三国志を読もう!5

三国志の奥の院 正史の世界

今回からいよいよ、三国志の原点である「正史」を採り上げます。

「正史」は、中国・晋代の官僚・陳寿(233-297年)によって著されました。

陳寿は、代々歴史家の家系であった司馬遷や、名門の生まれで歴史書を著した尊属を持つ班固や范曄と異なり、中流の士族家庭の出身、と言われています。

よく語られるのは、蜀の武将・陳式の孫であるという説ですが、それは陳寿の伝を載せる「晋書」には見られません。ただ、どうも父親は有名な蜀の将軍・馬謖が街亭の戦いで大敗を喫し、諸葛亮から死罪を申し渡された(例の“泣いて馬謖を斬る”)際に、部下として連座させられた人であったようです。

そういう状況ですから、幼い頃の陳寿は父の受けた屈辱を晴らすため、必死に勉強に打ち込みました。そして、そんな陳寿に学問を仕込んだのが、譙周という人です。

なんとなく聞いたことがある名前ではありませんか?そう、三国志演義の大団円、落日の蜀に魏の大軍が押し寄せた際、進退窮まった皇帝・劉禅に降伏を薦めた人物です。

譙周は、大変な苦学の末に蜀に仕官した人で、諸葛亮存命中はパッとしませんでしたが、丞相没後は姜維の北伐を諫めたり、劉禅の放蕩に苦言を呈したりと、いわゆる御意見番としてのポジションを確立し、有能ぶりを発揮しました。

蜀の降伏を主張したことこそ、後世からぼろくそに叩かれていますが、劉禅に君主たる覚悟が薄く、朝廷では宦官が専横し、軍隊も姜維の強硬論により疲弊がひどく、民衆が苦しんでいる状況から鑑みて、彼なりに腹を決めたうえでの進言だったのでしょう。私はかなり近代的な思想を持った人物だと評価しています。

ともかく、こういう人に陳寿は師事しました。ところが、彼は学業こそ優秀だったものの、世事に疎く、世渡りがヘタであったため、蜀が存在する間はまったく就職できない、世間からは軽蔑される、という不遇に身を置きます。

見兼ねた友人が蜀を滅ぼした晋に陳寿を推挙し、彼はようやく才能を発揮できる場に恵まれます。ちょっと意外なエピソードですね。

働き口を得た陳寿は、まず地方史を編纂する仕事にとりかかります。そこで実績を積み、頭角を現した彼は多忙な仕事の傍ら、自分なりに前時代、すなわち三国時代の興亡史を後世に伝えようと、筆を執ります。それこそ、後世に大きな影響を与えた名著、『三国志』なのでした。

周囲からは、そのあまりに素晴らしい出来栄えに、「晋書はこの本の後に続けるべきであろうな」とまで評されますが、陳寿が生きている間、晋は勅撰のお墨付きを与えず、「三国志」は長らく私撰の扱いにとどまります。

ただ、「三国志」の評価は陳寿の死後いっそう高まり、約150年後の東晋の時代には裴松之という人が勅命により「注」を付け、唐の太宗(626年即位)の時代にはついに「正史」の認定を受けます。

最終的には清の乾隆帝の時代に、中国の王朝の正史24書として「史記」や「漢書」などと並ぶ歴史書として認められるのですが、著者・陳寿と同様、真っ当な評価を得るまでに相当の不遇を耐えねばならなかった、と言えるでしょう。

さて、ここまで陳寿による正史三国志の成立過程について簡単に述べてみましたが、次の回ではいよいよ、その中身について見ていきたいと思います。

三国志を読もう!4

演義の完訳版は岩波文庫から

前章では、三国志演義の入門編として、長い原典を分かりやすくコンパクトにまとめた子供向けのものをご紹介しましたが、今回はいよいよ全訳本を見ていきたいと思います。

まず、スタンダードなものから。前回、岩波少年文庫版でも訳者の一人を務めていた小川環樹さんと、金田純一郎さんによる演義の全訳です。なお、挿絵は「絵本通俗三国志」より葛飾載斗の版画が使われています。

さて、中身の感想ですが、学者さんによる昔の翻訳なだけに、若い方は言い回しにやや古めかしさを感じるかもしれません。しかし、このいかにも軍談物たる格調高い雰囲気は別格で、文章もウェットに停滞せず、流麗にリズミカルに進んでいきますから、全8巻、あっという間に読み尽くしてしまいます。最初に手に取る演義全訳としては、まず文句のつけようがないでしょう。

解説も充実しています。小川氏は、史記や唐詩の優れた翻訳や研究の第一人者ゆえに、成立背景や時代とのかかわりなど、かなり綿密に記述しておられます。解説がひとつの優れた読み物になっているというのも、なかなか稀有なことかと思いますので、岩波版をお持ちの方でこの解説を読み飛ばしてきた方は、ぜひじっくり読み直してみてください。

さて、続いては講談社学術文庫から出ている三国志演義全訳です。

訳者の井波先生は、有名な中国文学研究者で、この演義全訳の他にも「水滸伝」の全訳、さらにはちくま文庫の「正史三国志」の翻訳にも携わっています。研究実績から、我が国における三国志研究の第一人者と言って良い方です。

その井波版演義ですが、小川・金田版に比べて遥かに言葉が現代寄りです。それは決して、若者に迎合した砕けた表現ではなく、近代小説として無理のない自然な言葉が慎重に選ばれています。もし高校生や大学生に勧めるとしたら、井波版が最も無難かもしれません。

そして、私がこの版に最も信頼を置くのは、註の豊富さです。人物や地理、単位、何気ないセリフの意味するところまで、章ごとに懇切丁寧に解説されています。演義のより深い面白さを知るには、この註の存在は非常に大きく感じられます。

※ちなみに、これから中国四大奇書を読んでみようかな?という方には絶対お勧めしたい下記の新書も井波先生の著作です。数々のエピソードや当時の歴史的背景な織り交ぜ、四大奇書の面白さを様々な角度から検証しています。

続いて3種類目。こちらも中国文学の大権威・立間祥介さんによる大変有名な翻訳です。

この立間版がなぜ有名かと言いますと、以前、NHKで放送され、子供たちに大人気だった「人形劇三国志」の原作とアナウンスされていたからです。実際は、テレビ版の内容は全く別物でしたが、下の写真のように、出版元の徳間書店が表紙を人形劇で飾ったりしたため(初版)、原作と認識され、よく売れました。まあこういうところ、さすがメディアミックスのうまい会社だな、と感心します。

ただ、かつては非常によく読まれた立間版(徳間文庫)ですが、2018年現在、絶版になっているようです。これは非常に残念なことと言わざるを得ません。

余談ですが、徳間には他にも『史記』や『十八史略』、諸子百家などの優れた名訳が絶版状態で、一部はkindle(電子書籍)として出版しているようですが、一刻も早く、この素晴らしい事績を新しい形で復活させてもらいたいものです。

話を戻しましょう。立間版の演義は、小川・金田版と井波版との中間という感じ。文体は少し講談調なのですが、使われる単語はそれほど古めかしくない。小学生の男の子でもスリルを感じながら読める愉しさが備わっています。キャラクター同士の会話など、それぞれの性格が滲み出てくるようで、立間さん独特のセリフ回しが読んでいて面白いです。

個人的な話をしますと、立間版は中学生の頃、駅前のブックセンターで夢中で立ち読みしていたのを思い出します。黄色い電話帳みたいな本で、字も小さいのですが、それが大人の読む教養書のようなプレミアム感を醸し出していて、店員さんの迷惑も考えずにむさぼり読んでいました。当時の店員さん、ゴメンナサイ(。-人-。)

まあ、そういう思い入れも作用して、もし立間版が復活したら、私はこれをイチオシとします。あれ?小川版じゃないの?とお叱りを受けそうですが、実は翻訳自体はあれで文句ないのですが、どうも葛飾載斗の挿絵が邪魔になるんです。葛飾の絵は、中国のキャラクターではなく、日本の歌舞伎を想起させる絵のため、どうしても「三国志を読んでいる」という興が削がれてしまう。

その点、立間版は挿絵のあるヴァージョンは違和感のないものを採用してあり、訳文は先程述べたとおりの面白さですから、むろんイチオシとなります。ただ入手に難がありますから、若い方は井波版を、読みごたえ重視の方は小川&金田版を、というのが私の結論です。

さあ、今挙げた3つのヴァージョンの他にもまだまだ演義の優れた訳はあります。以下、簡単に紹介しておきましょう。

ここで翻訳を務めるのは、「封神演義」のリライト作家としても知られる、安能務。元々マイナーだった「封神」にあれこれアイディアを加え、すこぶる魅力的なエンタメ小説に生まれ変わらせた実力者ですから、この演義での飛躍っぷりもなかなかすごいです。

これは結構以前から出ているものです。著者の村上知行は大変な苦労人で、幼い時に父と死別、丁稚奉公に出るも病気で右足を切断。有名大学に進むような華やかな道のりは歩まず、旅回りの劇団に同行するなどして生活しながら、独学で中国語や中国文化を勉強した、という不屈の経歴の持ち主です。

その後も、何と政府や軍部に逆らって反戦の立場をとり(当時の世相を考えればすごい勇気です)、終戦後は執筆に専念。しかし最後は、ナイフで自らを刺して自殺するという、最期まで波瀾の人生を送りました。

しかし、そんな村上が訳した演義は、暗い影などなくあっけらかんとした文章になっています。かなり意訳が多く、癖の強い表現も見受けられるため、ファースト・チョイスには向きませんが、こういうものもあるという意味で、ぜひ挑戦してみて頂きたいです。

最後は、渡辺精一さんの訳です。上巻が「天の巻」、中巻が「地の巻」、下巻が「人の巻」で、並びが天地人となっております。

ところでこの渡辺精一さんという方、三国志に関する研究書や資料、そしていわゆるムック本を膨大に書いていて、おそらく三国志好きなら彼の本を一冊くらい手にしたことがあるかもしれません。

下の人物事典など、三国志の小説や同人誌をお書きになる方には必携の書かもしれませんね。それくらい綿密な内容です。

こういう方が訳する本ですから、中身は相当濃いです。井波さんの訳とかとは根本的に目指す方向が違うと言って良いでしょう。詩に重きが置かれ、註には正史との違いが事細かに指摘されています。

おまけに長い。おそらく初心者には手に負えないでしょうから、お薦めしません。ただし、それなりに三国志演義に親しんでこられた方にとっては、目からうろこの逸品になるでしょうから、ぜひチャレンジしてみてください。

以上で、演義全訳の紹介はおしまいです。

次回からはいよいよ三国志の奥の院であり総本山でもある、陳寿による「正史」について見ていきたいと思います。

三国志を読もう!3

最初の1冊は駒田信二版がお勧め

さて、小説の「三国志」に親しむ前に、原典の「三国志演義」を読みたいところですが、巷間、たくさんの演義訳本が出版されていて、どれから読んで良いのか見当がつきません。特にお子さんに読ませる際は、最初の1冊選びにとても苦労されると思います。

そこで、個人的なチョイスですが、演義入門としてまずこちらをお勧めしておきましょう。

ハッキリ言ってめちゃくちゃいい本です。訳者の駒田信二(1914-1994)さんは、中国文学の権威として知られ、「水滸伝」の翻訳で大変有名な方。

この「三国志」も基本に忠実な訳ながら、細かいセリフや用言の使い方が講談調で、読んでいて思わず手に汗握ります。

劉備が曹操に内心を気取らそうになり、顔が土色になるところや、伏皇后と吉平がクーデター発覚のため引き摺りだされる陰惨な場面、五丈原での孔明の臨終から三国の終焉がさりげなく描かれるエピローグ部分など、とにかく印象深い描写が多い名訳です。

そして、この駒田訳を引き立てるのが、井上洋介さん(1931-2016)の挿絵。井上さんは、あの素朴な可愛らしさで有名な「くまの子ウーフ」の絵を描いた人です。

しかし、この「三国志」での井上さんの絵にあの愛嬌はありません。大昔の道徳の教科書に出て来るような、ダダイズムというか、子供が見たら泣きそうな絵です。

この文と絵が醸し出す怪しい雰囲気が、中国四大奇書としての三国志の魅力をいっぱいに引き出していて、かつ長大なストーリーをびしっとまとめているので、私はまず第一にこの本をお勧めしたいと思います。

次にお勧めしたいのが、岩波少年文庫から出ている三国志。小川環樹さんと‎武部利男さんの2人による共訳で、上・中・下の3冊に亘ります。

ちなみに訳者の小川さんは史記や唐詩の研究で、武部さんは白楽天の詩の翻訳で、各々大変な評価を受けており、読み物としての面白さ満載の駒田訳に比べ、格調高くスマートなイメージの文章になっています。

やや長いだけに登場人物は多く、駒田版ではカットされた合戦描写もたくさん出てくるため、駒田版の後さらにこちらを買って知識を深めるのもアリです。

私が読んでいて面白かったのは、呉の武将・魯粛が人の良さにつけ込まれ、何度も孔明に煮え湯を飲まされる展開、あと臥竜鳳雛と称された軍師・龐統の活躍、粗暴な張飛が戦略家の面を発揮して老将・厳顔をハメるシーン。そして、駒田版では完全にカットされた、孔明亡き後の蜀の末路。劉禅が降伏した後、姜維が敵将の鍾会を抱き込んで、一か八かのクーデターを企てる流れは、読んでいてハラハラしてしまいます。ここをカットするなんてほんと勿体ない気がします。

この岩波版は、巻初に登場人物一覧を付けるなど、丁寧な作りです。中学生くらいのお子様に読書の楽しみを伝えるには、持ってこいかと思います。

さて、ハイライト版はこの2冊に代表させるとして、いよいよ完訳版のご紹介に参ります。

三国志を読もう!2

日本の三国志人気の源泉 三国志演義とは

前項で、日本における「三国志」普及に大きな役割を果たした「横山三国志(漫画)」と「吉川三国志(小説)」について書きましたが、この二つがなければ「三国志」は知られていなかったのか、と言いますと、決してそうではありません。

この2作品の元ネタ、「三国志演義」はすでに江戸時代に日本に輸入され、以降、庶民を中心に広く読まれている作品でした。

吉川英治も、少年時代に寝る間を惜しんで「三国志演義」を読み耽り、親から叱られたことを後年告白しています。

それほど大衆の心をつかんだ「三国志演義(以後、演義と略します)」ですが、成立年代は中国の明代、1300年代後半と古く、日本では「太平記」や「曽我物語」が書かれた時代にあたります。

後述する原典「正史三国志」については、すでに平安時代の貴族階級に読まれていたようですが、大昔の庶民は漢文なんてロクに読めません。演義もしかりです。それが、元禄年間になって、湖南文山(天竜寺の兄弟の僧の筆名)が我が国で初めて演義の訳本「通俗三国志」を出し、これがまさに爆発的なヒットを飛ばしたのです。

「通俗三国志」の人気はその後ますます加熱し、江戸後期の天保年間には葛飾北斎の弟子、葛飾戴斗挿絵による「絵本通俗三国志」が出版されます。これも飛ぶように売れ、普及しまくったので、東京の古書店などをまわると、今でも現物にお目にかかることができます。

絵本通俗三国志 全75冊揃 江戸後期 葛飾戴斗 – 日本の古本屋

やがて明治維新となり、中国どころか西洋の大作もどんどん翻訳されるようになると、「通俗三国志」も様々な出版社から出るようになります。中でも最も信頼を置かれたのは、「五重塔」で有名な文豪・幸田露伴によるエディションでした。

一流の文学者による近代的な校訂が加えられ、読み物でなく文学作品としての演義が漸く誕生した、という印象です。現代の我々が読んでも、文語体による格調高い文章が映え、十分面白いと思います。

その後、吉川英治による小説が登場し、劉備や曹操、諸葛亮の名前は誰もが知るところとなりました。さらに柴田錬三郎や陳舜臣の小説、また横山三国志やコーエーの歴史シミュレーションゲームの影響で、演義は女性や子供にまで熱烈なファンを増やし、中国古典文学ながら「論語」などと同等に、日本社会の中でステータスを得たのでした。

では、順番が逆になってしまいましたが、本場中国では演義はどのように読まれてきたのでしょうか?次項では、演義の成立史や様々な謎について見ていきたいと思います。

 

謎の多い「三国志演義」の作者や成立過程

日本で大人気の「三国志演義」ですが、成立は14世紀末、中国の明という時代だと言われています。

言われています、というのも変ですね。実は演義は、いつの時代の誰が何という媒体にどうやって書いたということが詳しくわかっていない作品なのです。

ザックリ言えば、晋の時代に成立した陳寿による歴史書「三国志」をもとに、後世、様々な伝承や語り芸が作られ、演義のひな形のような話が成立し、それらを明代の誰か、おそらく羅漢中だと推測されるが、その人物が一編の小説にまとめ上げたのが「三国志演義」である….。そんな感じでしょう。まったくもって不明瞭な解説です。

これは、同じ中国四大奇書として日本でも愛読者の多い「西遊記」や「水滸伝」でも一緒で、前者は呉承恩、後者は施耐庵らしい、と言われているだけで、確証はありません。施耐庵に至っては実在さえ疑われている始末です。

「西遊記」も昭和時代に小学生を経験した人なら、みんな作者は呉承恩で覚えていたはずなのですが、最近は否定説の方が優勢で、すでに権威である岩波文庫でさえ、翻訳者の中野美代子さんのお名前しかクレジットしていません。

では、演義の羅漢中は?と言いますと、少しは状況がマシで、「西湖遊覧志余」や「録鬼簿続編」という史料に物書きとしての彼の記録を見出すことができます。どうやら実在はしていたようです。

それでも、演義の作者として確たる資料は何一つ残っていません。それどころか当時の講釈師連中が、人付き合いも悪く、最後は出奔してしまった文士の羅漢中の名を借りて、演義を創作したなどという、シェイクスピアの都市伝説みたいな話がかなり信ぴょう性のある話として採り上げられているくらいです。

このように、作者については非常に心もとないのですが、ただ学会でもはっきりしているのは、演義は1300年代後半には成立していた、ということです。

そもそも、晋代の史官・陳寿(233-297)が後世に正当な歴史書と認められた「三国志」を著した後、その筆があまりに簡潔すぎるということで、劉宋の裴松之(372年 – 451年)という人が、当時の資料などを搔き集め、膨大な註を付したのですが、この註が面白いエピソード満載で、信憑性のある一級資料からジャンキーな説話までも含めてしまったため、後の荒唐無稽な民間伝承のきっかけを作ってしまったのです。

 

その荒唐無稽な部分は、お寺で僧侶が説法の格好のネタとして活用したり、語りを生業とする講釈師たちが面白おかしく語り広めることにより、ますます肥大化していきます。そして、中国が経済も文化も世界でトップクラスに登り詰めた宋代ともなると、「子供たちがうるさい時は銭を与えて講釈師を呼び、座らせて三国の物語を聞かせると、劉備が負けたと聞いて涙を流し、曹操が負けたと聞くや大喜びする」と大詩人・蘇東坡が書いたくらい、三国志は市民の娯楽として定着しているのでした。

やがて、蒙古が中国を支配する元代となります。この時代は文化が荒廃したと思いきや、逆に芝居小屋を中心とする演劇や演芸がものすごい発展を遂げた時代で、関羽を主人公とする戯曲がたくさん書かれます。また、「説三分」という三国志ものが講釈場の人気演題となり、その台本はとうとう書籍化されました。これが、『至治新刊全相平話三国志』、いわゆる「平話」と呼ばれるものです。

なんと、その当時の「平話」は我が国の国立国会図書館に収蔵されており、ネットで読むことができるんです!

至治新刊全相平話三国志 – 国立公文書館 デジタルアーカイブ

「平話」は、劉備の蜀を正統とする蜀漢正統論に基づいて書かれています。つまり、陳寿が正統とした魏の曹操は完全な悪玉。しかも、最後に統一するのは晋ではなく、五胡十六国の前趙の劉淵となっています。劉淵は、滅びた蜀の末裔という設定ですが、史実的には匈奴の人間であり、ここまでくれば蜀びいき極まれりといった感じです。

そんな「平話」ですが、あの魅力あふれる燕人・張飛が大活躍。その活躍ぶりは、劉備・関羽を凌ぐほどです。しかも、ストーリーも魔術あり妖術ありで、やりたい放題の展開。ただ重要なのは、それだけハチャメチャであっても、すでにこの「平話」によって、現代の我々が知っている三国の物語がほぼ完成しているという事実です。

 

そして、三国志演義は出来上がった

このような三国物語の市民階級への普及の過程を経て、宋の次の明代の文士であった「羅漢中」と思しき人物が演義をまとめ上げたというのが、現時点での定説です。

演義は、「平話」の血沸き肉躍る要素をギリギリのところでセーブしながら、読み物としての面白さをあの手この手で引き出し、さらには荒唐無稽なネタから文学としての脱皮を図らんとおそらく正史などを読み直して史実との整合性を高め、雄大なロマンあふれる作品として、陳寿の正史から1000年もの月日を経て漸く完成しました。

三国志演義は、四大奇書とか通俗小説とか言われていますが、次から次へのハラハラドキドキの展開や、「君と余だ」の際の劉備の動揺、曹操と関羽の間の情義、泣いて馬謖を斬るのくだりなど、一流の文学者、知識人しか描けないような優れた心理描写もあり、私は「ドン・キホーテ」と並ぶ、中世冒険小説の傑作だと思っています。

ここまで「三国志演義」の成立史は見てきたわけですが、次に巷にあふれる「三国志演義(作家によるオリジナル作品は除く)」について、じっくり見ていきましょう。

三国志を読もう!

日本で大人気の横山・吉川三国志

古代中国の三国時代。漢王朝の衰退によって各地に群雄が割拠し、長い混沌の末、大陸は曹操の魏、劉備の蜀、孫権の呉の三国に分裂する。再び戦乱は続き、最後に中国を統一したのは、皮肉にも魏をクーデターで倒した司馬氏の晋であった。

そのおよそ100年にわたる戦乱の歴史(180年頃 – 280年頃)を、ロマンあふれる展開で描いた「三国志」。わが国では、小説、漫画、ゲーム、アニメ、ドラマ、映画など、あらゆるヴァージョンでメディア展開され、長年に亘って多くの人に愛好されてきました。

この章では、全部はとても紹介しきれませんが、我が国における「三国志」の受容史について。すなわち「三国志」と言えばコレ!という作品をいくつか見ていきたいと思います。

昭和生まれの「三国志」好きなら、ほぼ例外なくこの作品で「三国志」の深みにハマった、と思います(笑)。

この作品は、日本を代表する漫画家、横山光輝(1934-2004)が遺した歴史エンターテインメントの傑作です。

横山先生は、昭和までは「鉄人28号」や「魔法使いサリー」のような、比較的低年齢層向けの作品で広く知られていたのですが、21世紀の今日では、「横山光輝=三国志」というイメージでほぼ定着しています。

それだけ「横山三国志」の持つインパクトは大きく、全60巻という途方もない長さでありながら全く飽きさせない内容で、荒唐無稽に陥らないしっかりした考証にも好感が持てます。また現代の若者にもウケる普遍性も兼ね備えており、今後も世界中で広く読み継がれていくのは間違いないでしょう。

ところで、この「三国志」。皆さんご存知のことと思いますが、横山先生のオリジナル作品ではありません。わが国屈指の大衆小説作家、吉川英治(1892-1962)の小説「三国志」をベースに作り上げたものです。

※吉川英治については、このブログでも記念館の訪問記を5回に亘って書いておりますので、そちらもご覧ください。

吉川英治記念館(東京都青梅市)訪問記(1)

吉川英治は、1892年(明治25年)生まれ、1962年(昭和37年)に亡くなった歴史小説の大家です。「三国志」の他にも、「宮本武蔵」、「新・平家物語」、「私本太平記」、「新書太閤記」など、数多くの傑作を世に送り出しており、晩年は「国民文学作家」と呼ばれるほど、多くのファンを獲得しました。2012年を以て没後50年が経過し、今ではその作品のほとんどを青空文庫で無料で読むことができます。

そんな彼の代表作「三国志」は、昭和14年から中外商業新報(現・日本経済新聞)に連載されました。

昭和14年と言いますと、太宰治が「女生徒」や「富嶽百景」を、海野十三が「火星兵団」を、海外ではアガサ・クリスティが「そして誰もいなくなった」を発表するなど、エンタメ色の強い小説や読み物的な時代小説が急激に普及し始めた時期に当たります。明治・大正の文豪時代から間もないのに、もの凄い進歩です。

しかし、そんな時代にあっても、「三国志」を自分流に書き直そうとした英治の構想は、相当大胆で型破りなものであったと思われます。今の我々の眼から見ても、戦前に突如、このような作品が書かれたこと自体が驚異です。

結果として「吉川三国志」は大当たり。1943年まで4年間の長期連載となり、今では「三国志」と言えば吉川版と言われるくらい、スタンダードとしての地位を確立しました。

さて、そんな「吉川三国志」ですが、今日ではいくつかのヴァージョンで読むことができます。

少し前までは、「吉川三国志」と言えば、講談社の吉川英治歴史時代文庫でしか読むことはできませんでした。

昭和の終わり頃までは、講談社文庫版(写真上)と、吉川英治文庫版(写真下。歴史時代文庫の前のヴァージョン)の2種類があったのですが、平成元年頃に今の歴史時代文庫にリニューアルされ、これらは絶版となっています。

それから何と約20年もの間、「吉川三国志」は歴史時代文庫1種類しかない、という状況が続いたのです。

ところが2008年になって、講談社文庫から「新装版」と銘打たれた新バージョンが突如、発売されました。これは一般に「レッドクリフ版」と呼ばれています。

2008年、三国志の中盤のヤマ場と言われる「赤壁の戦い」に焦点を合わせ、巨額の製作費をかけて作られた中国映画、「レッドクリフ」が公開され、大きな話題を集めました。その人気にあやかったのか、講談社は吉川英治の「三国志」を久々に講談社文庫で復活させます。それが、このレッドクリフ版です。

ところが….。

このレッドクリフ版はさんざんにこき下ろされます。

実は、「吉川三国志」は後半の主人公、諸葛孔明が五丈原で歿するところで一応の大団円となるのですが、その後の三国の行方について、英治は「篇外余禄」というコラムのような章を設けて、俯瞰するように淡々と書いています。

その「篇外余禄」を、こともあろうにレッドクリフ版はばっさりカットしてしまったのです。

これには吉川ファン、三国志ファンが激怒し、講談社は大バッシングを受けました。出版社の都合はあったと思いますが、この「篇外余禄」は「吉川三国志」のキモであり、作家のことを理解していないととられても仕方ありません。

しかしその後、吉川英治の著作権が消滅し、あちこちの出版社から彼の作品が出せるようになり、新潮文庫の「三国志 全10巻」でついに「篇外余禄」付きの完全版が復活、ファンも久々のヴァージョンアップに漸く留飲を下げました。

ところでこの新潮版、表紙が今風でかっこいいですね。字が大きいので、講談社8巻に対して10巻ですが、随分と読みやすくなっています。紙の本ではこの新潮文庫版と吉川英治歴史文庫版がベストだと思います。

あと、最近では電子書籍版も出ました。

合本版はびっくりするほど安いです。しかし、吉川英治歴史時代文庫に準拠した正規版ですので、誤字脱字もなく、満足度の高いクオリティになっています。kindleをお持ちの方は、まずはこれで読まれるとよいでしょう。

さて、次回はさらに吉川三国志の原典、羅漢中による「三国志演義」の翻訳本について見ていきたいと思います。