「竜馬」と「坂の上」の原稿、見つかる
歴史小説好きな方ならどなたでも、司馬遼太郎の名前はご存知ですよね。
私が小学校の頃の80年代には、先生はまだ現役バリバリで、産経新聞に「風塵抄」というタイトルのコラムを連載しておられました。なので、私を含め、いまの40代(2017年現在)にとっては、司馬遼太郎はとってもリアルな存在です。
最近の若い人にとっても、司馬先生の歴史小説は大変人気があり、その証左としてほとんどの作品が今も書店に現役で並んでいます。
代表作の一つ「関ヶ原」も、2017年に岡田准一主演で映画化され、大変な話題となっています。また、これまで大河ドラマ化された作品を挙げても、
「竜馬がゆく」(1968)
「国盗り物語」(1973)
「花神」(1977)
「翔ぶが如く」(1990)
「徳川慶喜」(1996)
「功名が辻」(2006)
と、2017年現在で6作品もあり、さらに司馬先生の代表作「坂の上の雲」も2009年から2011年の足かけ3年にわたってNHKでドラマ化され、本木雅弘さん、阿部寛さん、香川照之さんのハマりまくった演技が話題になったのも記憶に新しいところです。
司馬先生の作品の凄いところは、歴史の瞬間瞬間を客観的に淡々と語っていくその筆致にあります。これは当たり前のようで、歴史小説というジャンルにおいては難しく、ひと世代前の吉川英治の作風とはかなり違います。吉川小説では情景描写に詩があり、人物の内面も純文学のように掘り下げられます。しかし、司馬先生は飄々と論評を加えたり脱線しながら、あくまで起きた事象を念入りに彫琢していくだけです。
これは、司馬さんが築き上げた唯一無二のスタイルと言えます。司馬遼太郎というペンネームが意味するとおり(本名は福田定一さんです。この名前には、司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者という意味が込められています)、先生の作品にはまるで「史記」の列伝を彷彿とさせるような、歴史の証言者たる客観性と、読み物としての比類なき面白さが両立しています。
著作権の問題もありますので引用は避けますが、例えば「竜馬がゆく」での竜馬の絶命のシーンなど、本来ならもっとドラマティックに、無念やら諦念やらいろいろな感情の交錯が織り交ぜられて書かれるところでしょうが、司馬さんが描くクライマックスは実に淡白です。文庫本で8巻という大長編の締め括りであるにもかかわらずです。それどころか、章のはじめに司馬先生がわざわざ、竜馬の最期は淡泊に書きますよ、と断りを入れているくらいなので、びっくりしてしまいます。
ただそう言いながらも、刺客が乱入してくる生々しい描写や臨場感、斬られる痛みなどはひしひしと伝わってきますから、やはり先生の筆力はすごかったと言わざるを得ません。
そうした小説としての独自性、面白さが今も幅広い層に支持されている理由かと思われます。
ところで、私はいま「竜馬がゆく」について書きましたが、その生原稿というのは、長らくこの世に存在しないと言われていました。
「そんな馬鹿な!」と仰る方もいるでしょう。しかし、この「竜馬がゆく」というのは、昭和30年代に新聞で連載された作品です。そこにこの話のミソがあります。
今日でこそWordや一太郎があり、メールがあり、全国各地に新聞ネットワークや印刷所が広がっていますが、当時はそこまでの技術的広がりはありません。東京にドーンと大きな新聞社があって、そこに作家の自宅から原稿が届き、校正・編集・ゲラ刷りから印刷に至るまで全て社内で行われる、そんな時代でした。
そして作家は原稿用紙に手書き。短い時間の間、ギリギリまで何度もペンで校正を入れていきます。それでも、隣にじっと張り付いた編集者があーだこーだ直してきますから、時には喧嘩も辞さない殺伐とした空気になったようです。
そうやって苦労して出来上がった原稿は、青やら赤やら修正が乱れ飛び、容易に読めるものではなくなります。さらに原稿は運ばれた先の社内で何度も校正を受け、手荒く次の現場へ投げ込まれ、最後は裁断される場合もあるそうで、まあ簡単に言うと原型をとどめなくなってしまいます。ですから最悪、活字化されたあとは行方不明になることも珍しくなかったとのこと。
これが、「竜馬がゆく」の原稿が実在しないという説の根拠です。実際、連載後半世紀経っても、原稿は世に出てきませんでした。
それが今回、出てきたのです。関係者は驚天動地。新聞でも大いに話題になりました。
出てきたのは、上で書いた「竜馬がゆく」のクライマックス部分だけでなく、「坂の上の雲」の有名な書き出し、「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている」で始まる章まで発見されたのです! 何と言うことでしょう!
しかも今回、東大阪市にある司馬遼太郎記念館にそれら原稿が展示されるとのこと。発見を記念して館長さんによる記念講演も行われるようです。これは行かねばなりますまい(笑)。
私はいつものようにネットで大阪行きの旅券をリサーチするのでした(笑)。
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