完訳版は岩波文庫、こども向けは群雄割拠
「西遊記」を読もうとした場合、その選択肢は相当数に上ります。しかし、まずは完訳本からご紹介するのが筋というものでしょう。
ところで、「西遊記」の完訳本のとらえ方についてここで触れておきたいと思います。中国の小説は、原作そのものが長編バージョンと短縮バージョンに分かれることがよく知られています。
例えば「水滸伝」は、主人公・宋江たち108人の豪傑が梁山泊に集結するまでを描いた70回本、北方民族の「遼」を征伐し終わるまでを描いた100回本、好漢たちが次々に命を落とす悲劇的な120回本の3種類があります。
あと白話小説として有名な「平妖伝」も、羅貫中が編纂したとされる二十回本『三遂平妖伝』に、いろいろなエピソードが付け加えられ、四十回本に増幅されたものが現在、広く読まれています。
そして、「三国志演義」も孔明が五丈原で歿するところで終わりとする翻訳をよく見かけます。有名な吉川英治の小説もそのパターンです。
では「西遊記」はというと、『李卓吾先生批評西遊記』と呼ばれる明代に成立したものが、現存する完全版テクスト(長編バージョン)として知られています。
それに対し、「李卓吾本は詞ばかり採り入れて、読みにくい。」という読者の不満や、道教を重んじる満州族の政府・清朝の睨みを慮って、1694年に編集刊行されたのが「西遊真詮」です。これが短縮バージョン。
実は、本場中国ではこの「西遊真詮」が現在でも一般的な「西遊記」として広く読まれています。これには、当時の経済大国であり、出版文化でも隆盛を極めた清代に「西遊真詮」が広まったことが大きく影響しているのかもしれません。
一方、日本では『李卓吾先生批評西遊記』の翻訳が広く流通しています。というのも、わが国では岩波文庫の完訳版全10巻を聖典として受容している向きがあり、その岩波文庫のテキストこそが李卓吾版だからです。
岩波文庫 西遊記(全10巻セット) 呉承恩/中野美代子
(紀伊國屋書店さんのウェブサイトに移動します)
ところで、この岩波版は数奇な運命を辿っています。もともと、この翻訳は小野忍さん(1906-1980年)と言う学者さんが手掛けていたのですが、途中で急逝。その後、新進気鋭の西遊記研究者・中野美代子さん(1933年~)が引き継ぎ、残りの全訳に至ります。
さらに中野さんは小野さんが訳した1-3巻も自身で訳し直し、2005年に「中野版・西遊記」を完成。これが現在において、最も信頼できる「完訳版」として大手書店の一隅を占めるようになりました。
私もこの中野版は当然所有しております。軽快な文書、キャラの引き立たせ方。どれも唸るほど見事な出来栄え。そして、丁寧につけられた注釈がまた素晴らしいんですね。さすが、西遊記の研究の第一人者です。
ただ、私個人としては小野版もなかなか味わいがあって好きです。古書店や通販で3巻までを発見されたら、ぜひ購入をお勧めします。
さて、一方の「西遊真詮」の訳はわが国では広まっていないのでしょうか?
そんなことはありません。Wikipediaにもありますが、有名な訳がふたつあります。
ひとつが太田辰夫さん(1916-1999年)という中国語学の権威が書かれたバージョン。表紙に時代を感じますが、こういう味わいのあるデザインが今となっては懐かしいですね。
そしてそして、私が個人的に大推薦したいのが、君島久子さん(1925年~)の手による翻訳です。この訳は1980年代後半、今も続くNHKラジオの長寿番組「朗読」のテキストとして採用されました。読み手は竹内啓(たけうち・ひらく)さんという方でしたが、まあハラハラドキドキの展開が面白く、毎晩欠かさずラジオの前で聞きかじったことを思い出します。
ちなみに私が小学生の時、綺麗な箱に入った分厚い君島版を書店で見つけた時、胸がドキドキ高鳴りました。ラジオであれだけ聞き惚れた憧れの本!しかし値段が小学生にはちょっと高額で、私は泣く泣く諦めました。
それから数十年。21世紀となり、40も過ぎた私は福岡の某大型書店で君島版と再会します。装丁はほぼあの時のまま。懐かしさでつい全巻買うことに。しかし、これだけ長い間、絶版せずに残っていたのは凄いことです。
この訳は昔から非常に評価が高いです。対談で開高健もべた褒めしています。話はだいぶ短縮され、君島ならではの表現も織り込まれて翻案扱いされることもしばしばですが、完訳版にこだわらず、西遊記の世界を楽しみたい方にはぜひお勧めしておきます。