太平記をよみなおす 05

尊氏の名誉を回復した「太平記」

ここまで、オリジナルの「太平記」についていろいろ書いてきましたが、この中世の名著は後世の文学作品にも大きな影響を与えています。

特に、皇国史観が根強い戦前には、楠木正成忠臣譚のような作品が数多く書かれました。

それが戦後、占領政策もあって日本人の価値観が一変し、それまで逆賊と見做された足利尊氏を再評価するような動きも見え始めます。その最たるものが、吉川英治が発表した「私本太平記」でした。

この作品を発表した吉川の決断は相当なものだったろうと思います。実は先立つこと昭和9(1934)年、時の商工大臣・中島久万吉が、「現代」1月号に足利尊氏を賛美する記事を掲載し、右派の猛抗議を受けて辞任に追い込まれる、という事件が起きました。

中島久万吉

当時の政治的背景もありますが、これは戦前に尊氏を称賛することがいかにタブーであったかを知る重要なエピソードでもあります。

では、そんな戦前の空気がまだ濃厚な昭和33年、なぜ吉川は尊氏をメインに新しい太平記を書いたのか。

吉川は戦中、日本の戦勝を信じて疑わない人でした。戦意高揚に資する活動を明確に行っていましたし、代表作の「宮本武蔵」が、戦中の庶民の精神的支柱になったことは否めません。

それが、連合軍の恐ろしい攻撃により美しい日本の町並みは焼き尽くされ、多くの人命が喪われ、英治は敗戦という現実を目の当たりにします。戦前戦中の倫理道徳はすべて否定されました。

英治は失意のあまり、2年間、筆を折ったといいます。そして自分や日本というものをしっかり見つめなおし、再出発の証として発表したのが「新・平家物語」でした。

英治は「新平家」で、それまで逆臣扱いされてきた平清盛を主人公に据え、戦争のむなしさ、栄枯盛衰のはかなさを描くとともに、日本の美しい原風景を描き出しました。英治は、当時少なからずいた「思想転向者(戦意扇動から左翼への作風転換)」とは異なり、争いの愚かさ、人の世の無常を描きつつ、日本人の心や国土の美しさを一貫して作品の中で肯定し続けたのです。

「私本太平記」も同じ。人々が修羅と化し、昨日の友は今日の敵、親兄弟でも殺し合う、ばさら大名とか滅茶苦茶な連中が跋扈した酷い時代でありながら、英治は個々の人物の「人間らしい」内面を掘り下げていきました。

これだけ強烈なキャラが揃う時代ですから、彼らの心の内側もまた多面的・複層的です。足利尊氏は単なる裏切りマシーンではなく、意外なほど温厚で、そのために決断を迷い、さらに悩みを深めます。

楠木正成だって、悲劇のスーパーマンではありません。野武士みたいな存在から後醍醐側のエースにまで登りつめた彼は、徐々に責任の大きさに押しつぶされ、敵ではなく無能な味方たちから追い詰められていきます。

新田義貞公肖像

新田義貞なんて、最も悲惨な存在ではないでしょうか。潔癖症で責任感の強い彼は、常に置かれた状況に悩み、家族や家臣を守るために奮闘します。しかし、彼はいつも孤独。無茶な命令は下るものの、自軍が追い込まれても援軍すら来ない。彼の性格が災いしているのか、周囲が悪いのかは分かりませんが、現代にも通ずるリアルな人間像として、義貞の描写は非常に秀逸です。

他にも、架空キャラの藤夜叉が、時代に翻弄されながらも乱世に生きる女性の強さを示していて、最後まで目が離せません。

このように、英治は戦前戦中の頑強な「太平記」像をいったんバラバラに解体し、戦後のリベラル的な思想にも染まらず、彼の人生観を反映した「太平記」を書きました。それをまだ終戦間もない時期にやってのけたというのが、素直にすごいことだと思います。

なお、「私本太平記」に関するこれ以上の考察は、私のこのブログの「吉川英治文庫」シリーズでいずれ採り上げますので、今回がここまでとしたく思います。

 

吉川と真逆の昔風「太平記」

吉川英治と並び、昭和の長編歴史小説家の雄と言われるのが山岡荘八です。講談社では長年、吉川英治とともに、山岡荘八の作品文庫を出版し続けました。

その山岡もまた「太平記」を書いています。ただし、吉川作品とは真逆で、戦前戦中の伝統的な作法で書いているのが特徴です。それでも、尊氏や直義を悪の権化のように書くわけでもなく、山岡荘八の真骨頂たる飄々とした調子で登場人物それぞれのアクを弱め、簡潔清新な小説に仕上げています。

とはいえ、あくまでこの作品の中心は「後醍醐天皇」であり、作品を貫く思想は「南朝正統論」です。後醍醐帝の失策にもきちんと理由が与えられます。

現代の読み手からすれば、そこに古さを感じるかもしれません。最近直木賞を受賞した垣根涼介氏の「極楽征夷大将軍」の読者であれば、同じ時代を描きながら、こうも世界が違って見えるのか、とびっくりしてしまうのではないでしょうか。

それでも、のちに大長編「徳川家康」で一世を風靡した山岡の筆力には脱帽します。戦闘描写はもちろんのこと、謀略の密談シーンなんて今読んでもスリリングです。原典に入る前に、「太平記」を楽しみたい方には、作者の念の強い吉川版や、コミカルな「極楽征夷大将軍」より、この山岡版のオーソドックスなスタイルの方が良いかもしれません。

 

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