岩波文庫【青】 解説目録2022を辿る(第10回/第1回~9回のリンクを含む)
岩波文庫解説目録2022に掲載されている、青帯(日本思想)の3冊を紹介します。
今回とり上げる山路愛山(やまじ・あいざん 元治元年12月26日(1865年1月23日) – 大正6年(1917年)3月15日))は、明治から大正初期にかけて活躍した評論家・歴史家です。彼は江戸の浅草にある天文屋敷で、幕臣・山路一郎の子として生まれました。

山路家は代々、幕府の天文方を務めるエリート家系です。しかし、激動の幕末と重なってしまった愛山の幼少期は、まさに波乱の連続。2歳の時に母が死去。翌年には戊辰戦争が発生し、父は幕府方に付いたため敗れ、捕虜にされるなど散々な目に遭いました。
そんな状況で、もともと酒癖の悪い父は荒れ気味となり、幼い愛山は大変苦労したそうです。維新後は家族とともに静岡に移住しますが、父の態度は改まらず、失意の愛山は働きながら、ひたすら勉強に打ち込みました。
英語を学んでいた愛山は、その流れで1886年にキリスト教に入信。その後、上京して東洋英和学校に進学しますが、在学中に雑誌『國民之友』を読み、思想家の徳富蘇峰に強い憧れを抱きます。
1891年、メソディスト派の機関紙『護教』の主筆となった愛山は翌年、憧れの徳富蘇峰がいる民友社に入社。『国民之友』や『国民新聞』に執筆し、さっそく北村透谷や高山樗牛と論争を繰り広げます。それが彼の名を高め、『信濃毎日新聞』の主筆、月刊誌『独立評論』の創刊などに繋がりますが、これからという1917年3月15日、愛山はわずか52歳の若さで逝去しました。
ところで、愛山の思想はかなり捉え難い面を持っています。基本は右寄り、帝国主義推進的ですが、社会主義との融合を真剣に信じていました。その独特の思想は、「我国民は宜しく皇室の力に依りて官費の専横を抑制すべし」と言う言葉からも分かります。
さらに、キリスト教への向き合い方もまた独特で、正義と人情の普及のためには武力も辞さない、というクロムウェル的な考えを持っていました。現代の我々から見れば、主観的でご都合主義的にも見えますが、世界に帝国主義が当たり前に蔓延り、国家と国民の間の信頼さえ乏しい時代環境では、愛山のような思想が確立したことも詮方なく思います。
そんな愛山のライフワークと言えば、「史論」の執筆でした。日本史上の様々な偉人を採り上げ、その生き様を多角的に論評し、時代精神と照らし合わせる愛山の筆力は、彼が憧れた徳富蘇峰すら唸らせました。岩波文庫には、彼の史論のうち3作品が収められています。
「足利尊氏」(岩波文庫青120-2)
本書は、愛山の歴史観が如実に表れた作品です。足利尊氏を単なる反逆者としてではなく、時代の要請に応えた英雄として描きました。愛山は、尊氏の行動を当時の社会情勢と結びつけて分析し、その功罪を冷静に評価しています。
特筆すべきは、愛山の史料批判の手法です。従来の史書や伝承を鵜呑みにせず、複数の史料を突き合わせて事実関係を精査しています。この姿勢は、近代歴史学の方法論を先取りしたものと言えるでしょう。

残念ながらこの後、足利尊氏の賞賛は日本では長くタブーとなりました。中島久万吉・商工大臣がその地位を追われた筆禍事件は、その象徴的なものです。愛山も、言論弾圧が進む時代のさなかに尊氏を語ることに葛藤はあったでしょうが、変に逆張りで絶賛することもなく、淡々と尊氏の権力掌握の過程を考証した手腕はさすがだと思います。
「徳川家康」(岩波文庫青120-3~4)
続いては、徳川家康です。本書は平明な家康論にとどまらず、その生涯を通じて近世日本の形成過程を描き出しているところに凄みがあります。家康の慎重さと政治的手腕を高く評価しつつ、その統治理念の限界も指摘しました。
愛山の分析の特徴は、家康個人の資質だけでなく、戦国時代から近世への移行期という時代背景を重視している点です。家康の行動を、単なる個人の野心としてではなく、時代の要請に応えるものとして捉えています。
また、本書では愛山の比較史的視点も際立っています。日本の封建制度を西洋のそれと比較し、その特殊性を浮き彫りにしています。この手法は、後の日本史研究に大きな影響を与えました。
「豊臣秀吉」(岩波文庫青120-5~6)
秀吉の生涯を描いた本書では、愛山の歴史観がより鮮明に表れています。秀吉を、身分制度の壁を打ち破った英雄として描きつつ、その統治の限界も冷静に分析しました。
特に注目すべきは、秀吉の朝鮮出兵を評価する際の愛山の視点です。単なる侵略行為としてではなく、当時の国際情勢の中で理解しようとする姿勢は、現代の歴史学にも通じるものがあります。一方で、愛山の記述には時に主観的な評価が混じることがあります。これは、歴史を「教訓」として捉える当時の歴史観の影響と言えるでしょう。
以上3冊ですが、これらは総じて単なる事実の羅列ではなく、時代の本質を捉えようとする姿勢が特徴的です。彼の分析は、時に現代の歴史学の基準からすれば主観的に過ぎる面もありますが、同時に鋭い洞察に満ちています。
特に、個人の行動を広い社会的・時代的文脈の中で理解しようとする姿勢は、現代の歴史学にも通じる先進性を持っており、また複数の史料を批判的に検討する手法は、近代歴史学の方法論を先取りしたものと評価できます。
愛山の著作は、明治・大正期の歴史観を知る上で貴重な資料であると同時に、現代の読者にも多くの示唆を与えてくれる、価値ある作品群だと言えるでしょう。