お経を「読んで」みませんか?

お経には意味がある、いわば文学です

逆説的な話から始めますが、キリスト教のお話は洋の東西問わず、子供が親から読み聞かせられます。また、西洋の小説には、前置きや比喩として、旧約聖書のエピソード(ソロモン王の話やダビデ王の英雄譚など)が盛んに登場します。「聖書」は信仰の拠り所として信者の日常に密着したものであると同時に、長年にわたって文学作品のように世界中で読まれてきました。

一方で、仏教の経典はどうか?

日本においては、檀家であれば法事ごとにお坊さんが家に来て、お経をあげます。檀家でなくても、身近な方が亡くなれば、葬儀で様々な宗派のお経を聴くことになります。

しかし、多くの方にとってそれは音楽のようであり、聞き流しEnglishのようなものではないでしょうか。

私の実家は浄土真宗ですので、お坊様と一緒に「正信偈」というお経を詠みます。よって、経本はいつもじっくり見るのですが、難しい漢文が延々と並び、最後は南無阿弥陀仏と復唱するだけなので、私のような浅学には、何が書いてあるのかさっぱり分かりません。

でも実際は、お経は意味のない言葉やオトマノペの羅列ではなく、れっきとしたストーリーや信仰の実践を記した「読みもの」なのです。

聖徳太子が重んじたことでも知られる有名な「法華経」も、仏教徒の聖典として扱うだけでは勿体なく、文学作品として十分読み応えがあります。

「法華経」は、仏教の開祖であるブッダ(釈迦)が晩年、インドの霊鷲山で説いたもの。28品から成り、前半14品を「迹門」、後半14品を「本門」と言います。

子供を火事から救う三車火宅の話、奉仕の積み重ねの大事さを説く長者窮子の話、悟らないのに悟ったと思って驕り高ぶる増上慢の話、そして自らの敵をライバルとして尊重する提婆達多の話等々。脈絡を取るのが難しい文章ではありますが、読めば読むほど面白い。また、聖人の教えを記したものですから、読後に何とも言えず心が洗われた気分になります。

先入観でどうしても敬遠しがちな法華経ですが、本当に面白いので、ぜひじっくり腰を落ち着けて読んでみてください。さらに余裕があれば、岩波文庫3冊と併せて、上の新書を読まれるとさらに理解が深まると思います。

最後に、私が面白いと思った他の「読むお経」についても、いくつか挙げておきましょう。

まずは華厳経入法界品です。

スダナという少年、漢訳でいうところの善財童子ですが、文殊菩薩の勧めにより長い旅に出、彼が最後に悟りの世界に至るまでの物語です。途中、スダナは53人の善友に教えを乞いますが、善友とは菩薩、修行僧、女神、仙人、バラモン、船頭、子供、遊女など多種多彩。すなわち、人は誰からでも学ぶことができ、成長するのだ、ということを説いています。

続いて維摩経もお勧めしましょう。主人公は毘耶離、人呼んで維摩居士と言うおじいさんです。

彼は折り目正しい釈迦の信奉者とは対極の、アナーキスト的気質を持った在家仏教信者で、釈迦の弟子や菩薩たちとは悉く反目します。弟子たちとのディベートでも彼らの説法の矛盾を鋭く突き、コテンパンにやり込めます。

ところがある時、その維摩が病床に伏します。釈迦は彼を見舞うように皆に言いますが、やり込められたトラウマから誰も行こうとしません。ただひとり、文殊菩薩が彼の元を訪れることになりますが、果たして維摩と空前の論戦をたたかわせます。その結果や如何に!

お経、おススメです。

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