平家物語の想い出(3)

「平家物語」周辺を彩る古典たち ~保元・平治物語~

前回、「平家物語」の現代語訳集を紹介しましたが、他にも武士の台頭から治承・寿永の乱を経て、源頼朝が歿するまでの50年間の出来事を描く古典は数多く存在し、その中には「平家物語」に匹敵する面白さを持つ作品もあります。

まずはその中のひとつ。保元の乱を描く「保元物語」から見ていきましょう。

源氏と平家の戦いは元々、皇族及び藤原氏一族の争いに端を発します。

皆さん日本史で学んでおられる通り、白河上皇という人が始めた院政は、その後の皇位継承に大きな影を落とし、そのピークとして後白河天皇と崇徳上皇との間に生じた軋轢は、同時期に勢力争いを繰り広げていた摂関家、藤原忠通と藤原忠実・頼長を巻き込み、深刻な政情不安を生み出しました。

鳥羽法皇

そして事態は、鳥羽法皇(1103〈康和5〉年~1156〈保元元〉年)の崩御により、一気に緊迫の度合いを増します。鳥羽法皇は、3歳の近衛天皇に即位させるために崇徳天皇に譲位させ、近衛天皇の早逝後は後白河天皇を即位させることで崇徳上皇の院政を潰した人物です。法皇の生前は、その権力の大きさの前に皆、ひれ伏していたものの、いなくなればもはや抑える力は働きません。

「保元物語」で最初に動いたのは崇徳上皇と藤原頼長でした。なにせ鳥羽法皇の院政下、不遇をかこっていたふたりです。敵対する後白河天皇と藤原忠通(頼長の兄)の勢力を潰すべく、僧兵や武士を集め始めます。

実は、史実では後白河側の方が頼長勢力を駆逐したのが先で、頼長と崇徳上皇側が追い詰められて戦を起こしたのが真相です。でも、そこはエンターテインメントとしての軍記物。正義の御旗を掲げて、崇徳側が聖戦を仕掛ける展開の方が読みごたえがあります。

「平家物語」の鹿ケ谷事件、「太平記」の日野兄弟の調略と同じく、この合戦前夜の陰謀のシーンはとても面白く脚色されています。

そして保元元(1156)年、保元の乱は起こります。

戦の主役は皇族・貴族ではなく武士。しかし、戦国時代のように、まだ武士そのものには覇権を競うほどの力はありません。彼らは主に従うしかなく、肉親で相まみえる悲劇すら起こります。

例えば、源為義・為朝親子は長子の源義朝と。平忠正は甥の平清盛と戦います。

そうした厳しい史実が横たわるだけに、本来なら物語は陰鬱になるはずですが、筆巧みな著者は強弓の名手、源為朝を暴れまわらせることで、極上の活劇に仕立てることに成功しました。

ここで描かれる為朝の活躍があまりに鮮やかなので、後世、滝沢馬琴によって「椿説弓張月」という勇壮な物語が書かれたほどです。

それにしても「保元物語」の為朝は、ヘラクレスやアキレウスを彷彿とさせる、もはや神話の英雄級に描かれています。

爲朝は七尺計なる男の、目角二つ切たるが、かちに色々の糸をもて、獅子の丸を縫うたる直垂に、八龍といふ鎧を似せて、しろき唐綾をもてをどしたる大荒目の鎧、同じく獅子の金物打たるをきるまゝに、三尺五寸の太刀に、熊の皮の尻ざや入、五人張の弓、長さ八尺五寸にてつく打たるに、卅六さしたる黑羽の矢負、甲をば郎等にもたせてあゆみ出でたる體、樊噲もかくやとおぼえてゆゝしかりき。

謀は張良にもおとらず。されば堅陣をやぶる事、呉子、孫子がかたしとする所を得、弓は養由をも恥ざれば、天をかける鳥、地をはしる獸の、おそれずと云事なし。

そんな豪傑を迎え撃つのは若き日の平清盛と源義朝。ふたりの英雄は、武勇に加え、知略で崇徳上皇軍に挑みます。しかし、目の前に現れた為朝の剛勇は尋常ではない。勝負は一瞬の機転と運命により決しますが、この大立ち回りは読みごたえ十分です。

 

さて、保元の乱が終わり、世の中が平和に落ち着いたかと云えば、そんなことはありません。勝者側の源義朝と平清盛が覇権争いを始めます。さらにまたしても、藤原一族の内部闘争が絡んできます。

保元の乱で一躍、権力を掌握したのは信西(しんぜい 嘉承元〈1106〉年~平治元〈1160)年、俗名は藤原通憲)でした。歴史読み物などでは、彼は君側の奸、大悪人のように書かれることが多いですが、当代きっての学者としても知られます。歴史書「本朝世紀」や法律書「法曹類林」をまとめあげたのは信西の業績です。

討たれた信西

その信西と対立したのが藤原信頼(長元6(1133)年~平治元(1160)年)。彼は後白河上皇の寵愛を得ており、保元の乱で勝利を収めた藤原忠通の権勢を削いだほどです。そんな彼にとっての最大の目障りが、同じく上皇の寵愛を受け、先の戦勝者として平家を味方につけていた信西でした。

信頼は信西勢力の強大化を恐れ、源義朝を煽って挙兵。後白河上皇を幽閉し、信西を殺すなど、疾風怒濤の勢いで義朝とともに権力を奪取します。信西の最後は哀れで、追手から逃れ、空気穴の空いた土中の箱の中に潜伏していたものの、見つかって掘り返され、首を切られたと言います。

しかし、そんな暴挙がいつまでも許されるはずがありません。熊野参詣に赴いていた平清盛が踵を返し、京都に帰還したことで、世に有名な平治の乱が勃発したのです。

今日ご紹介する2冊目、「平治物語」はこの「平治の乱」を描いています。

平治物語の最大の見どころは六波羅合戦です。ここで活躍するのは源義朝、平清盛ではなく、その息子の源義平(悪源太義平)と平重盛の2人の若武者。その血沸き肉躍る大立ち回りに読み手は興奮することでしょう。

それにしても、「保元物語」「平治物語」を通しで読んで、当初、家督を継ぐことすら危ぶまれていた清盛が、立ち回りの巧さと冷静な計算により立身出世したことにはいろんな意味で感服します。徳川家康と同じく我慢する時期は我慢し、ライバルの自滅を誘い、人心を巧みに掌握して天下取りに成功したこと。

清盛=大悪人と言うフィルターを取り除き、例えば自己啓発、企業経営のバイブルとしてこの2作を読むのも新鮮かもしれません。

そこで最後に清盛という人物を現代的な尺度からとらえた面白い本をご紹介しておきましょう。驚くほどカジュアルな口調で、まだ貴族社会の複雑な社会構造が残る平安末期の様相を解説してくれる良本でもあります。

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