西遊記の世界 第3回

こども向けの西遊記

前回は、我が国における西遊記の代表的翻訳について書かせて頂きましたが、今回は少し肩の力を抜いて、お子様向けの平易なものについて、お話ししたいと思います。

さて、日本では「西遊記」と言えば、子供向けの童話のようにとらえる向きがありますが、実際、書店の絵本コーナー、特に回転式の鳥かごのような本棚にはこういう本があったりしますよね。

まあ荒唐無稽なバトルが大筋で、しかも仏教を背景とする「勧善懲悪」をベースにしておりますので、幼児の読み物にはうってつけなわけです(暴力についての否定的見解はありますが)。

ところが、お子さんが大きくなると、孫悟空が如意棒を勇敢に振り回すだけの展開では親御さんも物足りなくなるので、出版社はもっと深みのある翻訳をちゃんと用意しています。

ここでは、孫悟空は悩み、葛藤し、頻繁に挫折を味わう等身大の存在になっています。三蔵法師、猪八戒、沙悟浄も一緒です。彼らは互いに助け合い、信頼し合い、時には仲間割れも起こしながら、天竺に行くという目標に向かってチームワークを高めていきます。

まるで少年ジャンプの王道ストーリーのような展開で、読んでいてとても面白い。また、心を育てる意味でも最高の教材に成り得ます。ちなみに、私も少年時代は旧バージョンの青い鳥文庫「西遊記」を愛読していました。

現在、このバージョンは絶版になっています。でも、格調の高い訳に充実したあとがきが素晴らしく、いつか何らかの形で復刊してほしい名著です。

ちなみに、訳者である松枝茂夫(まつえだ・しげお 1905年 – 1995年)さんは生前、中国文学研究の権威として知られていました。近世中国文学の絶頂と言われる「紅楼夢」の翻訳、徳間書店の「中国の思想シリーズ」の監修は大きな業績として高く評価され、現在でも広く読み継がれています。

以前、「三国志を読もう」の項でも採りあげましたが、講談社の青い鳥文庫、特に昭和から平成初期にかけて流通していたものは、本当に素晴らしかった。こども向けであるはずなのに、難読漢字や古風な表現が次々に登場し、読み聞かせようという愛想が全くない。

三国志を読もう!3

それでも、知識欲旺盛で多感な子供には、かえって非常に刺激的でした。あとがきでも、西遊記の成立過程や前に述べた「李卓吾本」への言及もあり、大変勉強になったものです。

それから私の西遊記熱はいっそう高まり、もっと長い尺のものが読みたいという欲求から、岩波少年文庫版全3冊に手が伸びました。令和2年現在、この岩波少年文庫版はレギュラー版です。

「三国志演義」、「水滸伝」の時もそうでしたが、私は中国四大奇書はまず講談社の少年向けから入り、岩波少年文庫の3冊ものにチャレンジし、学生になって岩波文庫の完訳版でフィニッシュというパターンを繰り返しました。もっとも、こども向けではない「金瓶梅」はいきなり全訳から読みましたが(笑)。この流れは、非常に実り豊かな読書ライフを形成しますので、お子様、若い方にはぜひお勧めします。

さて、本題に戻りますが、この少年文庫版にはちょっとした逸話があることをご存じでしょうか。

実は、この少年文庫版は日本で初めて原典に準拠して完訳された「西遊記」と言われています。

「初めて原典に準拠?」

いかにも奥歯にものが挟まったような言い方ですが、それにはちょっと屈折した事情があります。

前回ご紹介したとおり、「西遊記」は早くも江戸時代には庶民に伝わっていましたが、初めて完訳に挑んだ「通俗西遊記」は未完(全65回)に終わっています。その後、「通俗西遊記」の未完部分を補い、ダイジェスト版として世に出たのが「画本西遊全伝」でした。

通俗西遊記

この「画本西遊全伝」の影響力はすさまじく、以降戦中までに出版された「西遊記」の多くが、この「画本」をもとに書かれたそうです。

ところが、ダイジェスト版と言うことで、現在私たちが読める「西遊記」の総量に比べればはるかに物足りない。そこで改めて、中国で流通している「西遊記」の原テクストに当たり、完訳を目指そうと志したのが伊藤貴麿(1893年9月5日 – 1967年10月30日)です。

伊藤はもともと作家。しかも早稲田大学英文科卒ですから、中国文学のエキスパートではありません。

上の写真にありますように児童文学者として名を成した人で、守備範囲は非常にオールマイティ。ただ、それだけ猛烈な勉強を独学で成したと伝わっています。

そして、多くの材料の中で伊藤のハートをとらえたのが中国古典文学でした。いまのところ絶版となっているようですが、講談社少年少女世界文学全集では「三国志」と「水滸伝」を受け持っています。

でも伊藤と言いますと、代表すべきは「西遊記」。太平洋戦争開戦で非常に暗澹としていた1941年、「新譯西遊記」を上梓したことが最大の業績です。

彼はそれまで日本の「西遊記」訳の主流であった「画本」ベースに異を唱え、中国流通の「本場もの」にあたりました。そのテクストは、方明編「改編西遊記」というものです。

ここで思い出してください。先ほど、私は伊藤の訳が「初めて原典に準拠して完訳」と変な言い方をしましたよね。実は、この方明と言う人の「西遊記」もダイジェスト版なのです。

方明の西遊記は、本場中国で児童書として発表されました。すなわち、西遊記の原書はかなり低俗な表現も多く、特に子供に読ませるにはあまりよろしくない表現も見受けられますので、そうした部分をカット。それでいて、なるべく原典を損なわない分量に再編したのが「改編西遊記」です。

伊藤はこれをテクストに選びました。よって、のちの中野美代子版には及びませんが、戦中~戦後すぐと言う時代にあって、原典に準拠した完訳に近い「西遊記」が誕生したわけです。

戦後になって、伊藤は再び自身の「新譯西遊記」に手を加え、それが岩波少年文庫から現在までのロングセラー「西遊記」として後世に遺りました。

「画本」ベースでは省略されていた「兄貴、~しねえか。」や「あほうめ。」といった会話の面白さは、伊藤訳によって詳らかになったと言われます。前章で紹介した訳者・君島久子も、この伊藤の仕事をリスペクトして自らの偉業に取り掛かったと言われますから、後世への影響も計り知れません。

この岩波少年文庫版は、わが国への「西遊記」の伝播史を伝える貴重な資料でもあります。ぜひ、お読み頂ければと思います。いまなら、電子書籍でまとめて読むこともできますよ。

 

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