皆さんお馴染み「○○語四週間」の会社です。
大学書林という会社をご存知ですか?
大学書林 公式ウェブサイト
Wikipediaでは、東京都文京区小石川にある語学の専門の出版社。主に文法書・辞典・語学関連の文庫を出版している、とあります。創業は昭和4(1929)年。
この会社の出版物で代表的なのが、「〇〇語四週間」シリーズです。都会のちょっと大きめの本屋さんの語学書の棚を覗けば、見つけることができるでしょう。
しかし、参考書戦国時代の今、あえて積極的にこのシリーズで○○語を学ぼうと言う人は少ないのではないでしょうか?
なぜなら、上の「ビルマ語」が示すように、出版年があまりに古い。「ロシヤ語四週間」を読んだことがあるのですが、「これはコルホーズの土地です。いたるところ元気な歌が響いている。」みたいな、いつの時代だよ!と突っ込みを入れたくなるような文章が、そのままで売られています。
さらにCDやウェブサイトによる音声対応がなく、わずかにテープの対応が示唆されているのです。このご時世にテープ!また、おそらく当該テープの入手も困難を極めると思います。
ただ、次に掲げるような方にとっては、四週間シリーズは貴重な存在ではないでしょうか。
①広東語、ゲール語、ペルシア語、現代ウイグル語など、他の出版社から出ていないと思われる言語をどうしても学びたい方
②ソ連時代のままの「ロシヤ語四週間」のように、古い時代の語学書に対し、マニア的蒐集欲をそそられる方
私は後者です(笑)。
ハッキリ言って、例えばドイツ語を学ぶなら、イラスト・音声豊富、見やすいデザインに親しみやすい例文満載の良書がゴロゴロあり、あえて「ドイツ語四週間」を選ぶ必要はありません。
「ドイツ語四週間」は、字体がいかにも昔のものですし、イラストも手書きっぽい。内容もやや難解で、この分量が4週間で終わるわけがない。
でも、そこがいい!
おそらく1950年代~80年代初頭くらいまでの学生は、鉛筆舐め舐め、辞書引き引き、悪戦苦闘しながらこの無愛想な参考書に挑み、ドイツ語を血肉にしていったんでしょうね。今の手取り足取り過保護な参考書からは得られない、真の学びがこの「四週間」に詰まっている!……のかもしれません。
余談ですが、英語学習においても同傾向の名著があります。年配の方なら使ったことがあるかもしれません、1964年6訂版が2010年頃に復刊されました(旺文社)。
原文でも読んでほしい!フローベールの「純な心」
さて、このようにかなりマニアックな大学書林ですが、なぜこの令和文藝館で採り上げたかというと、この出版社は「語学文庫」というシリーズを出しており、世界の名作の数々が原文+和訳付きで楽しめるのです。
「でもそれなら、他の出版社からも出ているよ」と仰る方もいるかもしれません。現に、書店に行けば世界名作の原文+和訳の本はごまんとあります。
しかし、大学書林の凄いところは、名作でありながら他の出版社が手掛けないようなマニアックなラインナップをズラリと揃えているところなのです。
語学文庫は、やはり古めかしいところはあるとは言え、全体的には非常に読みやすい。また、註も極めて丁寧で、それを見ながら原文に触れることは、自分ならではの作品理解に繋がります。
語学文庫はまさしく名著の宝庫で、まず皆さんにどれを勧めたらよいか正直迷いますが、今回は珠玉の一冊、フローベールの「純な心」に触れておきましょう。
作者のギュスターヴ・フローベール(1821年12月12日 – 1880年5月8日)は、かの有名な「ボヴァリー夫人」を書いたことでも知られます。
当時としては淫靡に過ぎた「ボヴァリー夫人」の執筆により、風紀紊乱・宗教冒涜の罪に問われたフローベールでしたが、無罪を勝ち取り、その後は「ボヴァリー夫人」の斬新な表現技術と優れた心理描写、ドラマティックな展開が大衆から評価され、一躍、時の人となりました。
その成功の20年後、彼は「三つの物語」という短編集を発表します。「聖ジュリアン伝」、「純な心」、「エロディアス」の3篇から成り、今回採り上げる「純な心」は、特に単体で昔からよく読まれてきました。
あらすじは、フェリシテという不遇な女性の一生を描くものです。
彼女は少女時代、孤児となってある小作人のもとで働くことになりますが、そこでのつらい経験、恋した男性からの裏切りに耐えられなくなり、農場を去ってオーバン夫人の召使として仕えます。
あまり楽しいようには見えない環境のもと、彼女は懸命に働きます。それはまるで神に奉仕する修道女のよう。そして夫人の二人の子供たち、自身の甥に彼女は限りない愛を捧げます。
彼女は不遇を不遇と嘆かず、ささやかな幸せに満足していました、ただ、贈り物のオウムが死んでしまったあたりから暗雲が立ち込めるようになり、やがて周りの人たちも次々に世を去っていきます。主のオーバン夫人までも…。
ついに一人ぼっちになってしまったフェリシテ。寂しく、オウムのはく製にすがるしかない彼女が最後に見たものとは何だったのでしょうか。
本当に後半は胸が締め付けられるほど切ないです。人生とは何か、幸せって何だろう、と深く考えてしまいます。
この作品は本当に素晴らしく、ぜひ子供さんにも読んでもらいたい。そして、美しいフランス語の表現を楽しみながら、フローベールの世界観に浸ることができるこの一冊は、一人でも多くの読書好きに読んでもらいたく思います。