寝られないほど面白い! 井上靖「天平の甍」

少年漫画的な冒険絵巻 そして清々しい感動のストーリー

この本の作者 井上 靖
この本の成立年 1957年 刊
この本の巻数 1巻
入手のしやすさ ★★★★☆
未成年推奨 ★★★★★
総合感銘度 ★★★★★

井上靖(1907(明治40)年5月6日 – 1991(平成3)年1月29日)は、日本を代表する作家でありながら、今日ではイマイチな評価というか、読まれることも少なくなった作家のような気がします。同年代の三島由紀夫や川端康成の今日的評価に比べると、なおさらです。

しかし、井上は芥川賞の受賞者で、実はノーベル文学賞の候補として検討されていたことも最近になって分かったほどの人物。20世紀を代表する作家であるという事実に異論はありません。

では、なぜ読まれなくなったのか。

井上の作品は昭和の頃、特に「しろばんば」や「あすなろ物語」といった教科書にも載るような自伝的小説が持てはやされました。今読んでもハラハラドキドキの展開があり、主人公のほろ苦い傷心に共鳴できたりと、面白いのは請け合いです。

ただ、若干古い価値観と言いますか、教育的な内容が色濃く、複雑な価値観を持つ現代の若者にはもはやシンクロしなくなったような感があります。あえてこういう小説を読むくらいなら、病的だけどリアリティの高い芥川や太宰を選ぶ人が多いのも無理ないでしょう。私もそうですから…。

一方、井上のこれはもう文句のつけようがない面白いジャンル、歴史小説は今読んでも全く色褪せておらず、「額田女王」や「敦煌」など古代日本や西域を描いた作品は非常に少ないため、もっと読まれても不思議ではありません。

それが井上の生前、このジャンルで黒岩重吾(1924(大正13)年2月25日 – 2003(平成15)年3月7日)や司馬遼太郎(1923〈大正12〉年8月7日 – 1996〈平成8〉年2月12日))といった重鎮が活躍したため、井上の業績が霞んでしまったのは不運でした。

さらに、NHKで大河ドラマ化されたのも、2007年の「風林火山」しかなく(令和5年現在)、ますます井上靖と言えば、「しろばんば」や「あすなろ物語」の人、という先入観が定着しているのが現状ではないでしょうか。

そんな井上靖の作品ですが、どうか皆さんに先入観を捨てて読んで欲しい作品があります。

それは「天平の甍(てんぴょうのいらか)」です。

たまたま私が電子書籍kindleのセールで新潮文庫を物色していた際、ポイント消化のために軽い気持ちで買ったにすぎない一冊なのですが、

これが面白かった!とてつもなく面白かった!

キャラクターがみんな立ちまくっており、まるで少年漫画の王道のような山あり谷ありの展開。先が気になって、寝食忘れてしまうくらい熱中してしまいました。

時は奈良時代(天平)。留学のため、若い僧侶の普照、栄叡、玄朗、戒融の4人が第9次遣唐使船に乗り込むところから物語は始まります。

大海の荒波に翻弄された遣唐使船

今でこそ、中国には飛行機で半日もあれば到着しますし、豪華客船で安全な航海を楽しむことだって当たり前です。しかし、奈良時代は航海術も発達しておらず、荒波に晒される大海の中、乗員は命の保証もなく、彷徨わなければなりませんでした。

歴史の現実として、遣唐使船の帰国率は50%であった、という衝撃の数字もあります。

しかし、4名の登場人物は無事、中国(当時の唐)の土を踏みました(リスク分散として4隻の船に分乗したため助かっただけで、遭難した船もあったといいます)。

激情家で目的に向かってストレートな栄叡。皮肉屋で自分の考えを押し通す戒融。優秀ではあるが気の弱さが目立つ玄朗。4人中、最もニュートラルで堅実な性格の普照。

それぞれが考えをぶつけ合い、艱難辛苦を共にし、結局は別々の道を歩みだす姿は読んでいてとてもリアルです。そして、4人に善玉もなく悪玉もなく、読み手がそれぞれの立場や感情を理解しながら読み進められるところは、とても巧みな構成、筆致と言えるでしょう。

さらに、この4人を釈迦の掌のように包含しているのが、歴史上でも大変偉大な人物として知られる鑑真(文中では鑒真、688〈持統天皇2〉年 – 763〈天保宝字7〉年)です。

鑑真像(唐招提寺)

皆さん、鑑真の再三にわたる渡日の失敗や、苦労の果ての失明、そしてあらゆる艱難辛苦を乗り越えて来日し、唐招提寺にその身を埋めた話は、おそらくご存じのことであろうと思います。

そんな誰でも知っているストーリーを、まるで初めて読むかのような新鮮さで、時には手に汗握る展開を交えながら、感動的に描き上げるのも、「天平の甍」のもう一つの魅力です。

今、誰かに何か1冊の本をおススメするとしたら、私は躊躇なくこの本を選びます。それくらい、何度でも読みたくなるような面白さと、人間の魂に触れる魅力を兼ね備えた傑作だと私は思うからです。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA