太平記をよみなおす 01

南北朝~日本史上稀にみる混乱と激動の時代~

今回から2回に亘って、「太平記」をご紹介します。

「太平記」とは、後醍醐天皇の即位(1318年)から、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1368年)の約50年間(鎌倉末期~南北朝)の歴史を描く、壮大な軍記物語です。原典全40巻、岩波文庫版で全6巻。

 

序盤は正中の変、元弘の変と2回に亘り、鎌倉幕府討幕のため後醍醐天皇が奔走する姿が描かれます。日野資朝、俊基といった忠臣、そしてこの頃はまだ悪党と呼ばれた地方豪族の楠木正成が大活躍するストーリーで、「太平記」の面白さはこの序盤に詰まっていると言っても過言ではありません。

 

中盤・第2部は鎌倉幕府の滅亡に始まり、建武の新政とその崩壊、武士の棟梁であった足利尊氏が北朝政権を擁立した後の混乱が描かれ、ここからは次第に作品に悲劇的な色が漂い始めます。後醍醐不利の中で進む南北朝の無常な戦い、正成、義貞と言った英雄の死。そして失意の後醍醐の崩御。前半が威勢良かっただけに、涙なくして読めない哀しさがあります。

ところが、第3部と言われる後半になって、突如作品の空気が一変し、堅牢な構造が失われて支離滅裂となります。まあ、史実自体が「昨日の友は今日の敵」状態となり、残された登場人物らが各々のメンツや利益のために非道な行いを平然とするようになるため、これはある意味仕方のないことではありますが…。

 

まず、尊氏が仲の良かった弟・直義と不毛な兄弟の争い(観応の擾乱)をおっ始め、最後は弟を捕らえんがため、何と南朝と和睦します(この過程で功臣・高師直が弑され、北朝の天皇が廃されます)。さらに直義死後は、再び南北朝の戦いが始まり、尊氏の新たな敵として、直義の子・直冬が登場。ただし、直義は実は尊氏の庶子であり、親子であるはずの2人が本気で殺し合いの戦を始めるのですから、もう滅茶苦茶です。

 

このような修羅の世界を、「太平記」がもし冷静に記述できていたのなら大したものですが、さらに物語を奇異にするかのごとく、第3部ではなんと正成、義貞、後醍醐の怨霊、果ては天狗やそれを操る崇徳上皇まで登場するのです。

こうした顛末から、太平記は単なる軍記物語ではなく、鎮まらない戦乱の原因を怨霊に求め、それを慰撫鎮魂するために書かれた幕府公認の史書ではないか、と唱えた学者さんもいらっしゃいます。この説はなかなか面白いので、機会があればお読みになることをお勧めします。

さて、そんな長く激しく理不尽な動乱の世も、細川頼之が3代将軍・足利義満を後見し、やっと平和が訪れたところで「太平記」は終わります。最後の第3部がもう少し洗練されていれば、「太平記」は「平家物語」と並ぶ日本古典文学の傑作として並び称されていたかもしれないのですが、現代の専門家の評価はイマイチ良くないです。ただ、20世紀も終わり、皇国史観や自虐史観双方の呪縛から解き放たれ、漸くアカデミックな南北朝研究が行われるようになった今日、怨霊鎮撫の願いを込めた「太平記」が見直されていくことは十分に期待できます。

 

さて、そんな「太平記」を実際にじっくり読んでいくには、先に述べたような非常に複雑な事情が入り組んだ時代ですから、十分に予備知識を持っておく必要があります。そこで、南北朝時代をさっと俯瞰するのに一番手っ取り早い本として、小学館から出ている学習まんが「日本の歴史」をお勧めします。

大人の方には抵抗があると思いますが、天下の小学館が少年少女のために心血を注いで作り上げた学習本です。要点はきちんと押さえてあり、一部の専門書や新書にみられる偏った見解などはありません。当然、子供向けに読みやすいため、まずはこの漫画版から入るのがベターかと思います。

次に読んで頂きたいのがコレ。

 

実は、上で学習まんがを推薦したのは、この本を読んで頂くための伏線でもあります。この中公文庫版は佐藤進一先生という大変優れた研究者さんが書いた、第1級の資料です。昭和に書かれており、この研究以降に分かったこともあるので、古すぎると懸念を抱く方も多いと思いますが、全然心配に及びません。小さな出来事まで丹念に解説されており、また当時の武家社会、貴族社会の諸制度や慣習をつまびらかにすることで、建武の新政や尊氏の失敗原因を導き出すなど、素晴らしい成果が示されています。文章も明快で大変読みやすく、これ一冊があれば、南北朝時代のことはかなりマスターできる、と言って良いでしょう。

ただしある程度、南北朝時代の大まかな歴史の流れ、人物名を知らないと難解に感じてしまうので、そうした意味からまんが版を薦めた次第です。

 

さあ、次章ではいよいよ「太平記」原典のテクストに当たります。お楽しみに。

中島敦の世界

中国古典をカッコよくリライトした中島敦

中島敦と言えば、最近の学生さんなら朝霧カフカさんと春河35の大人気コミック、「文豪ストレイドッグス」の主人公をイメージされることでしょう。

気は優しくて正義感にあふれ、一方でちょっとドジなところが母性本能をくすぐる愛嬌満点の敦君。

いまやコミックやアニメで大人気の敦君ですが、そのモデル(と言うかご本人)になった文豪・中島敦(1909-1942)はと言えば、実はこんな感じの人です。

どうでしょう?

牛乳瓶の底のような眼鏡。ぴっちりした分け目。内向的な雰囲気。

元気で透明感あふれるかわいい少年の敦君とはかなり違いますね。

ただし、中島敦は風貌こそ堅物そうですが、実際は社交的(と言うより遊び人)で女性からは非常にモテたらしいです。女学校の教員時代には、現代なら問題になりそうな浮名を何度も流していますし、妻のたかには熱烈なラブレターを送って結婚に漕ぎつけるなど、なかなか隅に置けない人物であったと思われます。

まあ、その人間性については賛否両論ありますが、ただ彼の作品に関しては本当に面白いの一言に尽きます。

作品の多くが中国の歴史のワンシーン、寓話、伝承等に材を採っていますが、格調高い文章、ドラマティックな展開、情景が映画のように浮かぶ表現の巧みさなど、まさに文豪と呼ぶにふさわしい完成度です。

さて、そんな彼の代表的な作品と言えば、やはり次の4作を挙げないわけにはいかないでしょう。

李陵は、前漢(紀元前206年-紀元8年)の時代に実在した人物で、異民族の匈奴と激しい戦闘を繰り広げた末、捕らえられた漢の将軍です。彼は祖国への想いに悶々としながら、その高潔な人格や類まれな武勇を見込まれて匈奴から遇され、ついに異郷の地でその波乱に満ちた生涯を閉じます。

中島敦はこの悲運の名将・李陵の数奇な運命を、彼の内面を深く掘り下げることでリアルに描き出しました。さらに並行して、李陵の弁護のため、頑迷な武帝や保身を図る佞臣たちに敢然と立ち向かった史官・司馬遷の反骨の精神も淡々と描写していきます。

ただし、中島は司馬遷と李陵の間に太宰治の「走れメロス」のような美しき友情のシーンを設定したりはしません。李陵は司馬遷の行動に感動しませんし、司馬遷は潔癖な性格から諫言したに過ぎない、という作者の認識です。

こういう冷静な描写が、中島敦の凄さであり、持ち味であろうと思います。この「李陵」を読んだ後、登場人物・司馬遷本人が書いた「史記」の孝武本紀(武帝についての記録)を読むと、また格別の感慨を覚えます。

続いて「山月記」は何と言っても、不遇な男が虎に変身して月に向かって咆哮するシーンが痺れるくらいカッコイイです。ほかに物音ひとつしない夜の闇に虎の咆哮が響きわたる哀切さ、絵画のような情景感。少し漫画チックですが、いろいろ考えずにこのロマン的な雰囲気を楽しむ方が読書的には有意義だと思います。

ちなみに「山月記」については、名優・江守徹さんの朗読による素晴らしいCDが出ています。何というか、本当に江守さんの声と語り口は分かりやすく滋味あふれ、とても味わい深いです。この作品とのシンクロ性は抜群で、ぜひ多くの方に聴いて頂きたい魅力に満ちています。

次の「弟子」も良いですね。主人公は孔子の有能で個性的な弟子たちの中でもひときわ武骨でトリックスター的な役回りの子路。中島は子路が孔子の思想に絶望的なズレを感じ、もがく様を描きますが、これは多くのサラリーマンやOLさんにとって「痛み」を伴う内容と言えるでしょう。ある意味、会社勤めの誰もがぶつかる苦悩と同じです。粗暴なようで繊細な子路と自分を重ねながら、読み手もまた自分の苦しみに対する答えを作品の中に見出そうともがきます。果たしてそこに答えはあるのか?冷淡でちょっと嫌な感じのする孔子のラストの行動には泣けます。

「名人伝」は寓話的なストーリーで、格闘技や武術が好きな方にはたまらない内容と言えるでしょう。一介の弓使いがストイックに技術を追究し、さらに魂の世界に昇華し、最後は「不射之射」という究極の境地に達していく様が簡潔な文章で描かれていきます。

ちょっと話は逸れますが、私はこの作品を読むたびにジェット・リー主演の2002年の映画、『HERO』を思い出します。作品全体の雰囲気も似ていますが、例えば映画の前半でジェット・リーとドニー・イェンが戦うシーン。ものすごい殺陣でありながら、設定上はあくまでふたりの脳内で起こるイメージにすぎないという、あれこそまさに不射之射を描いたものでした。

話がずいぶん脱線しましたが、中島敦は本当に面白いので、一人でも多くの方が手にされ、いつか中島ブームが起きることを期待しています。

ちなみに電子書籍デバイス、kindleをお持ちの方なら、何と中島の全作品をたった100円で読むことができます。完成度から考えると、一抹の悲しさを覚えますが、それでも誰もがこの卓越した文章に容易に触れることができるのですから、文明の進歩には感謝せざるを得ません。

否、本はやっぱり紙に触れて読むもの、という方はこちらでどうぞ。

三国志を読もう!8

平成の三国志小説 北方&宮城谷

私が小学生時代を過ごした昭和では、書籍(小説・漫画)による三国志文化が絶頂を窮めましたが、次の平成に入ると、新たなメディア、そう、テレビゲームによる三国志ブームが一気に花開きます。

人物や地理は史実どおりに。しかし、誰が天下を取るかはプレイヤーであるあなたの腕次第…。

そんな魅惑的なフレーズに釣られ、多くの三国志ファンがゲームショップに列を作りました。そして、彼らが実際にプレイすると、テレビの画面いっぱいに箱庭的中国大陸が広がり、おなじみの英雄知将が勢揃い。さらに設定は緻密かつシンプルで、イナゴの大量発生や疫病といったイベントもあるなど、完成度は想像以上。まるで自分が劉備や曹操にでもなったかのように縦横無尽に大陸を駆け巡りました。

他にも、わが国の戦国時代が舞台の「信長の野望」や、現代の兵器を駆使して戦う「大戦略」というゲームも発売されてしまったので(笑)、私なんか勉強そっちのけで随分とのめり込んだものです。おかげで成績はひどく落ち込み、社会だけは超得意科目になるというアンバランス状態になりました(笑)。

まあそれはさておき、当時は子どもから大人まで『三国志』ゲームに夢中になり、ある者は強い曹操で天下統一を目指し、ある者は道半ばで無念の死を遂げた劉備でプレイし、またある者は呂布や南蛮の孟獲、仙人華佗で覇を競い…。

まさに十人十色。史実や演義物語では叶わなかった、贔屓の武将に天下を取らせてやりたいという想いを、各々がプレイの中で果たすことができたのです。革命的な商品の登場であった、と言って良いでしょう。

そんな時代に、しかも吉川英治、柴田錬三郎、陳舜臣といった先人たちが偉大な足跡を遺したあとに、「三国志」の小説を書くというのは、相当困難を窮める作業なのは明らかであったはずです。

それでも、「三国志」をテーマにした小説は、平成に入ってからもたくさん書かれました。中でも代表的なのが、北方謙三と宮城谷昌光によるものです。

北方先生は、もともとハードボイルド作家として一世を風靡し、アウトローだらけで男くさい日陰の世界を、激しく美しく、しかも洗練された文章で書く、というのを得意とした作家さんです。

90年代になると、先生は今度は歴史小説を書くようになり、我が国の南北朝時代、それから中国を舞台にした歴史大作「水滸伝」に着手しますが、後者は完成まで足かけ約6年を要しました。完成度は非常に高く、この作品のおかげで先生はいまや国民作家の地位にまで登りつめた、と言っても過言ではありません。

北方「三国志」はその「水滸伝」の直前、1996年から1998年にわたって書かれています。こちらも大変な評判になりました。

内容は想像通りアツいです。それまでの作者が神の視点で俯瞰して人物を動かしていたのに対し、北方版ではそれぞれの英雄が悩み、苦しみ、そして生身の人間としての感情や欲望をむき出しにしています。

設定も従来のものと大いに違います。張飛は義理の塊、しかもクレヴァーで、苦悩する知識人のような風情があります。また、他作品では神さま扱いをされている諸葛亮も、頭はいいけど、小心のために悩み、苦しむ。まるでアダルトチルドレンのような人物像が設定されていて、とてもユニークです。

こういう展開であるなら、曹操と曹丕の親子は悩める覇王として美化されそうなものですが、北方先生はえげつないサディスト、権力とプライドの亡者として二人を描きます。ただ、演義のように設定としての類型的な悪玉ではなく、現実社会にもいそうな、病理の一端としてリアルに描いています。

孫権もリアルですね。まるで頑なに内向きな経営者のようです。彼が熱心なのは、呉の国の強固な安定のみ。そこに領土拡大の野心はありません。家臣はやきもきしますが、それこそ孫権という男のスタイル、として描かれています。

なお、北方先生はこの「三国志」を書くにあたり、演義の荒唐無稽な設定や人物の描き方は一切無視し、陳寿の正史を見つめ直して作り直しています。演義の世界観が好きな方には、あるいは重すぎるかもしれません。でも、等身大の英雄たちの心に共感できたりして、面白いことは間違いありません。

次は、現代屈指の歴史小説家、とりわけ古代中国を舞台とした作品で第一級の評価を受けている宮城谷昌光先生の「三国志」です。

宮城谷先生は、若い頃に我が国の漢字学の権威・白川静氏に弟子入りしたのをはじめ、有史以来の中国のあらゆる歴史文化を研究し、その成果をもとに優れた作品をこれまでたくさん発表してきました。

そんな先生が、2000年代に入ってから満を持して取り組んだ三国志。それはまさに、これまで誰も書いて来なかった、宮城谷先生ならではの世界観における三国志でした。

この作品はなんと、後漢時代の名臣・楊震(54-124)から始まります。楊震は有名な故事「天知る、地知る、我知る、汝知る」のエピソードを持つ人で、清廉潔白な人柄で知られています。しかし、その清さは災いに転じ、佞臣奸臣の讒言を受け、不遇のうちに自ら命を絶ちます。

宮城谷三国志は、こうした漢王朝の腐敗、これはのちに十常侍のような宦官の専横にもつながるのですが、そこにしっかり冷静な目を向け、この戦乱の時代の必然の糸みたいなものを手繰っていきます。

それにしても、劉備や曹操はなかなか登場しません。楊震の次に活躍する、曹操の祖父・曹騰も、まだ後漢中期の人物です。こうした部分をとってみても宮城谷三国志は慎重かつ念入りで、独特の書き方です。

さて、その曹騰ですが、彼は宦官でありながら忠義の人、かつ公正であり、正義感にも富んでいる。政治の荒廃を嘆き、どうにかして光明を見出そうと奮闘します。しかし、とうとう彼の存命中にその熱い願いは叶いませんでした。ただ、曹騰の代わりに希望を実らせた人物がいます。それは彼の孫、曹操でした…..。

何だか因果論みたいな流れで、正直、読むのにしんどい部分もあります。しかし、中国の思想にはこうした因果関係に物事の真理を求めるようなところがあり、例えば性善説や性悪説もそうでしょうし、司馬遷も「史記」の中で人物が栄えたり失脚したりするさまを何らかの因果関係の下に説明しようとします。

中国の多くの歴史書を現代風に、しかも原典の根底を崩さずに表現してきた宮城谷先生だからこその表現だと思います。

全10巻、読むのにこれほど骨の折れる現代の小説も珍しいと思いますが、それだけに、三国時代の「なぜ?」をある程度、理解できるようになる作品だと思います。

宮城谷先生の作品も長いですが、私の「三国志を読もう!」もずいぶん長くなりました。この辺でお開きにしたいと思います。

今後もいろいろなメディア、作品によって「三国志」はリメイクされるでしょうが、皆様どうか食わず嫌いをせず、さまざまな「三国志」を鑑賞する余裕というものを持ち続けて頂きたいと願います。

三国志を読もう!7

余禄:三国志小説の世界

さて、横山三国志に始まり、三国志演義を経て、正史三国志まで見てきた「三国志を読もう!」シリーズですが、今回は最終回。

三国時代を描いた面白い小説などを駆け足で見て参りたいと思います。

ちょっと古い小説ですが、昭和の歴史小説家で司馬遼太郎の良きライバルであった柴田錬三郎(1917-1978)による「三国志」からご紹介しましょう。

柴田はもともと純文学も書いていた人で、佐藤春夫、堀口大学、井伏鱒二、井上靖と言った錚々たる文学者に師事。直木賞を受賞したほか、芥川賞にもノミネートされたほどです。

創作の初期には偉人伝を多数書き、次第に猿飛佐助や由井正雪と言った伝記的作風に踏み込んだ後は、有名な『眠狂四郎』シリーズで一世を風靡。その後は講談調の作品で大人気となり、多くの作品が映画化、ドラマ化されました。

そんな柴田が三国志を発表したのは1969年、『英雄ここにあり』というタイトルで、伝統的な劉備=善玉、曹操=悪玉視点によって書かれました。

とにかくむちゃくちゃ面白いです。吉川三国志と全然違って、どちらかと言うと後年の北方謙三による三国志に近いかもしれません。しかし、あそこまで人間の内面や男の熱い情念にはこだわらない。

登場人物すべてがヒロイックで、戦闘描写が派手。特に孔明の人並み外れた知恵と大立ち回りに感嘆するしかありません。分厚いけどすぐに読んでしまいますよ。

前作の評判が良かったからか、はたまた柴錬先生の端からの構想だったのか、続編が書かれます。それが「生きるべきか死すべきか」。

かっこいいタイトルですね、絶対読みたくなりますよね、こんなタイトル見たら。

ストーリーは劉備没後、落日の蜀をひとりで背負う孔明の活躍と苦悩を描きます。しかし、あまり暗くなることはなく、若い血をたぎらせるスーパーヒーロー、姜維の登場によって物語は再び活力を増します。

姜維の荒っぽいけど義侠に富んだ行動には本当に興奮の連続。このまま蜀が天下を取っちゃうんじゃないかと思いますが、それゆえにラストの無常な最後には涙し、ある種のカタルシスを感じます。

原典至上主義の方には敬遠されそうですが、読み物と割り切って頂ければ、こんなに面白い小説はそうそうないと思います。

続いては、1924年に神戸で生まれ、2015年に惜しまれて90歳で亡くなった陳舜臣先生の三国志です。

陳先生は、日本で教育こそ受けていますが、祖先に後漢の陳寔、魏の陳羣、陳泰を持つ、もともとは台湾籍の方です。

大変な親日家で、かつ日中の文化交流には大変な尽力をされました。そのひとつのツールとして先生の作品は大きな効果を発揮し、特に「小説十八史略」、「中国の歴史」、「中国五千年」の3作で中国史の全貌をワクワクしながら勉強できた、と言う人は少なくないと思います。私もそうでした。

先生は三国志も書いています。書名は「秘本三国志」。何だか怪しいタイトルですが(笑)、内容はまさに陳ワールド。柴錬三国志と違うベクトルで大変な面白さを獲得しています。

三国時代、五斗米道と言う宗教のようなものが起こり、これが戦国時代の一向宗みたいに、国を持つことになります。『秘本三国志』の主人公は、この五斗米道の首領・張魯の母である少容、その弟子・陳潜が務めます。

当然、三国志の英雄たちも強烈なキャラで描かれ、特に劉備は荒くれものとしての実像に近い描かれ方をしています。また、曹操は物分かりが良く、情に厚い一面を持った好人物として描かれます。

そこに五斗米道のしたたかな戦略、仏教徒とのせめぎ合い、そして英雄たちの大戦略が絡み、複雑かつ雄大なドラマが展開していきます。陳先生はもともと推理小説で卓越した実績を持っていますから、正史をベースにしながらこれほどまでに奇想天外な伏線を回収したのはさすがと言えます。

残念なのは、これだけの名作なのに文庫版が入手困難なこと。ロングセラーだった文春文庫が絶版になった後、中公文庫に移りますが、現在やや入手困難ぎみ。

そこで、ここでは文春文庫から起こした電子書籍版を紹介しておきます。kindle端末で読めます。

次章ではこのシリーズの最後。北方謙三版、宮城谷昌光版、そのほかをご紹介します。

三国志を読もう!6

魏と蜀 主人公選びに悩んだ陳寿

晋の時代、「三国志」の執筆にとりかかった陳寿は、ある重大な問題にぶち当たります。

それは、歴史書の宿命でもあるのですが、執筆者が正統と認める王朝を柱として書かなければならないという課題です。

これは陳寿にとって難題でした。そもそも「三国志」というテーマが異端であり、例えば「漢書」、「後漢書」なら漢王朝を正統な王朝とし、様々な出来事や人物を描き込んでいくことができる(「史記」は歴代の統一王朝毎に「紀」を立て、漢王朝代々の「紀」に結んでいます)のですが、三国時代には独立した3つの王朝が並立しています。

しかも、陳寿が仕えていたのは魏王朝から王位を簒奪して成立した晋の国。いくら個人の勝手な著作だから関係ないと言っても、時代が時代だけに、例えば蜀の国を正統とした歴史書などを大っぴらに書いたりしたら、クーデターの罪で殺されてしまいます。

そこで陳寿は、晋は魏から王位を簒奪したのではなく、禅譲を受けたのだ、という建前論をとり、魏の6人の王(曹操、曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐)について「紀」を立てました。すなわち、漢から禅譲を受けた魏、魏から禅譲を受けた晋という事実を持ち出して、晋政権の正統性を示したわけです。

一方、当代の政権は魏ではありません。そこで、「魏」「蜀」「呉」の3国の歴史については対等に「志」として扱い、魏を持ち上げすぎない態度を鮮明にしました。

この絶妙な書き方により、「三国志」は晋王朝から咎められることなく賛辞を受け、かつコバンザメ的な提灯史書とは真逆な客観性を有していたため(ここは世渡りベタな陳寿の性格が幸いしています)、後世からも信頼性の高い作品として不滅の評価を獲得することになるのです。

このように「三国志」は歴史書としては完璧な体裁を整えることができました。

ところが後世になって、この魏を正統とする陳寿の姿勢は文人や庶民から凄まじい集中砲火を浴びます。なぜならその後、学者たちによって「蜀漢正統論」なるものが唱えられ、劉備の蜀こそ正式な王朝であり、逆賊の曹家を持ち上げた陳寿の書き方は誤り!とされたからです。

※「蜀漢正統論」については、Wikipediaに詳しいです→ ウィキ「蜀漢」

それによって、20世紀の中ごろまで「蜀漢正統論」が主流となり、「三国志演義」が正史のような扱いを受けるというトンデモな事態が起こります。実際、前章までに列挙したように、劉備を主人公とする「三国志」の小説、漫画、映画、ゲームなどが氾濫し、挙句「三国志(演義)に学ぶマネジメント」のような自己啓発本まで現れたのですから、陳寿は1000年の不遇を受けたと言っても過言ではありません。

しかし、冷戦終結あたりから中国史の近代的な研究や論争が盛んに行われるようになると、インターネットの普及で若い世代にも三国時代の実情が広まり、陳寿の正史が漸く見直される流れになりました。

わが国では、1994年にちくま学芸文庫より「正史三国志 全8巻セット」が発売されたことが、ひとつの転換期になった、と個人的には思っています。

そのちくま版ですが、陳寿の再評価に一役買っただけではなく、世の歴史好きに「正史」とはどういうものか、ほぼ最初に知らしめたテクストとしても大きな価値を持っています

古い話になりますが、それまで一般人が比較的安く「正史」を読もうとしても、徳間書店のハードカバー版「中国の思想」シリーズで断片的にしか窺い知るしかできませんでした。ゆえに、原典のほぼ全訳であるちくま版は、三国志ファン待望のシリーズであったと言えるでしょう。※ただし徳間版は抄訳ながら、原文やすばらしい解説文を掲載しているので、古書店で見つけたら即買いをお勧めします。

さて、ちくまの正史に初めて触れることになった読者らは非常に驚くことになります。何となく噂で聞いていたとはいえ、正史が我々日本人の中に息づいている演義史観を真っ向から否定するものであったからです。

劉備は仁慈の人などではなく、実像は底辺からのし上がったかなりの荒くれ者。演義で無礼な県の役人を鞭打ったのは張飛でしたが、正史では劉備自ら役人を半殺しにして逃走しています。

一方、張飛や関羽は演義同様、その勇猛で爽快なエピソードが多数連ねられますが、傲慢と粗暴で命を落とす羽目になった、という論評で締め括られるほど、性格難を強調されています。

では、演義のダークヒーローであった曹操は、と言いますと、政治力、武力、文人としての能力全てにおいて高く評価されています。とは言え、賛美一色ではなく、冷酷な部分や自己中心的な振る舞いを行ったエピソードも容赦なく描かれ、かつ情に厚い性格、身分隔てなく才能ある者を登用する懐の深さなども記されています。

いちばんびっくりしたのは、諸葛亮の記述です。三国志演義における知の要であり、後半の主人公であるこの大ヒーローも、正史では非常に地味な描かれ方をしています。

そもそも、演義のあの魔術使いみたいな軍師ぶりが現実な話なわけがなく、戦略家としてリアルなところはどうだったのか興味深いところでした。ところが陳寿は、諸葛亮は政治家としては非常に優秀であるものの、戦は下手であったという、予想の斜め上を行く書き方をしているのです。

例えば、諸葛亮最大の見せ場である「赤壁の戦い」の勝利は、呉の軍師・周瑜の献策によるもの。諸葛亮は呉への平凡な使者に立った(周瑜や魯粛をけむに巻く「演義」の描写はありません)くらいで、ほとんど何もしていません。劉備没後の北伐も、あまり成果をもたらさなかった、と言う評価。応変の将略(臨機応変な軍略)が得意ではなかった、とまで断じています。

一方、演義ではほとんど触れられなかった彼の政治手腕は卓抜で、不便な僻地にある国家「蜀」の充実に粉骨砕身する姿が描かれます。

特筆すべき点は3つ。まず、放縦な民衆の気質を憂慮して法を厳格に運用し、信賞必罰を明らかにしたこと。次に、異民族(演義では何番と呼ばれた人たちです)を手懐け、後方の憂いを断ったこと。そして、勝つのは儘らなかったとはいえ、魏と呉から国を良く守ったこと。彼の努力がなければ、蜀はもっと早々に滅びていたかもしれません。

そして、彼にはもう一つ大きな功績があります。それは、すぐれた後継者を見出したことです。皆さん覚えておいででしょうか?「演義」のクライマックス、「五丈原の戦い」で、いまわの際の諸葛亮が自分の後任に、蒋琬と費禕という2人の臣を選んだことを。

「蜀志」の2人の伝を読むと、両者が政治家としても軍師としても非常に有能なのが見てとれます。愚かだと言われる皇帝・劉禅の蜀が諸葛亮の死後30年も持ったのは、ひとえにこの2人の中興の統治によるものだと評価したいです。

ちなみに、「蜀志」には蒋琬・費禕と同時代に活躍した楊戯の手による「季漢輔臣賛」という書物が併録されています。「季漢」とは「末っ子の漢」の意。辺境の蜀であっても、漢の正統な後継国家なのだ、と自負する蜀臣・楊戯のプライドが感じられます。なお、ここには執筆当初に存命していた劉禅や家臣たちを除く54名の功績について書かれています。

それにしても、魏を中心に据える「三国志」において、魏のライバルかつ西方辺境の小国であった「蜀」について、このような異例の一編を差し込んだ陳寿のこだわりに、彼の故国を愛する想いというものを感じずにはおれません。

このように、陳寿の筆は表面的に簡潔なものでありながら、その内面にはきわめて複雑な要素が絡み合っています。それを読み解くこともまた、今後の三国志研究の思いもよらぬ進展を促し、さらには三国志マニアの知的好奇心を掻き立てるのかもしれません。

紫式部の「源氏物語」、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」と同じく、この「正史三国志」も読めば読むほど深みにハマり込む長編です。しかし、それこそ読書の醍醐味であり、ある種の実りと達成感を感じさせる最強の長編として、皆様には一度はチャレンジいただきたいと思います。

三国志を読もう!5

三国志の奥の院 正史の世界

今回からいよいよ、三国志の原点である「正史」を採り上げます。

「正史」は、中国・晋代の官僚・陳寿(233-297年)によって著されました。

陳寿は、代々歴史家の家系であった司馬遷や、名門の生まれで歴史書を著した尊属を持つ班固や范曄と異なり、中流の士族家庭の出身、と言われています。

よく語られるのは、蜀の武将・陳式の孫であるという説ですが、それは陳寿の伝を載せる「晋書」には見られません。ただ、どうも父親は有名な蜀の将軍・馬謖が街亭の戦いで大敗を喫し、諸葛亮から死罪を申し渡された(例の“泣いて馬謖を斬る”)際に、部下として連座させられた人であったようです。

そういう状況ですから、幼い頃の陳寿は父の受けた屈辱を晴らすため、必死に勉強に打ち込みました。そして、そんな陳寿に学問を仕込んだのが、譙周という人です。

なんとなく聞いたことがある名前ではありませんか?そう、三国志演義の大団円、落日の蜀に魏の大軍が押し寄せた際、進退窮まった皇帝・劉禅に降伏を薦めた人物です。

譙周は、大変な苦学の末に蜀に仕官した人で、諸葛亮存命中はパッとしませんでしたが、丞相没後は姜維の北伐を諫めたり、劉禅の放蕩に苦言を呈したりと、いわゆる御意見番としてのポジションを確立し、有能ぶりを発揮しました。

蜀の降伏を主張したことこそ、後世からぼろくそに叩かれていますが、劉禅に君主たる覚悟が薄く、朝廷では宦官が専横し、軍隊も姜維の強硬論により疲弊がひどく、民衆が苦しんでいる状況から鑑みて、彼なりに腹を決めたうえでの進言だったのでしょう。私はかなり近代的な思想を持った人物だと評価しています。

ともかく、こういう人に陳寿は師事しました。ところが、彼は学業こそ優秀だったものの、世事に疎く、世渡りがヘタであったため、蜀が存在する間はまったく就職できない、世間からは軽蔑される、という不遇に身を置きます。

見兼ねた友人が蜀を滅ぼした晋に陳寿を推挙し、彼はようやく才能を発揮できる場に恵まれます。ちょっと意外なエピソードですね。

働き口を得た陳寿は、まず地方史を編纂する仕事にとりかかります。そこで実績を積み、頭角を現した彼は多忙な仕事の傍ら、自分なりに前時代、すなわち三国時代の興亡史を後世に伝えようと、筆を執ります。それこそ、後世に大きな影響を与えた名著、『三国志』なのでした。

周囲からは、そのあまりに素晴らしい出来栄えに、「晋書はこの本の後に続けるべきであろうな」とまで評されますが、陳寿が生きている間、晋は勅撰のお墨付きを与えず、「三国志」は長らく私撰の扱いにとどまります。

ただ、「三国志」の評価は陳寿の死後いっそう高まり、約150年後の東晋の時代には裴松之という人が勅命により「注」を付け、唐の太宗(626年即位)の時代にはついに「正史」の認定を受けます。

最終的には清の乾隆帝の時代に、中国の王朝の正史24書として「史記」や「漢書」などと並ぶ歴史書として認められるのですが、著者・陳寿と同様、真っ当な評価を得るまでに相当の不遇を耐えねばならなかった、と言えるでしょう。

さて、ここまで陳寿による正史三国志の成立過程について簡単に述べてみましたが、次の回ではいよいよ、その中身について見ていきたいと思います。

三国志を読もう!4

演義の完訳版は岩波文庫から

前章では、三国志演義の入門編として、長い原典を分かりやすくコンパクトにまとめた子供向けのものをご紹介しましたが、今回はいよいよ全訳本を見ていきたいと思います。

まず、スタンダードなものから。前回、岩波少年文庫版でも訳者の一人を務めていた小川環樹さんと、金田純一郎さんによる演義の全訳です。なお、挿絵は「絵本通俗三国志」より葛飾載斗の版画が使われています。

さて、中身の感想ですが、学者さんによる昔の翻訳なだけに、若い方は言い回しにやや古めかしさを感じるかもしれません。しかし、このいかにも軍談物たる格調高い雰囲気は別格で、文章もウェットに停滞せず、流麗にリズミカルに進んでいきますから、全8巻、あっという間に読み尽くしてしまいます。最初に手に取る演義全訳としては、まず文句のつけようがないでしょう。

解説も充実しています。小川氏は、史記や唐詩の優れた翻訳や研究の第一人者ゆえに、成立背景や時代とのかかわりなど、かなり綿密に記述しておられます。解説がひとつの優れた読み物になっているというのも、なかなか稀有なことかと思いますので、岩波版をお持ちの方でこの解説を読み飛ばしてきた方は、ぜひじっくり読み直してみてください。

さて、続いては講談社学術文庫から出ている三国志演義全訳です。

訳者の井波先生は、有名な中国文学研究者で、この演義全訳の他にも「水滸伝」の全訳、さらにはちくま文庫の「正史三国志」の翻訳にも携わっています。研究実績から、我が国における三国志研究の第一人者と言って良い方です。

その井波版演義ですが、小川・金田版に比べて遥かに言葉が現代寄りです。それは決して、若者に迎合した砕けた表現ではなく、近代小説として無理のない自然な言葉が慎重に選ばれています。もし高校生や大学生に勧めるとしたら、井波版が最も無難かもしれません。

そして、私がこの版に最も信頼を置くのは、註の豊富さです。人物や地理、単位、何気ないセリフの意味するところまで、章ごとに懇切丁寧に解説されています。演義のより深い面白さを知るには、この註の存在は非常に大きく感じられます。

※ちなみに、これから中国四大奇書を読んでみようかな?という方には絶対お勧めしたい下記の新書も井波先生の著作です。数々のエピソードや当時の歴史的背景な織り交ぜ、四大奇書の面白さを様々な角度から検証しています。

続いて3種類目。こちらも中国文学の大権威・立間祥介さんによる大変有名な翻訳です。

この立間版がなぜ有名かと言いますと、以前、NHKで放送され、子供たちに大人気だった「人形劇三国志」の原作とアナウンスされていたからです。実際は、テレビ版の内容は全く別物でしたが、下の写真のように、出版元の徳間書店が表紙を人形劇で飾ったりしたため(初版)、原作と認識され、よく売れました。まあこういうところ、さすがメディアミックスのうまい会社だな、と感心します。

ただ、かつては非常によく読まれた立間版(徳間文庫)ですが、2018年現在、絶版になっているようです。これは非常に残念なことと言わざるを得ません。

余談ですが、徳間には他にも『史記』や『十八史略』、諸子百家などの優れた名訳が絶版状態で、一部はkindle(電子書籍)として出版しているようですが、一刻も早く、この素晴らしい事績を新しい形で復活させてもらいたいものです。

話を戻しましょう。立間版の演義は、小川・金田版と井波版との中間という感じ。文体は少し講談調なのですが、使われる単語はそれほど古めかしくない。小学生の男の子でもスリルを感じながら読める愉しさが備わっています。キャラクター同士の会話など、それぞれの性格が滲み出てくるようで、立間さん独特のセリフ回しが読んでいて面白いです。

個人的な話をしますと、立間版は中学生の頃、駅前のブックセンターで夢中で立ち読みしていたのを思い出します。黄色い電話帳みたいな本で、字も小さいのですが、それが大人の読む教養書のようなプレミアム感を醸し出していて、店員さんの迷惑も考えずにむさぼり読んでいました。当時の店員さん、ゴメンナサイ(。-人-。)

まあ、そういう思い入れも作用して、もし立間版が復活したら、私はこれをイチオシとします。あれ?小川版じゃないの?とお叱りを受けそうですが、実は翻訳自体はあれで文句ないのですが、どうも葛飾載斗の挿絵が邪魔になるんです。葛飾の絵は、中国のキャラクターではなく、日本の歌舞伎を想起させる絵のため、どうしても「三国志を読んでいる」という興が削がれてしまう。

その点、立間版は挿絵のあるヴァージョンは違和感のないものを採用してあり、訳文は先程述べたとおりの面白さですから、むろんイチオシとなります。ただ入手に難がありますから、若い方は井波版を、読みごたえ重視の方は小川&金田版を、というのが私の結論です。

さあ、今挙げた3つのヴァージョンの他にもまだまだ演義の優れた訳はあります。以下、簡単に紹介しておきましょう。

ここで翻訳を務めるのは、「封神演義」のリライト作家としても知られる、安能務。元々マイナーだった「封神」にあれこれアイディアを加え、すこぶる魅力的なエンタメ小説に生まれ変わらせた実力者ですから、この演義での飛躍っぷりもなかなかすごいです。

これは結構以前から出ているものです。著者の村上知行は大変な苦労人で、幼い時に父と死別、丁稚奉公に出るも病気で右足を切断。有名大学に進むような華やかな道のりは歩まず、旅回りの劇団に同行するなどして生活しながら、独学で中国語や中国文化を勉強した、という不屈の経歴の持ち主です。

その後も、何と政府や軍部に逆らって反戦の立場をとり(当時の世相を考えればすごい勇気です)、終戦後は執筆に専念。しかし最後は、ナイフで自らを刺して自殺するという、最期まで波瀾の人生を送りました。

しかし、そんな村上が訳した演義は、暗い影などなくあっけらかんとした文章になっています。かなり意訳が多く、癖の強い表現も見受けられるため、ファースト・チョイスには向きませんが、こういうものもあるという意味で、ぜひ挑戦してみて頂きたいです。

最後は、渡辺精一さんの訳です。上巻が「天の巻」、中巻が「地の巻」、下巻が「人の巻」で、並びが天地人となっております。

ところでこの渡辺精一さんという方、三国志に関する研究書や資料、そしていわゆるムック本を膨大に書いていて、おそらく三国志好きなら彼の本を一冊くらい手にしたことがあるかもしれません。

下の人物事典など、三国志の小説や同人誌をお書きになる方には必携の書かもしれませんね。それくらい綿密な内容です。

こういう方が訳する本ですから、中身は相当濃いです。井波さんの訳とかとは根本的に目指す方向が違うと言って良いでしょう。詩に重きが置かれ、註には正史との違いが事細かに指摘されています。

おまけに長い。おそらく初心者には手に負えないでしょうから、お薦めしません。ただし、それなりに三国志演義に親しんでこられた方にとっては、目からうろこの逸品になるでしょうから、ぜひチャレンジしてみてください。

以上で、演義全訳の紹介はおしまいです。

次回からはいよいよ三国志の奥の院であり総本山でもある、陳寿による「正史」について見ていきたいと思います。

三国志を読もう!3

最初の1冊は駒田信二版がお勧め

さて、小説の「三国志」に親しむ前に、原典の「三国志演義」を読みたいところですが、巷間、たくさんの演義訳本が出版されていて、どれから読んで良いのか見当がつきません。特にお子さんに読ませる際は、最初の1冊選びにとても苦労されると思います。

そこで、個人的なチョイスですが、演義入門としてまずこちらをお勧めしておきましょう。

ハッキリ言ってめちゃくちゃいい本です。訳者の駒田信二(1914-1994)さんは、中国文学の権威として知られ、「水滸伝」の翻訳で大変有名な方。

この「三国志」も基本に忠実な訳ながら、細かいセリフや用言の使い方が講談調で、読んでいて思わず手に汗握ります。

劉備が曹操に内心を気取らそうになり、顔が土色になるところや、伏皇后と吉平がクーデター発覚のため引き摺りだされる陰惨な場面、五丈原での孔明の臨終から三国の終焉がさりげなく描かれるエピローグ部分など、とにかく印象深い描写が多い名訳です。

そして、この駒田訳を引き立てるのが、井上洋介さん(1931-2016)の挿絵。井上さんは、あの素朴な可愛らしさで有名な「くまの子ウーフ」の絵を描いた人です。

しかし、この「三国志」での井上さんの絵にあの愛嬌はありません。大昔の道徳の教科書に出て来るような、ダダイズムというか、子供が見たら泣きそうな絵です。

この文と絵が醸し出す怪しい雰囲気が、中国四大奇書としての三国志の魅力をいっぱいに引き出していて、かつ長大なストーリーをびしっとまとめているので、私はまず第一にこの本をお勧めしたいと思います。

次にお勧めしたいのが、岩波少年文庫から出ている三国志。小川環樹さんと‎武部利男さんの2人による共訳で、上・中・下の3冊に亘ります。

ちなみに訳者の小川さんは史記や唐詩の研究で、武部さんは白楽天の詩の翻訳で、各々大変な評価を受けており、読み物としての面白さ満載の駒田訳に比べ、格調高くスマートなイメージの文章になっています。

やや長いだけに登場人物は多く、駒田版ではカットされた合戦描写もたくさん出てくるため、駒田版の後さらにこちらを買って知識を深めるのもアリです。

私が読んでいて面白かったのは、呉の武将・魯粛が人の良さにつけ込まれ、何度も孔明に煮え湯を飲まされる展開、あと臥竜鳳雛と称された軍師・龐統の活躍、粗暴な張飛が戦略家の面を発揮して老将・厳顔をハメるシーン。そして、駒田版では完全にカットされた、孔明亡き後の蜀の末路。劉禅が降伏した後、姜維が敵将の鍾会を抱き込んで、一か八かのクーデターを企てる流れは、読んでいてハラハラしてしまいます。ここをカットするなんてほんと勿体ない気がします。

この岩波版は、巻初に登場人物一覧を付けるなど、丁寧な作りです。中学生くらいのお子様に読書の楽しみを伝えるには、持ってこいかと思います。

さて、ハイライト版はこの2冊に代表させるとして、いよいよ完訳版のご紹介に参ります。

三国志を読もう!2

日本の三国志人気の源泉 三国志演義とは

前項で、日本における「三国志」普及に大きな役割を果たした「横山三国志(漫画)」と「吉川三国志(小説)」について書きましたが、この二つがなければ「三国志」は知られていなかったのか、と言いますと、決してそうではありません。

この2作品の元ネタ、「三国志演義」はすでに江戸時代に日本に輸入され、以降、庶民を中心に広く読まれている作品でした。

吉川英治も、少年時代に寝る間を惜しんで「三国志演義」を読み耽り、親から叱られたことを後年告白しています。

それほど大衆の心をつかんだ「三国志演義(以後、演義と略します)」ですが、成立年代は中国の明代、1300年代後半と古く、日本では「太平記」や「曽我物語」が書かれた時代にあたります。

後述する原典「正史三国志」については、すでに平安時代の貴族階級に読まれていたようですが、大昔の庶民は漢文なんてロクに読めません。演義もしかりです。それが、元禄年間になって、湖南文山(天竜寺の兄弟の僧の筆名)が我が国で初めて演義の訳本「通俗三国志」を出し、これがまさに爆発的なヒットを飛ばしたのです。

「通俗三国志」の人気はその後ますます加熱し、江戸後期の天保年間には葛飾北斎の弟子、葛飾戴斗挿絵による「絵本通俗三国志」が出版されます。これも飛ぶように売れ、普及しまくったので、東京の古書店などをまわると、今でも現物にお目にかかることができます。

絵本通俗三国志 全75冊揃 江戸後期 葛飾戴斗 – 日本の古本屋

やがて明治維新となり、中国どころか西洋の大作もどんどん翻訳されるようになると、「通俗三国志」も様々な出版社から出るようになります。中でも最も信頼を置かれたのは、「五重塔」で有名な文豪・幸田露伴によるエディションでした。

一流の文学者による近代的な校訂が加えられ、読み物でなく文学作品としての演義が漸く誕生した、という印象です。現代の我々が読んでも、文語体による格調高い文章が映え、十分面白いと思います。

その後、吉川英治による小説が登場し、劉備や曹操、諸葛亮の名前は誰もが知るところとなりました。さらに柴田錬三郎や陳舜臣の小説、また横山三国志やコーエーの歴史シミュレーションゲームの影響で、演義は女性や子供にまで熱烈なファンを増やし、中国古典文学ながら「論語」などと同等に、日本社会の中でステータスを得たのでした。

では、順番が逆になってしまいましたが、本場中国では演義はどのように読まれてきたのでしょうか?次項では、演義の成立史や様々な謎について見ていきたいと思います。

 

謎の多い「三国志演義」の作者や成立過程

日本で大人気の「三国志演義」ですが、成立は14世紀末、中国の明という時代だと言われています。

言われています、というのも変ですね。実は演義は、いつの時代の誰が何という媒体にどうやって書いたということが詳しくわかっていない作品なのです。

ザックリ言えば、晋の時代に成立した陳寿による歴史書「三国志」をもとに、後世、様々な伝承や語り芸が作られ、演義のひな形のような話が成立し、それらを明代の誰か、おそらく羅漢中だと推測されるが、その人物が一編の小説にまとめ上げたのが「三国志演義」である….。そんな感じでしょう。まったくもって不明瞭な解説です。

これは、同じ中国四大奇書として日本でも愛読者の多い「西遊記」や「水滸伝」でも一緒で、前者は呉承恩、後者は施耐庵らしい、と言われているだけで、確証はありません。施耐庵に至っては実在さえ疑われている始末です。

「西遊記」も昭和時代に小学生を経験した人なら、みんな作者は呉承恩で覚えていたはずなのですが、最近は否定説の方が優勢で、すでに権威である岩波文庫でさえ、翻訳者の中野美代子さんのお名前しかクレジットしていません。

では、演義の羅漢中は?と言いますと、少しは状況がマシで、「西湖遊覧志余」や「録鬼簿続編」という史料に物書きとしての彼の記録を見出すことができます。どうやら実在はしていたようです。

それでも、演義の作者として確たる資料は何一つ残っていません。それどころか当時の講釈師連中が、人付き合いも悪く、最後は出奔してしまった文士の羅漢中の名を借りて、演義を創作したなどという、シェイクスピアの都市伝説みたいな話がかなり信ぴょう性のある話として採り上げられているくらいです。

このように、作者については非常に心もとないのですが、ただ学会でもはっきりしているのは、演義は1300年代後半には成立していた、ということです。

そもそも、晋代の史官・陳寿(233-297)が後世に正当な歴史書と認められた「三国志」を著した後、その筆があまりに簡潔すぎるということで、劉宋の裴松之(372年 – 451年)という人が、当時の資料などを搔き集め、膨大な註を付したのですが、この註が面白いエピソード満載で、信憑性のある一級資料からジャンキーな説話までも含めてしまったため、後の荒唐無稽な民間伝承のきっかけを作ってしまったのです。

 

その荒唐無稽な部分は、お寺で僧侶が説法の格好のネタとして活用したり、語りを生業とする講釈師たちが面白おかしく語り広めることにより、ますます肥大化していきます。そして、中国が経済も文化も世界でトップクラスに登り詰めた宋代ともなると、「子供たちがうるさい時は銭を与えて講釈師を呼び、座らせて三国の物語を聞かせると、劉備が負けたと聞いて涙を流し、曹操が負けたと聞くや大喜びする」と大詩人・蘇東坡が書いたくらい、三国志は市民の娯楽として定着しているのでした。

やがて、蒙古が中国を支配する元代となります。この時代は文化が荒廃したと思いきや、逆に芝居小屋を中心とする演劇や演芸がものすごい発展を遂げた時代で、関羽を主人公とする戯曲がたくさん書かれます。また、「説三分」という三国志ものが講釈場の人気演題となり、その台本はとうとう書籍化されました。これが、『至治新刊全相平話三国志』、いわゆる「平話」と呼ばれるものです。

なんと、その当時の「平話」は我が国の国立国会図書館に収蔵されており、ネットで読むことができるんです!

至治新刊全相平話三国志 – 国立公文書館 デジタルアーカイブ

「平話」は、劉備の蜀を正統とする蜀漢正統論に基づいて書かれています。つまり、陳寿が正統とした魏の曹操は完全な悪玉。しかも、最後に統一するのは晋ではなく、五胡十六国の前趙の劉淵となっています。劉淵は、滅びた蜀の末裔という設定ですが、史実的には匈奴の人間であり、ここまでくれば蜀びいき極まれりといった感じです。

そんな「平話」ですが、あの魅力あふれる燕人・張飛が大活躍。その活躍ぶりは、劉備・関羽を凌ぐほどです。しかも、ストーリーも魔術あり妖術ありで、やりたい放題の展開。ただ重要なのは、それだけハチャメチャであっても、すでにこの「平話」によって、現代の我々が知っている三国の物語がほぼ完成しているという事実です。

 

そして、三国志演義は出来上がった

このような三国物語の市民階級への普及の過程を経て、宋の次の明代の文士であった「羅漢中」と思しき人物が演義をまとめ上げたというのが、現時点での定説です。

演義は、「平話」の血沸き肉躍る要素をギリギリのところでセーブしながら、読み物としての面白さをあの手この手で引き出し、さらには荒唐無稽なネタから文学としての脱皮を図らんとおそらく正史などを読み直して史実との整合性を高め、雄大なロマンあふれる作品として、陳寿の正史から1000年もの月日を経て漸く完成しました。

三国志演義は、四大奇書とか通俗小説とか言われていますが、次から次へのハラハラドキドキの展開や、「君と余だ」の際の劉備の動揺、曹操と関羽の間の情義、泣いて馬謖を斬るのくだりなど、一流の文学者、知識人しか描けないような優れた心理描写もあり、私は「ドン・キホーテ」と並ぶ、中世冒険小説の傑作だと思っています。

ここまで「三国志演義」の成立史は見てきたわけですが、次に巷にあふれる「三国志演義(作家によるオリジナル作品は除く)」について、じっくり見ていきましょう。

三国志を読もう!

日本で大人気の横山・吉川三国志

古代中国の三国時代。漢王朝の衰退によって各地に群雄が割拠し、長い混沌の末、大陸は曹操の魏、劉備の蜀、孫権の呉の三国に分裂する。再び戦乱は続き、最後に中国を統一したのは、皮肉にも魏をクーデターで倒した司馬氏の晋であった。

そのおよそ100年にわたる戦乱の歴史(180年頃 – 280年頃)を、ロマンあふれる展開で描いた「三国志」。わが国では、小説、漫画、ゲーム、アニメ、ドラマ、映画など、あらゆるヴァージョンでメディア展開され、長年に亘って多くの人に愛好されてきました。

この章では、全部はとても紹介しきれませんが、我が国における「三国志」の受容史について。すなわち「三国志」と言えばコレ!という作品をいくつか見ていきたいと思います。

昭和生まれの「三国志」好きなら、ほぼ例外なくこの作品で「三国志」の深みにハマった、と思います(笑)。

この作品は、日本を代表する漫画家、横山光輝(1934-2004)が遺した歴史エンターテインメントの傑作です。

横山先生は、昭和までは「鉄人28号」や「魔法使いサリー」のような、比較的低年齢層向けの作品で広く知られていたのですが、21世紀の今日では、「横山光輝=三国志」というイメージでほぼ定着しています。

それだけ「横山三国志」の持つインパクトは大きく、全60巻という途方もない長さでありながら全く飽きさせない内容で、荒唐無稽に陥らないしっかりした考証にも好感が持てます。また現代の若者にもウケる普遍性も兼ね備えており、今後も世界中で広く読み継がれていくのは間違いないでしょう。

ところで、この「三国志」。皆さんご存知のことと思いますが、横山先生のオリジナル作品ではありません。わが国屈指の大衆小説作家、吉川英治(1892-1962)の小説「三国志」をベースに作り上げたものです。

※吉川英治については、このブログでも記念館の訪問記を5回に亘って書いておりますので、そちらもご覧ください。

吉川英治記念館(東京都青梅市)訪問記(1)

吉川英治は、1892年(明治25年)生まれ、1962年(昭和37年)に亡くなった歴史小説の大家です。「三国志」の他にも、「宮本武蔵」、「新・平家物語」、「私本太平記」、「新書太閤記」など、数多くの傑作を世に送り出しており、晩年は「国民文学作家」と呼ばれるほど、多くのファンを獲得しました。2012年を以て没後50年が経過し、今ではその作品のほとんどを青空文庫で無料で読むことができます。

そんな彼の代表作「三国志」は、昭和14年から中外商業新報(現・日本経済新聞)に連載されました。

昭和14年と言いますと、太宰治が「女生徒」や「富嶽百景」を、海野十三が「火星兵団」を、海外ではアガサ・クリスティが「そして誰もいなくなった」を発表するなど、エンタメ色の強い小説や読み物的な時代小説が急激に普及し始めた時期に当たります。明治・大正の文豪時代から間もないのに、もの凄い進歩です。

しかし、そんな時代にあっても、「三国志」を自分流に書き直そうとした英治の構想は、相当大胆で型破りなものであったと思われます。今の我々の眼から見ても、戦前に突如、このような作品が書かれたこと自体が驚異です。

結果として「吉川三国志」は大当たり。1943年まで4年間の長期連載となり、今では「三国志」と言えば吉川版と言われるくらい、スタンダードとしての地位を確立しました。

さて、そんな「吉川三国志」ですが、今日ではいくつかのヴァージョンで読むことができます。

少し前までは、「吉川三国志」と言えば、講談社の吉川英治歴史時代文庫でしか読むことはできませんでした。

昭和の終わり頃までは、講談社文庫版(写真上)と、吉川英治文庫版(写真下。歴史時代文庫の前のヴァージョン)の2種類があったのですが、平成元年頃に今の歴史時代文庫にリニューアルされ、これらは絶版となっています。

それから何と約20年もの間、「吉川三国志」は歴史時代文庫1種類しかない、という状況が続いたのです。

ところが2008年になって、講談社文庫から「新装版」と銘打たれた新バージョンが突如、発売されました。これは一般に「レッドクリフ版」と呼ばれています。

2008年、三国志の中盤のヤマ場と言われる「赤壁の戦い」に焦点を合わせ、巨額の製作費をかけて作られた中国映画、「レッドクリフ」が公開され、大きな話題を集めました。その人気にあやかったのか、講談社は吉川英治の「三国志」を久々に講談社文庫で復活させます。それが、このレッドクリフ版です。

ところが….。

このレッドクリフ版はさんざんにこき下ろされます。

実は、「吉川三国志」は後半の主人公、諸葛孔明が五丈原で歿するところで一応の大団円となるのですが、その後の三国の行方について、英治は「篇外余禄」というコラムのような章を設けて、俯瞰するように淡々と書いています。

その「篇外余禄」を、こともあろうにレッドクリフ版はばっさりカットしてしまったのです。

これには吉川ファン、三国志ファンが激怒し、講談社は大バッシングを受けました。出版社の都合はあったと思いますが、この「篇外余禄」は「吉川三国志」のキモであり、作家のことを理解していないととられても仕方ありません。

しかしその後、吉川英治の著作権が消滅し、あちこちの出版社から彼の作品が出せるようになり、新潮文庫の「三国志 全10巻」でついに「篇外余禄」付きの完全版が復活、ファンも久々のヴァージョンアップに漸く留飲を下げました。

ところでこの新潮版、表紙が今風でかっこいいですね。字が大きいので、講談社8巻に対して10巻ですが、随分と読みやすくなっています。紙の本ではこの新潮文庫版と吉川英治歴史文庫版がベストだと思います。

あと、最近では電子書籍版も出ました。

合本版はびっくりするほど安いです。しかし、吉川英治歴史時代文庫に準拠した正規版ですので、誤字脱字もなく、満足度の高いクオリティになっています。kindleをお持ちの方は、まずはこれで読まれるとよいでしょう。

さて、次回はさらに吉川三国志の原典、羅漢中による「三国志演義」の翻訳本について見ていきたいと思います。