型破りな口語表現(いやむしろスラングと言って良いでしょう。セリフに限らず、語りの部分にさえ出てきます)、そして世話物落語か歌舞伎のような美文が目まぐるしく交錯します。こんな文章を下手な素人が真似したら、とても読めたものではない拙文になるものを、鏡花は見事に破綻なく、一種の芸術作品のように仕上げているからすごいです。

例えば、宗朝が鬱蒼として妖気漂う森の奥深くに迷い込み、蛭に噛まれて錯乱するあたりはこっちまで具合が悪くなりますし、しがない旅僧の暮らしよりも女とともに享楽的に過ごしたいという欲求に支配されるあたりは、男性の心理を良く突いていると思います(口のくさい婆さんに渋茶を振舞ふるまわれるのが関の山、という表現は秀逸ですね笑)。

まあ「高野聖」は、内容についてはそれほど深くないです。鴎外とか漱石の小説みたいに、女の心理や僧侶の俗物ぶりなどを深読みしてあれこれ力説するのは野暮というものです。

それより、この怪奇な世界観、肌に空気が伝わるような卓抜した情景描写、そして文章の美しさに魅せられることこそ、泉鏡花を楽しむ醍醐味かと思われます。

ちなみに英訳もされています。このこった文章がどのように巧みに英訳されているかに触れることも、文学の楽しみの一つではないか、と私は勝手に考えております。

 

 

 

実際に伊勢うどんを作ってみました!

◁関連ページ 神宮参詣と伊勢うどん をまずはご覧ください

自宅で手軽に作ってみました

 

以前の投稿で「伊勢うどん」について取り上げましたが、実は現地まで行かなくても、通販を利用することで自宅でもこの「伊勢うどん」を手軽に食することが出来るんですね。

というわけで、さっそくAmazonから購入してみました!

西村商店さんという会社の商品です。そもそもはお醤油の会社で、創業は何と1684年(貞亨元年)。徳川綱吉の治世と言えば、どれだけ歴史が古いかお分かりになられるかと思います。

ホームページを拝見すると、本当に頑張っている中小企業さんという感じ。

商品もたくさんありますし、ISOの取得などにも取り組まれ、会社一丸となった血のにじむような努力が伝わってきます。

さて、その西村さんの醤油ですが、天然醸造にこだわっていて、長期間の熟成を経ることにより、まろやかでコクと風味がとても豊か。種類も豊富ですが、大別すると、一般の醤油とたまり醤油の2種類があって、特に後者は西村さんの大ヒット商品と言えるでしょう。

たまり醤油というのは、東海地方で好んで使われている醤油で、大豆のみで作られます。やや甘い感じがするのですけど、関西とか九州の醤油の甘さとは違う。キレのいい味わいですね。

トップの写真の伊勢うどんにも、西村さん自慢のタレ(たまり醤油ベース)が入っていて、これがまた美味いんです。

この伊勢うどんのタレは、たまり醤油に毎朝削った鰹節と新鮮な煮干からとった天然だしを加えたもので、すごくうま味が強いのは想像して頂けるのではないかと思います。

さて、前置きが長くなりましたが、さっそくこの伊勢うどんを作ってみましょう。

まず、お鍋にたっぷりとお湯を沸かします。麺を茹でるだけなので、鍋は一つで結構です。

沸騰し始めたら、真空パックしてあるうどんを取り出し、茹ででください。

麺は粘りが強いので、フィルムに粘りつくかもしれません、ご注意を。

茹でている最中は、箸でほぐしたりする必要はありません。かえって麺の形が崩れる恐れがあります。

3分ほど茹でていると、しぜんに麺が離れてきて、水面に浮きあがってきます。それが取り出し時です。

あらかじめ用意しておいたザルに麺をこぼして、さっと湯切りします。

その作業と並行して、どんぶり鉢と、まあこれはお好みですが生卵や野菜を用意します。

今回私は、みつばを適当に切って、レンジで短時間チンし、付け合わせることにしました。

最後に、伊勢うどんの美味さの神髄、特製タレをかけて出来上がり。

おとものビールを用意して(笑)、いただきまーす。

これが本当に美味しいです。

おかげ参りで現地で食した伊勢うどんに非常に近い味です。

麺はモチモチ。風味豊かなたれのうま味。シャキシャキの三つ葉とタレがこれまたよく合います。

あとビールもですね(笑)。

ご家庭で簡単に楽しめる「伊勢うどん」。ぜひお試しあれ~。

 

神宮参詣と伊勢うどん

カミュ 「異邦人」

異邦人

この本の作者 アルベール・カミュ
この本の成立年 1942年 刊
この本の巻数 1巻
入手のしやすさ ★★★★★
未成年推奨 ★★★★☆
総合感銘度 ★★★★☆

 

 

 

「一生のうちに一度は読んでおけ!」

 

そう言われる本は、それこそ世の中にごまんとあるわけですが、アルベール・カミュ(Albert Camus、1913年11月7日 – 1960年1月4日)が書いた「異邦人」こそは、まさにそうした「一生のうちに絶対に読んでおくべき本」です。

「異邦人」と言いますと、我々オールド世代には久保田早紀さんの名曲が思い浮かびますが、全く関係ありません(笑)。ただ、あの曲に漂う虚無的な感じというか、「不条理」を想起させる雰囲気は、どことなくカミュの「異邦人」と被る部分があり、曲のタイトルを命名したプロデューサー、酒井政利さんのセンスに脱帽してしまいます。

小説の方に話を戻しましょう。

カミュは、第一次世界大戦前夜の1913年、当時フランス領のアルジェリアで産声をあげました。生後すぐに父が戦死したため、母と兄の3人で母の実家に身を寄せ、貧しい暮らしを送りますが、そんな状況でもカミュは、幼少期から優秀な成績をおさめ、またサッカーに情熱を注いだことで仲間にも恵まれ、経済的な苦しさはあったものの、常に周囲から一目を置かれる存在となります。その後、奨学金とアルバイトで進学の道を拓いた彼は、ついに名門アルジェ大学に入学します。

ところが、第2次世界大戦が勃発し、カミュを取り巻く環境は日に日に悪くなります。大学を出たカミュは、雑誌の仕事にありつきますが、不正の糾弾や平和主義を謳う記事を書きまくったために当局の癇に障り、会社を解雇されてしまいます。それでも主張は曲げなかったと言いますから、向こう気が強かったのかもしれません。

そんな受難の記者時代、大戦の真っただ中に「異邦人」は書かれました。

主人公はムルソーという男です。

彼はどんなことにも斜に構えた無感動な態度を取り、相手が期待するような「情」のある言動は一切しません。

ストーリーは、「きょう、ママンが死んだ。」という有名なセリフ(訳語)で始まります。

 

(以下、ネタバレです。)

ムルソーは母親が死んでも涙を見せず、母の年齢も知らず、死に顔を見ようともせず、門衛とタバコ吸って雑談する。明くる日、ムルソーは同僚のマリーと海水浴をし、映画を見、一晩を共にする。

隣人にレエモンという男がいた。女たらしだが、真っ直ぐなところがあり、ムルソーともなぜか打ち解ける。しかし、女性に暴力を振るって、警察沙汰を起こしてしまった。ムルソーは、レエモンをかばう証言をする。

そのうち、出入りの増えたマリーから、愛だの結婚だのを求められる。ムルソーは突っぱねた。それは彼が女たらしなのではなく、結婚に否定的なわけでもなく、ただ単に必要性を感じなかったからだ。

ある日、レエモンが暴行した女のさしがね(?)で、アラビア人がムルソーらを襲撃しに来た。一度は難を逃れるが、ムルソーが一人でいる時、ナイフを持った刺客が現れた。ムルソーはレエモンから渡されたピストルで刺客を撃った。とどめの4発も撃ち込んだ。。。

ムルソーは取り調べや裁判を受ける。状況の緊迫性や正当防衛などは一切考慮されない。ムルソーのこれまでの無感動、世間ずれした言動に注目が集まり、事件に因果付けられる。それでもムルソーはびくともしない。周囲は焦れながらも、一種のサディスティックな群集心理により、決まった結末へとムルソーを落とし込むことに快楽的になっていく。

「この数年来はじめてのことだったが、私は泣きたいというばかげた気持ちになった。それは、これらのひとたちにどれほど自分が憎まれているかを感じたからだった。」

マリーとレエモンが弁護するも、ムルソーに下った審判は斬首刑だった。彼は上訴しなかった。

死刑の直前、司祭が現れる。罪やら神の赦しなどを説く司祭にムルソーは激昂する。

その時が来た。

「一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。」

 

何とも胸の詰まるようなラストです。この作品は、とかく不条理とかムルソーの精神病理などがクローズアップされるため、深読みされすぎる傾向があるのですが、社会の恐ろしい一面を突いた、非常にリアリティの高い作品と言えるのではないでしょうか?フランツ・カフカの「変身」とどことなく共通するものを感じます。

小説とは関係ない世界ですが、現代日本だって「空気を読む」という言葉が普通に使われるように、非常に同調圧力の強い社会です。反対意見をぶち上げてヒステリックに論陣を張れる御仁なら良いのですが、ムルソーのように社会の暗黙のルールや「常識」を信じられず、しかしそれに牙を剥くこともしない人たちは、村八分で潰されてしまいます。

そんな社会の暗部に私たちは日ごろから傍観者であり続け、時には強者側だったりします。この小説を読んで「あっ」と思った方は私だけではないはずです。それだけ、カミュは社会に潜む悪意を見抜いていたと言えます。

あと、この作品の有名なセリフは、殺人の動機「太陽が眩しかったから」ですが、私はムルソーが司祭に掴みかかった時の恐ろしい剣幕の方に衝撃を覚えました。それはアンチ・キリストとかではなくて、神の言葉という錦の御旗を掲げ「常識」を押し付けようとする社会の傲慢さに対する、カミュの怒りなのかもしれません。

21世紀を越え、ネット社会が当たり前になった今、「異邦人」はどう読まれるのか?大変興味深いテーマだと思います。

 

 

創業宝暦10年 名店玉ひでを訪問

東京文豪巡りの前に名物・親子丼を食す

 

文豪の足跡を巡る東京の旅は大変楽しいですが、道中に美味い店を探すこともまた旅の醍醐味です。

私は大食漢なうえにグルメ好きなので、これまでも東京の数多の飲食店を訪問してきました。

印象深いお店はたくさんありましたが、中でも2016年に訪れた東京・人形町にある鳥料理の名店「玉ひで」は、噂に違わぬ名店でした。

このお店の何がすごいかって、まず創業が古い。何と宝暦10年!西暦で言いますと1760年!この年に目立った事件は起きていませんが、翌々年の1762年にルソーが「社会契約論」を発刊したと言いますから、随分な昔です。

そもそもこの「玉ひで」、創業者で御鷹匠でもあった山田鐡右衛門(てつえもん)が「玉鐡」という名前で軍鶏料理屋を開いたのが始まり。当時の常連は大名であったり、富裕層であったりと、庶民相手のお店ではなかったようですが、江戸の名店番付に載るほどの名声を保ち続けていました。

明治に入って山田秀吉が5代目を継承。「玉鑯の秀さん」という愛称がいつの間にか「玉ひで」の店名として定着し、大変な繁盛をしたそうです。さらに、秀吉とその妻が手がけた親子丼がヒットして全国にその名を知られるようになり、今日では多くの東京観光ガイドに紹介されるほどになりました。

個人的には、「玉ひで」の親子丼は一生に一度は食べておきたいご馳走だと思います。それに出世したら、鳥すきコースなんていってみたいですね~、ぜひとも(笑)。

さて、そんな名店の「玉ひで」ですが、どうやって行けばよいのか?

いつものように私の勝手なルートどりでご紹介したいと思います。

このお店は、東京の人形町というところにあります。下町情緒が今も残る静かな町です。

遠方から人形町までのアクセスは、

【飛行機】 羽田空港ターミナル → (東京モノレール)浜松町駅 → (山手線)新橋駅

【新幹線】 東京駅・品川駅 → (山手線)新橋駅

そして新橋駅から、都営浅草線・京成高砂行に乗り、4駅で人形町駅に着きます。

ちなみに、オトクな航空機・新幹線のチケットサイトを載せておきますので、参考までに。

 

人形町駅に着きましたら、A2出口を出てください。出てすぐのところに「玉ひで」はあります。

 

親子丼の美味さをしっかり堪能

この「玉ひで」随一の人気メニューは「親子丼」です。

これを食するため、平日であっても店の前には大行列が並びます。

実際私が食べに行った日もそうだったのですが、他人様が写らないように相当苦労して写真を撮りました(笑)。

実は、親子丼の発祥の地は、ここ「玉ひで」であった、という説があります。これはWikipediaにもあります。

 

発祥に関しては諸説あるが、1891年頃、日本橋人形町にある軍鶏料理専門店玉ひででは、鳥寿㐂(軍鶏鍋鳥鍋)を食べる客の一部に、鍋の〆として卵でとじてご飯にのせて食べる客がいた。「親子煮」と呼ばれていたこの食べ方を、食べやすいように予め飯にかけて提供するよう客は注文するも、同店五代目店主の妻、山田とくは「汁かけ飯を店で出したら店の格が落ちる」としてこれを固辞していたが、結局、出前専用の料理として提供されるようになったこの料理が親子丼の起源とする説がある[4]。 昭和54年(1979年)までは店内では提供せずに出前のみのメニューとしていたが、旧魚河岸の人々に人気となっていき、七代目耕路の代で店でも提供されるようになった[4][5]。 当時の親子丼は、割り下で鶏肉だけを煮て卵とじにしたもので、玉ねぎやみつば等の材料は使われていなかった。また、開発された当時は生卵を供する習慣がなかったため、1954年頃までは完熟状態で提供されていた[4]。【出典:Wikipedia 親子丼 歴史】

 

私は親子丼大好きなので、もう「玉ひで」サマサマです。

行列なんてなんのその。1時間半待って、いよいよ店内に入ります。

このお店の特徴であるのですが、一人でも多くのお客さんに料理を楽しんでもらおうという考えから、基本、相席のシステムを取っています。私が入店した際も、全然知らない人同士、4人掛けの席に座りました。ここだけは、ちょっと苦手な方がいらっしゃるかもしれませんね。

しかし、獲物を前にした私にそんなものはどうってことありません。元祖親子丼1500円をオーダー。

最初に鶏スープが出てきました。綺麗な金色のスープ。

お味はあっさりしていて、上質の脂質が舌を包みます。調味料が加わっていない、天然のスープという感じです。

続いて、いよっ、真打。親子丼が出て参りました。

何とも期待感を膨らませるような美しい金色のお椀です。

では、開けますよ。

素晴らしい。

トロトロの玉子にみりんの風味が栄え、またその中に歯ごたえ最高な肉質の軍鶏がいらっしゃいます。さすが、代々受け継がれてきた伝統の味です。舌で肉を転がしながらしっかりと味わい、後味もすっきり、腹持ちもちょうどいい感じでごちそうさまをいたしました。

やはり軍鶏はうまいですね。鶏肉も大好きですが、食感が一回り上質という感じがします。

これだけのご馳走なだけに、何だか江戸時代の食通、長谷川平蔵にでもなった気分。

 

あっ、そうそう。平蔵で思い出した。池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」に頻繁に出て来る軍鶏料理屋「五鉄」。鬼平や手下たちが馴染みにしていたあのお店です。あれって、この「玉ひで」がモデルだとか。池波先生自体、大変な食通で知られているので、おそらく「玉ひで」も行きつけだったのかもしれません。

私のように文豪巡りだけでなく、ちょっと東京観光という方は、行列待ちだけ留意され、ぜひ伝統の軍鶏料理、親子丼を体験してみてください。

 

鳥料理 玉ひで
鳥料理 玉ひで
ジャンル:鳥料理
アクセス:地下鉄日比谷線人形町駅 徒歩1分
住所:〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町1-17-10(地図
姉妹店:ワンチャン タイレストラン  | 江戸路 人形町本店
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情報掲載日:2017年6月17日

吉川英治「宮本武蔵」

戦前に大衆が争って読んだ大衆文学の傑作

宮本武蔵

この本の作者 吉川 英治 1892年~1962年
この本の成立年 1935.8~1939.7 朝日新聞に連載
この本の巻数 全7巻 新潮文庫
入手のしやすさ 未成年推奨 総合感銘度
★★★★★ ★★★★☆ ★★★★☆

 

この作品は、今日の宮本武蔵像を決定付けたような作品です。

ストイックで常に孤独。数々の受難に遭いながらも努力と不屈の精神で成長し、ついに日本第一の剣豪に上り詰めた人。

佐々木小次郎との巌流島の決闘ではわざと遅参して小次郎を焦らし、向こうが真剣で来たらこちらは木刀で挑み、しかも一撃で倒してしまった人…。

そうした「ヒーローの中のヒーロー」みたいな武蔵像を日本人に定着させたのが、この吉川版「宮本武蔵」なわけです。

この作品が連載された昭和10年から14年は、戦前日本最後の輝きと言いますか、世相がだんだんキナ臭くなってくる一方で、文化面ではプロ野球が本格的にスタートしたり、劇場が隆盛を迎えたり、芥川賞・直木賞の選考が始まったりと、大変賑やかな時代でした。

そのような時代にあって、庶民の最大の娯楽であった新聞小説に、当時すでに高名であった吉川英治による「宮本武蔵」が登場したわけですから、庶民は大喜び。しかも、良い意味で期待を裏切る「等身大の武蔵」の手に汗握る成長記という斬新な筋立てがウケに受け、朝、新聞が来るのをまだかまだかと待ったり、新聞を取っていない人が会社で我先にと争奪戦を繰り広げたりと、それはそれはすごい人気ぶりだったようです。

現代ではこういう現象はまず起きにくいですが、私が小学生だった昭和後期は、少年ジャンプの「聖闘士星矢」や「キン肉マン」の続きを待ち焦がれるガキンチョで溢れていました(私もそうでした)ので、その雰囲気は分かります。

まあこのように、空前のブームを巻き起こした吉川武蔵ですが、戦後も幅広く読まれ、何度も映画化され、最近では井上雄彦さんの「バカボンド」という大ヒット漫画の原作になったり、2003年には大河ドラマ化されたりと、発表後、半世紀を過ぎてもその人気は衰えることを知りません。それだけに影響力も強く、吉川武蔵が宮本武蔵の実像として日本人の心に刻み付けられてきた感があります。

ところが一方で、実はこの小説の中身は史実とかなり違っていることが最近の研究で分かってきています。

そもそも武蔵は巌流島の決闘に遅参していないし、佐々木小次郎も一撃で死んではいない。しかも、まだ息のあった小次郎にとどめを刺したのは隠れていた武蔵の弟子たちで、それに怒った小次郎の門弟たちの復讐を恐れた武蔵は、門司城の城代に助けを求め、豊後国(大分県)まで逃げたという、少々情けないエピソードまで伝わっています。

また、昔の映画でよく見られた小次郎のあの桃太郎みたいな恰好。あれも吉川氏の完全なる創作です。それどころか、小次郎の実際の年齢は60代であったという説もあり、そうなると、宮本武蔵の物語は我々の知る話と全く違うものになりかねません。

とはいえ、私はそうした創作尽くめの吉川武蔵を今さら非難しようという気はないです。「たけぞう」という悪童が剣士として生きる道に目覚め、恋人のお通、悪役のお杉、又八、朱美との数奇な縁にもがきながら、強敵たちと戦い続け、人として成長していく物語。そこで史実はどうこうと語るのは野暮というものでしょう。むしろ小説の醍醐味を心ゆくまで楽しむほうがはるかに有意義だと思います。

又八が悪さをするたびに歯ぎしりをし、お通が足手まといになるたびに「何やってんだ!」と苦い思いをし、吉岡一門や宍戸梅軒との息詰まる死闘には血沸き肉踊り、ラストの小次郎との戦いでは静けさの海に沈んでいくような寂しさを覚える。非常に起伏が激しくて、ドラマティック。全7巻もあるので読むのに覚悟は要りますが、できれば中学生くらいの思春期の子に読んでほしいです。人生とは何か、自分の日々の生活に甘えがないか?大いに考えさせられ、きっと自身の成長の糧になると思います。

最後に余談を少々。

この作品は何度も映画化されていると書きましたが、中でも個人的に推しなのは、昭和の名優・中村錦之助主演による1960年代の東映作品です。昔、テレビで全5部作が一挙放映され、テレビにかじりついて見たのを思い出します。

中村錦之助は「子連れ狼」でも有名ですが、あの雷のように激しい声と眼光の鋭さ。とにかくカッコイイ。今でも最高の武蔵だと思っています。少々古いですが、この映画もお勧めですよ。

神宮参詣と伊勢うどん

江戸時代に大流行した伊勢神宮への参詣!

伊勢神宮と言いますと、戦前の近代社格制度で日本の神社の最高峰とされた、まさに別格の神社です。

何しろ内宮に天照大御神を、外宮に衣食住の守り神である豊受大御神をお祀りしています。日本人としては長い人生において一度はお詣りしたい場所であります。

ところで、伊勢神宮への庶民の参詣の歴史はそこまで古くはなく、本格的に盛んになったのは江戸時代以降と言われています。徳川家康によって天下統一が成され、泰平の世が訪れると、庶民もゆとりを求めるようになり、街道が整備されたことも相まって、多くの人たちが伊勢神宮に押し寄せたそうです。宝永2年にはなんと330万人が参詣。これは当時の日本の総人口の10パーセントを越えていますから、ものすごい数です。

ところで、ここで疑問を持たれる方も多いと思います。江戸時代と言えば、「入鉄砲と出女」の言葉に象徴されるように、各国間の往来は非常に厳しく制限されていたはずです。どうやって、庶民が伊勢まではるばる旅行ができたのか?

実は当時、神宮参詣目的の通行手形さえあれば、庶民の移動は大目に見られていたそうです。また、商家でも奉公人がお伊勢詣りに行きたいと言ったら、拒否してはならない、という不文律があったと言いますから、伊勢神宮に対する畏敬というものがどれだけ世間に浸透していたかが分かります。

 

おなじみ「膝栗毛」も伊勢参詣がテーマ

さて、お伊勢参りで有名な文学作品と言いますと、そんな江戸時代に書かれた「東海道中膝栗毛」が筆頭でしょう。

おなじみ弥次さん喜多さんがお伊勢詣りの道中で様々な滑稽な騒ぎを起こす痛快なストーリーです。

古典文学の傑作に数えられながら、この作品、書いてあることが良い意味で本当にくだらないです(笑)。林家木久扇師匠の笑点での回答や、志村けんさんのコントに通ずるものがあります。しかし、これを書いた十返舎一九はとても気難しい人であった、と伝わっていますから、分からないものです。

ところで、弥次喜多がなぜ伊勢参詣に踏み切ったかと言いますと、二人はそれまでの人生がたいへん不遇で、その厄を払う目的で旅に出た、という設定になっています。すなわち、伊勢詣りで厄を払う感覚が、すでに江戸の庶民の心中にあった、ということです。しかも、その道中はかつての修験僧のように艱難辛苦を経て、というものではなく、お上の免罪符を巧く活用しながら、実際は観光を楽しんでいた、と言いますから、300万人の大移動が起こったのも理解できます(笑)。

そのような参詣のスタイルは、今日、多くの日本人に継承されていますが(もちろん、純粋な神道への畏敬、日本史の源流への興味、氏子活動など数多の自由で参詣する方がおられることも付言しておきます)、厳粛な参拝のみならず、観光資源としての「おかげ横丁」の登場以降、より「旅行としての愉しさ」の側面が強くなりつつあるような気がします。

伊勢神宮 おかげ横丁についてはこちらをご覧下さい

 

おかげ横丁で名物・伊勢うどんを食す

ちなみに私は、2014年に初めて伊勢神宮を訪れました。目的は厄入りです。

まあ、そんな年になってしまったんですね(;^_^A

外宮・内宮を参拝した詳細な記録はここでは紙面が足りませんので、また別の機会に書きますが、ここでは浮世感まるだし、私もハマった「おかげ横丁」の魅力について、書いてみたいと思います。

さて、おかげ横丁にびっしりと立ち並ぶお店には、各々自慢の伊勢志摩の素晴らしい逸品が取り揃っています。

名物・赤福。時雨。団子。地酒。手ごね寿司。松坂牛。伊勢うどん。

中でも衝撃だったのは、個人的には伊勢うどんですね。

寶来亭さんというお店がありまして、そこで頼んだ「てこね寿司・伊勢うどんセット1,400円」。

ここには他に松阪牛セットもあり、そちらも異次元の美味さなのですが、やはり上のセットがレアに感じられたので、早速食してみたわけです。

結論は( *´艸`)ウマ~でした。

てこね寿司は、まぐろと生姜、深みのある醤油がふんわり炊き上がったご飯にしっかり絡んで、当然ですが、美味しかったです。ありきたりのまぐろ丼とは全然違って、やはり醤油が決め手なのかな?と思いました。

そして真打・伊勢うどん。

めちゃ麺が柔らかいです。そして、かなり温かい。

で、ご覧のとおり、ネギがちょちょっと乗っかっているだけで、出汁はなし。かわりに濃厚な醤油がかかっています。

とはいえ、よく見かける釜揚げうどんとは全くの別物です。麺の柔らかさも、乳麺とか細うどんみたいなんじゃなくて、非常にモチモチしたもの。よくレビューサイトに「伊勢うどんはコシがない」と書かれてあるので誤解されがちですが、極太と言っていい太さともっちりした食感で、むしろしっかりした食べ応えがあります。

また、温度もぬるくもなく熱くもなくで、これがまた食欲を助長します。てこね寿司と合いますね(笑)。

さらに、たまり醤油に鰹節やいりこ、昆布等の出汁を加えたタレも絶品で、一見辛そうに見えるのですが、ほんのり甘みもあって、これがまた癖になります。

讃岐や五島うどんのファンには好まれないなんて断定的に書かれてあるサイトもあるのが残念ですが、ぜひ食わず嫌いではなくて、お伊勢参りの際には食していただきたいですね。

ちなみに、最近は全国的にインターネット販売網が拡大しているので、ご当地でしか食べられなかった伊勢うどんでさえ、通販で簡単に買うことができます。

食べてみたいけどお伊勢様まではとても行けそうにないという方。また、先ほどの讃岐・五島ファンのように、物は試しで食べてみたい方。そんなに高額でもありませんので、ぜひチャレンジしてみてください。

台東区立一葉記念館(東京台東区)訪問記(3)

才媛・一葉の生きた証を知る

★台東区立一葉記念館(東京台東区)訪問記(1) はこちら

☆台東区立一葉記念館(東京台東区)訪問記(2) はこちら

まずは、一葉記念館の中に入ってみましょう。

趣のある建物の外装を楽しみながら中に入りますと、すぐ正面に受付があります。

さっと入場券を貰って、写真撮影についてスタッフの方に質問しますと、紹介パネルなどが中心となった1階はOK。それ以上の階はNGということでした。

パネルでは、一葉の生涯についての大まかな年表の他、樋口家の歴史についても紹介されています。

さらに、長谷川清・画伯による、一葉女史宅の雪の朝という絵も飾られていて、龍泉寺で商いをしながら、雪の冷たさにも負けない一葉の強さが伝わってくるような印象を受けました。

さて、2階にあがると、何やらイベントが・・・。

【一葉と錦絵~歌川派の絵師 楊州周延が描いた「別れ霜」挿絵と錦絵の世界~】

ここに名を連ねる楊州周延(ようしゅう ちかのぶ)は、天保9(1838)に生まれ、大正元(1912)年に歿した、江戸末期から明治にかけて活躍した浮世絵師です。

天保年間と言いますと、歴史の教科書に出て来るほど有名な「天保の改革」が行われ、また、大塩平八郎の乱が起きたりもしています。江戸時代の長い繁栄が経済を中心に綻びを見せ始め、不穏な空気が漂い始めた頃と言って良いでしょう。

周延はこのような動乱の時代に生れ落ち、幕末の喧騒からご一新、文明開化、急激に変わりゆく街の様子などをしっかり目に焼き付けながら、日本が大国ロシアに勝利した明治末期まで浮世絵を書き続けたという人で、その衰えぬエネルギーには思わず敬服してしまいます。

周延の作品には有名なものがたくさんありますが、江戸時代の浮世絵よりも、明治時代に量産した錦絵の方が現代では多く知られているかもしれません。下の「征韓論之図」など、きっとご存知の方は少なくないと思います。

さて、その周延と一葉に何の関係があるのか?という疑問ですが、一葉は明治25年4月5日から18日にかけて、改新新聞に「別れ霜」という作品を〝浅香ぬま子〟のペンネームで連載しており、その時の挿絵を担当したのが周延でした。

「別れ霜」は、ある若い男女が親の身勝手で仲を引き裂かれ、男の方が零落するも後日、女と運命的な再会をし、結果的にはふたりとも非業の死を遂げるという、日本版ロミオとジュリエットと言いますか、文楽的な香りも濃厚にする佳作です。

会場には、別れ霜のストーリーを複数のシーンに分け、丁寧な解説パネルとともに、周延の迫力ある絵と一葉の美文を刻み付けた当時の改新新聞がところ狭しと展示されていました。

それにしても、いくら小説とはいえ、何ともひどい親と周囲の人たちですね。今どきこんなことをやったら、子供たちから告訴されるかもしれません(笑)。でも、昔の日本って、本当にこういう感じだったのかもしれませんね。ある意味、人間らしいと言いますか……。

とにかく面白い催しでした。感情移入するほど一葉の世界に入り込めて、有意義でした😅。

そんなこんなで特別展の会場を出ますと、向かい側には常設展が…。それにしても、実にコンテンツが充実した記念館ですね。来た甲斐があります。

そちらには、若き一葉が才能を炸裂させた歌塾「萩の舎」時代の史料。商売をやっていた頃の着物。そして傑作「たけくらべ」の自筆原稿が展示されていました。

私は以前から、一葉は紫式部よろしく、真っ白な巻物に作品を書きつけていたと思い込んでいたのですが、普通に現代と変わらぬ原稿用紙を使用していたんですね。ただし、かなりの達筆。さすが才女です。

ちなみに、この「たけくらべ」の原稿は、台東区文化ガイドブックホームページでも見ることができます。

さて、最後は3階ですが、こちらは「一葉のその後」を辿るテーマ付けがされています。

一葉は24歳で肺結核により、その短い生涯を終えました。

その後、大橋乙羽という人の手で「一葉全集」が出版されますが、一葉の友人で作家の斎藤緑雨がさらに厳密な校訂版を刊行し、今日我々が一葉を正しい形で読める土台を整えてくれました。ちなみに緑雨は生前、大変気難しい人物と言われていましたが、恋愛抜きで、一葉の良き友、良き相談相手であったそうです。さらに余談ですが、緑雨は「ギヨエテとは おれのことかと ゲーテ云ひ」という不滅の川柳を遺したことでも有名です。

記念館には当然、この一葉全集が展示されています。そして、最後は5千円札で展示が終わります。

何だか時間が経つのを忘れてしまうくらい楽しく、充実したひとときでした。

さて、一葉記念館は、2017年6月現在で、営業時間が9時~16時。最終入館は16時になっています。
定休日は月曜日ですが、祝日の場合は翌日。 年末年始と特別整理期間等もお休みになりますので、サイトやお電話で確認された方が良いと思います。
なお、入館料は大人が 300円、小学生・中学生・高校生が100円となり、さらに20名以上の団体となれば割引がかかります(障害者手帳提示者およびその介護者は無料)。非常に良心的な価格で嬉しいです。

お土産も充実しており、楽しいこと請け合いの一葉記念館。遠方の方のみならず、東京近郊の方でまだ行かれたことがない方はぜひ、来館されることをお勧めします。

 

◁(前ページ)台東区立一葉記念館(東京台東区)訪問記(2)

台東区立一葉記念館(東京台東区)訪問記(2)

台東区立一葉記念館(東京台東区)訪問記(1)のつづきです。まずは交通アクセスから確認しましょう!

樋口一葉の息遣いを感じるまちかどの記念館

 

吉川英治記念館が英治の疎開と再出発の地・青梅二俣尾にあり、太宰治文学サロンが太宰の終焉の地となった三鷹にあるとするならば、樋口一葉の生涯を照らした一葉記念館は、彼女の代表作「たけくらべ」の舞台となった龍泉寺町にあります。

この龍泉寺町は、一葉の人生とも大変ゆかりの深い場所です。

一葉は、元々裕福な家の出ですが、父の事業の失敗と急逝により家運が傾き、結果、若い彼女が一家の生活を背負わなければならなくなります。それでも、彼女は腹を括ってこの地で荒物・雑貨と駄菓子を売る店を始めたといいますから、たいしたものです。

戦後、龍泉寺町の人々が中心となって一葉を顕彰しようという機運が高まり、昭和36年、ついに台東区が動いて一葉記念館の完成に漕ぎつけました。館は、地下1階、地上3階という大変立派なものです。

 

ただし、この一葉記念館は大変アクセスが難しい場所にあります。

ちょうど周辺には浅草があったり東京国立博物館があったりするのですが、徒歩圏内というには遠すぎます。

また、都内の方ならば、それほど分かりにくいことはないと思いますが、他県から訪問される方は下調べ必至です。

というわけで、いつものように管理人の老婆心により、一葉記念館へのアクセス方法を掲載させて頂きます。

まず、東京から遠距離の方は、下記のサイトにてお安い航空券を検索してみてください。

お手頃な航空券が見つかりましたら、羽田空港へGO!です。

 

 

東京羽田空港に着きましたら、まずは空港内で腹ごしらえ。

このページでショップを調べ、東京の美味しいグルメをご堪能ください。

そこで、ゆっくりテーブルにかけて、羽田空港から一葉記念館のある東京メトロ・三ノ輪駅までの道のりを、定番ヤフー路線で調べるとよい、と思います。

きっと「げっ※★◇▼(;゚Д゚)」となることでしょう(笑)。私もそうでした。

複雑な乗り換え、徒歩ルートまでガチャガチャと表示されて、すっかり行く気が失せてしまいます。

なぜこうなるのかは分かりませんが、個人的には次のルートで大丈夫なので、こちらをお勧めします。

まず、羽田空港から東京モノレールで終点・浜松町駅まで行ってください。

浜松町駅からは山手線に乗り換え、内回り/東京・上野方面に乗車して、有名な秋葉原駅で下車します。

(東京近郊の方や新幹線で東京駅に来られた方も、ここからは同じ行程になります。)

秋葉原駅はご存知の通りオタクの聖地として知られ、メイド喫茶やら電気街やらいろいろな観光スポット(?)がありますが、駅前にどでかいヨドバシカメラがあり、ここでちょっと時間をつぶすのも悪くないかもしれません。

次に地下鉄・東京メトロに乗り換えます。

東京メトロの秋葉原駅は、かなり分かりにくいのですが、JR駅からヨドバシカメラを右手に見ながら飲食店街のような通路を抜けた先にあります。

偶然見つけたのですが、youtubeに〝ぽんでやす〟さんという方が、とても分かりやすい秋葉原駅への道案内動画をアップされていて、こちらを参考にされるのがベストだと思います。

JR秋葉原駅電気街口から東京メトロ日比谷線秋葉原駅への行き方

秋葉原駅からは、東京メトロ日比谷線・南(or北)千住行に乗り、三ノ輪という駅で降りてください。

上の1bという出口を登て地上に出ます。あとは道なり(国際通り方面)に真っ直ぐ歩いてください。

※一葉記念館ホームページにPDFの記事がありますので、参考までに載せておきますね。

しばらく歩くと、道の左側に竜泉町界隈の案内板を見つけることができます。これで現在地が確認できます。

右手に一葉記念館の案内看板が出てきました。ゴールは近いです!

さらにまっすぐ進むと、左に曲がるよう指示する看板に突き当たります。いよいよ近くです。

三ノ輪駅から15分から20分で目的地に到着しました。

 

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台東区立一葉記念館(東京台東区)訪問記(1)

悲運の文豪 一葉の足跡をたどる

 

我々にとって大変なじみ深い作家である樋口一葉。

で、なぜなじみ深いかと言えば、日頃見慣れた5千円札の肖像に使われているからです(-ω-;)ウーン

本当は彼女の書き残した偉大な作品群によってポピュラーであってほしいわけですが(;^_^A

まあ、こんなことを書きますと…

いやいや、お前が見当違いしているだけで、一葉はその作品によってじゅうぶん知られているよ!

そんなお叱りの言葉を受けそうです。

しかし、一葉の作品ってそこまで読まれていますかねえ?

たしかに一葉には、「たけくらべ」という、日本人なら誰でも知っている決定的名作があります。

でも、その「たけくらべ」のストーリーをスラスラ語れる人って一体どれくらいいらっしゃるでしょうか?

ましてや「大つごもり」あたりになると、何人の方がそのあらすじを答えられるでしょうか?

私の勝手な推論ですが、一葉の作品というのは、まだまだ読まれていないような気がします。

作品の本当の真価が大衆にはまだ、完全には理解されていないような気もするのです。

すなわち、21世紀になった今こそ再評価を受けるべき作家ではないか。そう思えるのです。

 

ところで、わたしが一葉の作品に対して感じている魅力。

それは、どこか玲瓏な美しさを漂わせるタイトルや、擬古文の流麗さを駆使した繊細な文章。そして、教義的な面がなく、やや非日常的な設定をしておきながら、人間の心の底に潜む素直な感情を生き生きと描き、それを社会の無常によって完膚なきまでに叩きのめすリアリティです。

儚い。切ない。もう本当に繊細で、この世界観の魅力にハマってしまったらなかなか抜け出せないと思います。

最近、電子書籍で一葉の全作品が簡単に読めるようにより、何気に即買いしたのですが(とはいえ、何と200円!)、擬古文独特の難解な文章に躓きはしたものの、頑張って読み続け、結果、寝ても覚めてもという状態です。

「たけくらべ」「大つごもり」「にごりえ」「うもれ木」「十三夜」。メジャーどころはどれもその名声にたがわない素晴らしさ。それから、「別れ霜」や「うつせみ」「暁月夜」といったややマイナーな作品も非常に魅力的なお話です。

一葉の魅力にすっかり憑りつかれた私は、彼女のことをもっと知るべく、吉川英治・太宰治に続いて、東京の一葉記念館も訪ねることにしました。

 

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