吉川英治文庫(4)鳴門秘帖

昭和の読者を夢中にした娯楽小説の傑作

著者:吉川英治
〇作品名 鳴門秘帖(なるとひちょう)
〇連載「大阪毎日新聞」1926(大正15)年8月11日~1927(昭和2)年10月14日
〇(1巻)講談社・吉川英治文庫 5/1975年/ISBN 4-06-142005-4
(2巻)講談社・吉川英治文庫 6/1975年/ISBN 4-06-142006-2
(3巻)講談社・吉川英治文庫 7/1975年/ISBN 4-06-142007-0

 

時代小説の俊英として着実に階段を上り始めた吉川英治。デビュー作の「剣難女難」も大人気でしたが、一気に知名度が全国区になったのは、「鳴門秘帖」の成功が大きいと言えます。

この作品は、「大阪毎日新聞」に約2年にわたって連載されました。

実は「鳴門秘帖」の連載前、白井喬二(1889〈明治22〉年9月1日 – 1980〈昭和55〉年11月9日)が「新選組」で時代娯楽小説のジャンルを確立し大当たりとなり、以降、メディアは2人目の白井を発掘しようと血眼になっていました。

そんな中、「大阪毎日新聞」が目を付けたのが新進気鋭の吉川英治。対して「大阪朝日新聞」が抜擢したのは「鞍馬天狗」でブレイクした大佛次郎(おさらぎ じろう、1897(明治30)年10月9日 – 1973(昭和48)年4月30日)。

英治は「鳴門秘帖」を、大佛は「照る日くもる日」を書きました。

結果、この2作は大阪の庶民を熱狂させるほどの大ヒットとなり、新聞は争って読まれ、後日、どちらも映画化されるほどの反響を呼びます。

ちなみに、大佛は東京帝国大学卒で、外国語にも堪能なエリート。一方の英治は、家が没落し、小学校卒業後に船員や職人を転々とした叩き上げの苦労人。その境遇の違い過ぎる2人が文壇でしのぎを削ったのは面白い話ですが、2人とも大変な読書家というところは共通していました。

例えば、英治のあらゆる作品を読んでみると、大正・昭和期によくこれだけの知識を持っていたなと感心することしばしばですが、それはまさに彼の凄まじい読書量と勉強の賜物。

一方で大佛には、若い時代に丸善で本ばかり買ってしまい、生活苦になったというエピソードがあります。現代の我々でも想像がつかないほど、2人は膨大な書籍と史料を読み漁っていました。

ここでご紹介する「鳴門秘帖」だって、フィクションたっぷりの伝奇ものですが、素材は江戸時代の蘭学者、司馬江漢(しば こうかん、延享4〈1747〉年 – 文政元〈1818〉年)が著した「春波楼筆記」という大変マニアックな書物から採っています。

さらに、物語にさもありなんの真実性を持たせるべく、朝廷内部の幕府転覆計画である「宝暦事件」と「明和事件」、さらに阿波徳島藩主・蜂須賀重喜の蟄居を巧みに織り込むなど、彼は膨大な知識の海から起伏の大きいドラマを紡ぎ出していきます。

それゆえに、単に荒唐無稽なチャンバラ小説にに終わらない。

それどころか、さらにすごいのは英治が探偵小説のようなスリルと謎解き、近代純文学のような恋愛と葛藤を織り込んでいるところで、文学的に見ても、「鳴門秘帖」は大変優れた作品だと言えます。

キャラクターも立っていますね。

主人公の無住心剣夕雲流の使い手、隠密の法月弦之丞のモテっぷり。見返りお綱とお千絵という、境遇も性格も違う2大ヒロインが、弦之丞を巡って懊悩する様。そして、角兵衛獅子の姉弟という悲惨な業遇を生きる三輪と乙吉。

当然、バトルシーンも手に汗握ります、ぜひ、読まれてみてください。

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