吉川英治の生きざまを刻んだ素晴らしい記念館
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☆吉川英治記念館(東京都青梅市)訪問記(2) 羽田空港から青梅駅まで はこちら
★吉川英治記念館(東京都青梅市)訪問記(3) 青梅から二俣尾の散歩みち はこちら
【吉川英治記念館は2019年3月をもって閉館しましたが、2020年(令和2年)に青梅市吉川英治記念館として再開館しました】
やっと記念館に到着。それほど山奥にあるという感じではありません。
記念館の前の道路は結構渋滞していて、近くにはコンビニもあるほどです
ただ、入り口では椎茸やワサビが売ってあって、こういうところに長閑さを感じました。
さて、受付でチケットを買って(何と500円!)館内に入ると、そこは見事なお庭。
手入れも行き届いていますし、四季の移ろいとともに植物も変化し、大変見ごたえのある景色です。
さらに、立派な木や美しい花の向こうには、大きくでんと構えたお屋敷が見えます。
案内板が立っていて、その建物が「母屋」であることが分かります。
実はここ、吉川英治が昭和19年3月、家族と共に東京赤坂から疎開し、昭和28年8月まで生活していた所です。
元々は農家であったのを英治が買い取り、ここで子供たちと大事な時期を過ごしています。
ちなみに英治は大変な子煩悩で有名です。
母屋の中には、子供たちと遊ぶ英治の写真が数枚飾られていて、大変ほほえましいです。
母屋をひとしきり眺めた後、奥に進みますと、今度は書斎が現れます。
書斎は明治期の建物で、入口には立派な瀬戸で作られたタイルが敷き詰められています。
中を覗くと、勉強家の英治なだけに、手元や本棚にはたくさんの小難しい資料研究書が並んでいました。
「足利時代之研究」という本は、「私本太平記」の参考にしたのでしょうか?
吉川英治という作家は、戦前においてすでに国民作家たる地位を築いていました。
彼の代表作たる「宮本武蔵」、「三国志」、「新書太閤記」はすでにこの疎開以前に発表されています。
しかし、日本の敗戦という事実は英治の魂を大いに揺さぶり、彼に「断筆」を選択させることになります。
実際、年表を見ますと、敗戦直後は発表作品が空白になっています。
英治はこの青梅の地で自分を、そして日本という国を再度見つめ直し、晴耕雨読、雌伏に耐えたのです。
やがて機は熟し、これまでの作風よりさらに進化した「新・平家物語」の執筆にとりかかります。
彼は、熱い人間のドラマ、息詰まる戦いの描写だけでなく、平和への祈り、人間の「業」も厳しく描きました。
この作品は「週刊朝日」に7年にわたって連載されます。
講談社・吉川英治文庫で全16冊の大作となり、戦後の英治の復活を鮮烈にアピールすることになりました。
さて、いよいよ見学も大詰めです。
上の写真のとおり、大きな椎の木と大仏殿の瓦を通り過ぎ、奥の記念館に到達します。
なお、瓦は英治と名コンビだった挿絵担当の画家、杉本健吉画伯の寄贈とあります。
残念ながら、写真はここまでとなります。ここから先は撮影禁止です。
しかし、館内にはファンなら涙が出るお宝がたくさん展示されていて、もう子供のようにハシャいでしまいました。
「新・平家物語」、「宮本武蔵」の原稿が展示されているんですよ。
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英治は達筆ですね、そしてあの数々の名文句が著者自らの筆で、まるで原稿用紙から躍動するようなんです。
ほかにも、英治の戸籍なんて飾られています、手紙も書もありました。すごい、ほんとうにすごい!
館の一番奥には図書室みたいな部屋があって、昔の吉川英治文庫が全冊揃っていました!懐かしい!
このシリーズはいまはもう絶版になっています。
薄黄色、ベージュの装丁で、表紙絵はスタイリッシュで味があります。あと挿絵も入っているんですね。
私はこのシリーズが大好きだったので、懐かしい旧友にあった気分でウキウキしてしまいました!
もっと書きたいことはあるのですが、ここで私の執念の旅日記は終わりとなります(笑)。
感想は大満足です、また何度でも行ってみたいですね。
皆様もお時間が許せば、ぜひゆっくりと訪問してみてはいかがでしょうか?
くわしくは、記念館のサイトもありますので、こちらもあわせてお読み頂けると助かります。