祝!100投稿目は 金庸「射鵰英雄伝」

中国を代表する国民的作家「金庸」

私の「令和文藝館」も、これがちょうど100投稿目になります。

せっかくの節目ですので、どういうネタで行こうか散々思案したものですが、かつてドはまりした金庸(きんよう)の大ヒット作、「射鵰英雄伝」を採り上げることにしました。

金庸と言っても、日頃から漱石やドストエフスキー、プルーストと言った文学本流のネームに親しんでおられる方には「?」かもしれませんね。

しかし、本場中国でおそらく金庸の名前を知らない人はいないでしょう。日本で言えば、司馬遼太郎や吉川英治みたいな、歴史エンターテインメント小説界の大重鎮。それが金庸です。

金庸

金庸(1924年3月10日 – 2018年10月30日)は、浙江省海寧県袁花鎮に生まれました。若い頃は外交官を目指し、何度もトライしますが、挫折。一転、新聞記者を務めながら小説の執筆を始めます。

そんな金庸が取り組んだ小説のジャンルは武侠小説と呼ばれるものでした。武侠小説とは、文学ジャンルではドイツ教養小説に近いですが、単刀直入に言って、日本の漫画の「ドラゴンボール」や「ワンピース」に近いと言った方がイメージしやすいかもしれません。

天賦の武術の才能はあるものの、それに気付かない主人公。ところがある日、彼の住む平和な村が悪漢たちに襲われ、親兄弟が殺されてしまう。命からがら逃れた主人公は復讐のため武術を習い、国中を放浪するが、各地での出会いやピンチは彼を成長させる。強敵を乗り越え、ようやく仇の大ボスに辿り着いた主人公は、MAXに達した心技体を発揮し、世紀の大決戦を迎えるのであった…。

武侠小説とは、おおよそ上記のようなストーリーのパターンを踏みます。ただ戦闘するだけでなく、甘酸っぱい大恋愛や恋の鞘当てがロマン性豊かに展開するのも大きな魅力です。

ほぼ金庸の日本出版作品は読んだ私から見ても、たしかに金庸作品の主人公は孫悟空やケンシロウ、ルフィの人物像にどことなく似ています。また、魅力的な敵キャラ&仲間キャラも、黄金聖闘士やラオウ、アシュラマン、クリリンを彷彿とさせます。

こんなことを書くと、「あれ?もしかして中国で大人気な日本の漫画を、金庸ら武侠小説家たちはパクったんじゃない?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、いえいえ、中国武侠小説の下地はそんな浅いものではありません。数百年もの歴史と根強い民衆文化によって育まれたものなのです。

中国では、いわゆる四大奇書、「三国志」「西遊記」「水滸伝」「金瓶梅」といった大冒険小説が古くから民衆に読まれていました。歴史との整合性が重視されるため、ファンタジー性こそ薄いものの、例えば劉備や孫悟空が仲間たちと冒険し、戦いを経て成長し、目的を達するRPG的な展開は、武侠小説の原型と見ることができます。

特に「三国志」や「水滸伝」はわが国に輸入され、「里見八犬伝」などのジャパナイズ作品を経て、昭和平成の漫画やゲームに大きな影響を与えたことは、以前書きました。

寝る間を惜しんで水滸伝 第4回

古典だけではありません。日本人も大好き、香港のカンフー映画に出てくる「〇〇拳」も武侠小説の成立に大きな影響を与えました。実は「〇〇拳」は映画上のフィクションではなく、古くから中国社会で発展してきた正式な武術で、太極拳もそれら伝統武術のうちに入ります。

1954年、マカオで白鶴拳の陳克夫と呉派太極拳の呉公儀の2人の武術家が対戦するという事件が起こり、香港で大変な話題となった。それに便乗する形で香港の新聞『大公報』の娯楽紙面である『新晩報』に梁羽生による『龍虎闘京華』の連載が始まり、これが「新武俠小説」の幕開けとなる。(Wikipedia 武侠小説から引用)

上記にある通り、実際の拳法家の激戦をもとに梁羽生が娯楽小説を書き、その人気がもとで武俠小説というジャンルが花開いたようです。

そして『龍虎闘京華』が話題になった3年後、今度は金庸が『書剣恩仇録』を発表。切ない恋愛や主人公の葛藤、まるで映画を見るような情景描写が秀逸で、主に知識人層から高い評価を得ました。

勢いに乗る金庸は、「碧血剣(1956年)」、「雪山飛狐(1957年)」を次々と発表。これらも大好評で、期待が高まる中、1958年に発表されたのが、今回ご紹介する「射鵰英雄伝」です。

 

血沸き肉躍る大冒険ロマン「射鵰英雄伝」

私がこの作品を知ったのは、カンフー映画にハマり、ジャッキー・チェンやジェット・リー主演の作品を片っ端から鑑賞していた20代後半。たまたまTSUTAYAの「華流」(当時大流行していた「韓流」にあやかった?)コーナーでお店イチオシ「射雕英雄伝」のTVドラマシリーズを見つけ、あまりの面白さに全部見てしまったのです。

主人公の郭靖(李亜鵬)は甘いマスクながら最初はとても頼りない。でも、様々なトラブルを乗り越え、だんだんと逞しくなっていくのは、まさに武侠ドラマの醍醐味。そしてヒロインの黄蓉(周迅。永作博美さんに似ています)がとてもかわいくて、たまに見せるお転婆ぶりがたまりませんでした。

対照的に、郭靖と義兄弟である楊康(周杰)は、何だかタレントの藤井隆さんにそっくりで、それが気になってしようがない(笑)。それにしても、こいつがまた憎たらしさ100倍のヒールで、最後は悲惨な死に方をしますが、途中の悪行を思えば報いが足りないくらい!

そして、この楊康の息子が次作「神鵰俠侶」で悩めるヒーローとして成長し、師匠の小龍女と大ロマンスを展開するのですから、金庸の伏線設定おそるべしです。

他にも洪七公や黄薬師、欧陽鋒、江南七怪など魅力あふれるキャラクターが多数登場し、笑いあり涙あり、ハラハラドキドキの展開。まさに中華映画の面白さをすべて集約した最高傑作のドラマで、そのすばらしさは、きっと後世まで語り継がれることでしょう。

当然、ドラマも面白いのですから、原作が面白くないはずはありません。

金庸の小説の特徴として、まるで映像を見ているような描写の鮮やかさ、そして登場人物の恋心や葛藤への共感の高さが挙げられます。この文章の吸引力は、エンタメ小説の常識を覆す「深み」の重要な要素になっていると言えます。

私は全5冊、それこそ寝食忘れて読みふけり(ドラマを全部見ているのに、です)、その圧倒的なスケールに酔い痴れました。本当にお薦めです。

 

金庸を発掘した徳間書店の功績

ところで話は脱線しますが、金庸は世界的に大人気作家として知られていたのに、なぜか日本では1996年まで未知の存在でした。そこに目を付けたのが徳間書店です。

徳間書店は本当に面白い会社で、同社のレコード部門が1960年代以降、日本であまり知られていなかった東ドイツの音楽家たちの素晴らしいレコードを数多く紹介し、多くの音楽ファンを喜ばせたことは、私の別ブログ、「クラシック音楽BOX鑑賞の旅」にも書いています。

マウエルスベルガーとクルト・トーマスのバッハ宗教曲集

徳間はたとえマニアックでニッチな市場であっても、文化的に意義があると思えば困難の壁を乗り越え、果敢に紹介していきました。これは素晴らしい企業精神であったと思います。

書籍においても、金庸以前には中国の古典を原文付きで紹介する、という画期的な取り組みも行っていて、私が小6の昭和62年頃、「正史三国志」の原文を読んだ時には震えるほど興奮しました。この三国志を含む「中国の思想」シリーズは、「易経」「列子」「呉子」といった珍しい作品も収録しており、徳間の志の高さを感じます。

さて、金庸のほぼ全作品の版権を買い取った徳間書店は、1996年から次々と出版を開始。徳間書店金庸武俠小説集と銘打たれたこのシリーズは、全部で13回の配本を行いました。

翻訳または監修を行っているのは中国文学者の岡崎由美さんという方。彼女自身が大の金庸フリークで、その愛の深さは翻訳の躍動感に滲み出ています。男性翻訳者の、いかにも中国文学者的な訳とは一線を画していると言えるでしょう。

最近では入手も難しくなってきていますが、古書店ではよく見かけますので、ぜひ面白いこと請け合いの金庸作品にたくさん触れてみてください。

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