大人向けの漱石も面白い(1)道草

夏目漱石の私小説とも言える「道草」

夏目漱石

夏目 漱石(1867年2月9日 – 1916年12月9日)の名前を知らない日本人はほとんどいないでしょう。

また、漱石の小説を読んだことがない人も少ないと思います。

「坊っちゃん」、「吾輩は猫である」、「草枕」、「三四郎」、「こころ」あたりは、近代文学の人気ランキングの常連ですし、最近では「夢十夜」が静かなブームになっていると聞きます。

しかし、それ以外の作品。例えば「虞美人草」や「それから」、「彼岸過迄」、「行人」あたりになると、名前は知っていても読んだことがない、という人が意外と多いのではないでしょうか。

原因は様々あると思いますが、ひとつは教科書や青少年向け文学全集(少年少女文庫)で取り上げられていないことが大きいと思います。

例えば子供時代には、国語の授業や読書感想文の課題で、どんなに本嫌いでも文学作品に触れなければならず、そうした中で「坊っちゃん」や「こころ」に接する機会はとても多くなります。

それが大人になってしまうと、よほど読書が好きな人でないかぎり、お金を出してまで漱石を読もうという人は少なくなる。それより、東野圭吾さんや村上春樹さんの小説を喜んで買うと思います。

すなわち、近代文学は青少年期に読めるか読めないかがとても大きいのです。

それでは、なぜ漱石の「それから」や「行人」が青少年向けで採り上げられてこなかったかと言うと、ズバリ、それらがじめっとした大人の世界、不倫やカネの無心、人間不信と言ったテーマにこだわりまくっているからだと思います。

一言で言えば面白くない。ストーリーが静謐で地味。奸佞な赤シャツや野だいこをぶっ飛ばす「坊っちゃん」の爽快感や、田舎者が都会人にこねくり回される「三四郎」への共感と言ったものが得られず、子供や若者には難しい。と言うか、面白みのない小説に見えるでのです。私もそうでした。

それが、社会に放り出され、世の中の汚さや複雑さに翻弄されながら結婚や子育てを経験し、やがて老いてゆく中で、漱石のこれら大人向けの小説に接すると、不思議と若い時には感じられなかった「旨味」や「共感」が感じられるのです。

昔は苦くて飲めなかった「麦酒」や「ブラックコーヒー」を美味いと感じ、「運命」や「第9」に比べて何とつまらない音楽だろうと拒絶していたベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いて涙する、そんな感覚と同じと言ったら良いでしょうか。

この「令和文藝館」では、そうした漱石の「苦いけど旨い小説」を掘っていこうと思います。読まないのは勿体ないので…。

一回目の今日は「道草」―。

主人公は、生活にまあ余裕があり、バリバリ働きまくる教員の健三。そして、その妻の御住を中心に物語は進みます。

とにかく、この夫婦にはヒリヒリするような隙間風が漂っています。放蕩夫でも悪妻でもない。ただし、双方の立場の違いから理解し合うことができない、そんな夫婦のリアルな冷戦っぷりを楽しめます(笑)。

さらに、そこに共通の敵と言いますか、とんでもない連中が絡んできます。健三の養父・島田で、それもダイレクトにやってくるのではなく、雨の日のチラ見に始まり、代理人が様子見にやってきて、いよいよ本格的な対峙に至るという流れ。

そんな島田の目的は金です。健三から金を定期的にむしり取ろうという一点。まあロクでもないですね。

なお、健三には味方たるべき姉がいますが、この姉も健三に小遣いをもらっています。しかも、島田の影に怯えて相談に来た弟に小遣いの増額をねだる鬼畜っぷり。

こうした一連の出来事が絡まるように展開し、そこに珍しく夫の味方をする妻、一方でその厚意を裏切って無心に応えようとする健三の弱さが描写され、本当に面白い。漱石って本当に上手いなあと思います。子供の時は何かとても退屈だったのが、今では早く先を読みたくなるほどハラハラします。

他の作品にあるドロドロした恋愛描写もないですし、漱石読み直しの1番目にはぜひ、この「道草」をお薦めしたいですね。

 

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