岩波文庫【青】 解説目録2022を辿る(第10回/第1回~9回のリンクを含む)
岩波文庫解説目録2022に掲載されている、青帯(日本思想)の9冊を紹介します。
今回紹介する青帯は、日本哲学史上の巨人、西田幾多郎に関する9冊です。

西田幾多郎(1870〈明治3〉年 – 1945〈昭和20〉年)は、近代日本哲学の先駆者として広く知られています。特に彼の「純粋経験」や「場所論」といった概念が有名で、東洋思想と西洋哲学を融合させながら、新しい哲学的視点を切り開きました。
西田の思想の中心には、経験と認識の関係を探る問題があります。彼は「純粋経験」という概念を提唱し、これを通じて物事の本質に迫ろうとしました。この辺りは非常に難しいので、下の講談社現代新書をいったん、勉強されると良いかもしれません。
純粋経験とは、物事を経験する際に、その対象が理性や判断を介さず、純粋にそのまま直接的に現れる瞬間を指します。このアプローチにより、彼は近代哲学における主体と客体の分離を超え、自己と世界が一体となる「存在論的」な視点を確立しました。
また、西田は「絶対無」や「場所」という重要な概念を用いて、哲学的に人間存在の根本的なあり方を探求しました。彼の思想は、従来の近代哲学の枠組みを超えて、東洋的な直観や実存的体験を重視し、宗教的な側面とも深く関わりがあります。
西田の思想は、日本のみならず、西洋哲学にも大きな影響を与え、特に彼の「場所論」や「自己の超越」の概念は、20世紀の哲学における重要なテーマとして引き継がれました。
青124-1『善の研究』
西田幾多郎が1911年に発表した代表作であり、日本哲学の座標軸とも言うべき一冊です。本書では主観・客観の分離以前の「純粋経験」を中心概念とし、善・宗教・実在といった根本問題を深く追究しています。東洋思想を踏まえながら、西洋哲学を批判的に乗り越える姿勢は、日本独自の「哲学」の可能性を提示し続けている点が評価されます。
本書における西田は、「善」という概念を、単なる倫理的な命題としてではなく、存在論的、認識論的な視点から問い直し、哲学的に解明しようとしています。
本書の中心にある問題は、「善」がどのようにして認識され、そしてどう「実現」されるのかという問いです。西田は、近代倫理学の流れにおける「実践理性」や「義務」などの理念を批判的に受け止めつつ、「善」をただの抽象的な概念としてではなく、より深い存在論的な基盤から考えようと試みます。
この視点こそが、後の西田哲学における特徴的なアプローチとなります。彼は、「善」を単に外的な行動規範や倫理的な基準としてではなく、存在そのものに関連する根源的なもの、すなわち「自己の在り方」や「存在の本質」に結びつけようとするのです。
このアプローチは、後の「純粋経験」や「場所」論における思想へと繋がっていきます。具体的には、西田は善の根源的な実体を、認識する主体と認識される対象との相互作用の中に見出そうとしています。つまり、「善」は単に理論的に定義されるべきものではなく、認識の行為そのものが「善」を実現する場であると考えています。この点において、西田はあくまで存在論的、経験的な方法論を採り、倫理的命題を認識の枠組み内で解き明かそうとしています。
青124-2~3 『思索と体験』『続思索と体験』
善の研究以降の西田の思索展開や、初期随筆、講演の抄録などが収録されています。西田特有の体験と思索の往還を通じて「場所的論理」や、主客未分の存在の根源を探る思考が断片的に把握できます。西田がいかに自らの哲学を鍛え上げていったか、その成立事情に迫る資料としての価値があります.
この巻は、西田の思索が一層深まり、内面的な対話と自己批判を経て発展していく過程を示しています。特に、西田が「自覚」という概念を取り入れることで、従来の経験論から一歩踏み込んだ哲学的アプローチを試みていることが分かります。
ここでの「自覚」は、単なる認識の枠を超えて、自己と他者、意識と無意識、そして個と全体との相互関係を問い直す重要な契機となります。この巻を読むことで、西田が自らの思索に対してどれほど慎重であったか、またその思索の深まりがいかにして「場所」論へと向かうのかが明示されます。
自覚と体験がますます交錯し、理論的な複雑さが増していく中で、西田の思索がいかに自己内的であると同時に、現実的な世界への深い接続を持ち続けるかが浮かび上がります。
青124-4~6『西田幾多郎哲学論集1~3』
編集者で哲学者の上田閑照(1926年1月17日 – 2019年6月28日)によるテーマ別の論文集形式で、西田の主要論文が網羅的に収録されています。内容は、第1巻が意識の実在に関するもの、第2巻が行為の論理に関するもの、第3巻が宗教的世界観に関するものに分けられ、西田哲学の外縁にある主題を通じて、彼の思索の広がり・深さを学ぶことができます。
青124-7『西田幾多郎随筆集』
青124-8『西田幾多郎歌集』
青124-9『西田幾多郎講演集』
青124-10『西田幾多郎書簡集』
西田の未刊行講演、座談会、書簡、周辺論者との対論記録が収められています。これらが文庫で手軽に読めるというのはありがたいことですし、貴重です。
哲学者としての西田の肉声が伝わり、彼の思索が日本思想界に及ぼした生の影響を実感できます。彼が引き合いに出す哲学者が、哲学史上では不毛と見られることもある中世ドイツ期のクザーヌスであったり、また数学の豊富な知識を活用して語り進めるのは面白かった。
私はこのブログを書くためにほんの少し読みかじった程度なので、西田幾多郎と言う巨人についてはまだ未知数の部分が多いです。今後、ゆっくりと彼の書物を読み返しながら、また機会があれば彼について書いてみたいと思います。