岩波文庫版「太平記」ダイジェスト
今回は、誰でも書店で簡単に購入できる唯一の完全版「太平記」、岩波文庫版について詳しく見ていこうと思います。
最近、角川ソフィア文庫と光文社古典新訳文庫から分かりやすい現代語訳版が出版されたので、あえて難解な岩波版に手を出さなくても、という気もしないではないですが、原典を漏れなく収録し、第一線の研究者の丁寧な校訂が付いた岩波版は、「太平記」を読み解くうえで無視できません。
岩波版は室町初期の「西源院本」に基づいています。
この「西源院本」は京都市右京区の龍安寺の塔頭西源院に伝わった古写本で、「太平記」の重要な写本として知られています。しかし、昭和7年の火災によって一部が焼失してしまい、その後、昭和11年に復刻が行われたものの、元のテクストを正確に反映していないかもしれない、という批判が研究者から寄せられるようになり、今でも熱心な議論が続いています。
満を持して登場した岩波文庫版は、その「西源院本」に基づいて製作されているため、ネットの一部には、「大丈夫なのか?」と心配する声もありました。
しかし、太平記研究の第一人者である兵藤氏は、焼失前のオリジナルの西源院本のテクストをより正確に反映させるため、他の写本との比較を通じて文体や語彙の違いを明らかにし、原典に近い形での再現を目指しているので、私はじゅうぶん信頼に足ると考えます。
ちなみに、兵藤氏が過去に書いた『太平記<よみ>の可能性』という新書は、内容の充実度が群を抜いていて、当時のベストセラーになりました。それだけ、兵藤氏はこの作品のこと、この時代のことは知り尽くしており、「太平記」研究においては、まさに第一人者と言える方です。
今回の校訂も、ただ単に文字を正すだけでなく、歴史的背景や文化的文脈を考慮に入れた註が充実しており、初めて「太平記」を手にする読み手であっても、面白く読めるのではないでしょうか?
前置きが長くなりました。それでは、以下に各巻のダイジェストをまとめていきますので、一緒に見ていきましょう。
第1巻:(原典 第1巻~第8巻)
前段は、鎌倉末期の世の中を牛耳る北条高時と内管領・長崎高資の悪政と、それに立ち向かう後醍醐天皇の討幕運動を中心に展開されます。日野兄弟の暗躍や楠木正成の知略は、ハラハラドキドキで読むのをやめられないほど面白く、「太平記」の最もエンタメな魅力が詰まっています。
後醍醐天皇の反旗後は、千種忠顕の京都攻めと大敗、児島高徳が桜の木に落書きする場面など、有名なエピソードが続きます。しかし、何と言っても楠木正成の大暴れが最高に面白く、少人数で知恵を凝らして籠城戦術や落石作戦によって幕府軍を翻弄するシーンは、胸のすくような展開です。その命知らずの勇気と正義に殉じる生き様には、誰もが魅了されることでしょう。
第2巻:(原典 第9巻~第15巻)
2巻では、後醍醐天皇に並ぶ主役キャラ、足利尊氏が登場します。彼は元弘3(1333)年、幕府の命に背き朝廷側として戦う決意をし、挙兵。そこに有力武士の新田義貞や赤松円心までが加わり、激戦の後、鎌倉幕府はついに滅亡します。
これによって、140年も続いた武士政権が滅び、後醍醐天皇は悲願の親政(建武の新政)を始めることになりますが、その内容は勲功の高い武士たちにとって喜ばしいものではありませんでした。次第に政情は不安となり、何と後醍醐頼みの尊氏が真っ先に反旗を翻します。
第3巻:(原典 第16巻~第21巻)
建武3(1336)年、満身創痍の楠木正成が奮戦の末、湊川の戦いに敗れ、自害する場面から始まります。エースを失った南朝勢力はみるみる衰退し、ばさら大名・佐々木道誉による延暦寺焼き討ち事件も起きるなど、世の中はますます混沌としていきます。
さらに、道半ばにして後醍醐天皇が病死。物語全体に秋風のようなものが漂い始めます。
私たちが昔、児童書などで読んできた「太平記」はこの辺りで話が打ち切られ、一気に足利義満による太平の世のおとずれまで強引にワープしていました。しかし、原典はそうはいきません。ここから怪異で読み手によっては冗長な物語が始まります。
第4巻:(原典 第23巻~第29巻 ※第22巻は欠巻)
楠正成の子正行による挙兵から始まります。彼は父の十三年忌に兵を挙げますが、山名時氏と細川顕氏の軍を破ったところまでは良かったものの、高師直・師泰兄弟との戦闘で敗北。討ち死にします。
その後、師直は南朝の皇居を焼き払うなど暴挙に出ますが、こうした素行の悪さから足利尊氏の弟・直義と激しく対立。世に言う観応の擾乱が起こります。
対立する直義は、兄・尊氏との不和から何と南朝に接近していました。師直にとっては、ますます追い風の状況。しかし、戦況は彼に味方しませんでした…。
さて、この岩波第4巻にはなぜか原典の巻22が収録されていません。これは俗に「太平記」22巻の謎、と言われています。別に編者の兵藤氏が勝手に省いているわけではなく、古い時代の、原典に近い様々な「太平記」から、すでに22巻が収録されていないのです。その理由も謎。いったい何が書かれていたのでしょうか。
第5巻:(原典 第30巻~第36巻)
前段で華々しい活躍を見せた高師直・師泰兄弟は討たれ、そして「太平記」の悪の主役であった足利尊氏まで死を迎えるなど、物語は大きく転換していきます。将軍には尊氏の子、義詮が就任。
南北朝の争いがダラダラ続く中、京都では大火や疫病、大地震なども発生し、民衆の不幸な様子が偲ばれます。この巻の読みどころは、「神霊矢口渡」のエピソードやバサラ大名・佐々木導誉の傾奇者のような生き様など、まさに混乱した時代の無軌道さでしょう。
さて、この第5巻には見逃せない記述があります。それが第36巻の「大地震並びに所々の怪異、四天王寺金堂顛倒の事」です。これは1361年に発生した「正平地震」のことを記載しており、南海トラフ沿いで発生。直後の津波が凄惨な犠牲を生み出したことを記述しています。
「山は崩て谷を埋み、海は傾て陸地に成しかば、神社仏閣倒れ破れ、牛馬人民の死傷する事、幾千萬と云数を知ず」
第6巻:(原典 第37巻~第40巻)
観応の擾乱で敵味方相まみえ、混沌とした戦況が続いていたのが、有力守護大名たちの没落、将軍義満の登場により、ようやく「太平」の世が見えてきます。細川頼之が管領職に就任し、その政治手腕によって乱世から平和へと移行する過程が強調されます。
人間の修羅の部分ばかりを描いてきた「太平記」ですが、仏門に入った北朝方の光巌院が、南朝方の後村上天皇と涙ながらに対面するラストシーンは感動的です。
すなわちこの最終巻は、「中夏無為」の太平時代への移行を描きます。まさに「歴史文学として完璧な締めくくり」と言えないでしょうか。