ロシア文学の魅惑 第4回 イワン・デニーソヴィチの一日

世界に衝撃を与えたスターリン時代の実態

アレクサンドル・ソルジェニーツィン

この作品は、トルストイやドストエフスキーよりかなり後の時代、1962年に発表されました。作者は発表時、無名であったアレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918年12月11日 – 2008年8月3日)。

物語はそれまで普通の暮らしをしていた元農民兵のイワン・デニーソヴィチ・シューホフが、ほぼ冤罪で過酷な気候のシベリアの強制収容所に放り込まれ、強制労働と束の間の休息を繰り返しながら一日を終えていく様子を描いたものです。

とにかくこんな内容の作品が、鉄のカーテンと呼ばれ強大化していた頃のソビエト連邦において書かれたことが衝撃です。

実はこの作品は、スターリンの死後にソビエト共産党の実権を握ったニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ(1894年4月17日 – 1971年9月11日)によって擁護されました。フルシチョフの政治姿勢の支柱となった「スターリン批判」において、スターリン時代の暗黒面を暴き出すこの作品が、絶妙なアドバルーンになると判断されたのかもしれません。

スターリン後の権力を掌握したフルシチョフ

国内での衝撃の発表以後、西洋諸国の人々もこの作品に触れ、それまで謎に包まれていたソ連の非人道的な収容所の存在を知り、大いに驚きます。しかし、それ以上に驚いたのは、これまで隠されてきた国の実情を知ってしまったソビエトの民衆の方であった、と言いますから、皮肉なものです。

そんなこんなで、かつて収容所にぶち込まれたことがある無名の作家による命がけの告発小説は、全世界であっという間に大評判となり、1970年にソルジェニーツィンはノーベル文学賞を受賞しました。

と、ここまでは同世代の芸術家に比べるとまあまあ順調な経歴になるのですが、次第に彼の政治批判や抑圧を恐れぬ硬骨漢ならではの言動は当局の怒りを買うようになり、1974年に彼は逮捕、西ドイツのフランクフルトに国外追放の憂き目に遭います。

ただ、殺されなかったことは不幸中の幸いでした。ソルジェニーツィンは2008年まで生き、途中、民主化というとてつもない激動の中にあった1980年代において、その発言は大きな影響力を持ったと言われています。

そんな波乱万丈の一生を送った作家の代表作、「イワン・デニーソヴィチの一日」です。

例えば、ドストエフスキーの小説のように、ドラマティックな出来事が次々と連鎖し、息もつかさぬスリリングな展開になることはありません。また、主人公が致命的なミスを犯して、悲惨な虐待を受けるような展開も、起きそうで決して起こらないのです。

すなわち、収容所の慌ただしく、荒々しく、出口のない状況が延々と綴られるのみ。それに、この作品ではほとんど女性が登場しません。近代小説では当たり前の恋愛や性に関するストーリーは、この作品においては全く記述されないのです。

ラーゲリでの強制労働

また、長い収容所生活で愛すべき家族のことすら記憶のかなたにあり、物語の最後でついに幸せな家庭に戻る希望も喪われてしまいます。

でも、この作品にじめじめした深刻さはありません。どうにかしてしぶとく生き抜いてやるぞという人々の執念、ロシア人特有のユーモア、個性あふれるキャラクターにより、全体に凄まじい生命力が満ち溢れているのです。

とはいえ、やや単調な展開であることは否めず、次第に読み飽きてくる作品であることもたしか。

しかし、そうやって読み進めていると、ラストにこの作品の大きな思想的ヤマ場がやってきます。

信仰深い青年が、主人公シューホフに神を信じること、見返りを求めず、今の状況に感謝することを囁きます。ところが、無頼なシューホフは彼に強く反発します。もうそんな話はうんざりだと。

でも同時に、ここを出所して行き先がないこと。もう元には戻れないこと。ならばここが一番安寧の場所ではないか、ということにシューホフは思い至ります。

スターリン時代という極めて特殊な環境下で生まれた作品でありながら、人間の存在の根源を問うようなラストの一文は、満たされ平和な社会を彷徨う我々にとっても強烈なメッセージであるように思えるのですが、皆さんはどう考えるでしょうか?

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