寝る間を惜しんで水滸伝 第7回

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泰然自若の吉川英治、男のロマンの北方謙三!

長々と「水滸伝」のことを語ってきましたが、今回はその最終回。

日本で書かれた「水滸伝」のリライト小説について書いてみたいと思います。

とは言っても、「水滸伝」じたいが優れた小説ですから、これをさらにリライトすると言うのは結構難しい作業です。二次創作のようになってしまうと文学的価値は下がり、またあまりに独創的な内容(宋江たちが朝廷に勝利し、天下に覇を唱えるとか)を書けば、大批判を浴びかねません。

だからという訳ではありませんが、日本では直接的なリライトではなく、「南総里見八犬伝」や「天保水滸伝」のように、舞台をわが国の戦国時代や幕末に遷し、108とか因縁の数字を匂わせながら、義理人情に篤い勇士たちがバトルを繰り広げる作品が多く生まれました。

寝る間を惜しんで水滸伝 第4回

ただし、これら作品の登場人物の性格は、本場「水滸伝」のキャラとはかなり違います。ひとことで言えば、清廉潔白。武士道の精神を貫き、たとえ理不尽な目に遭っても、ダーティーな手を使って報復するようなことはしません。

対して「水滸伝」のキャラは癖ありすぎ。宋江や呉用は胡散臭いですし、魯智真はアウトロー丸出し。李逵に至っては、市街戦のさなか、罪なき市民を虐殺するありさまです。駒田版全8巻を読めば、好漢らの行動全てに、日本人が決して手放しの喝采を送ることはないでしょう。

すなわち、精神の深いところに仏教的思想が根付いている日本人には、中国人の精神や理屈が詰まった「水滸伝」を楽しめても、書き直すと言うのは、相当難しい作業なのです。

ところが昭和に入り、こうした問題を認識しながら、あえてリライトにチャレンジした作家がいます。そう、吉川英治です。

吉川英治

英治は、戦前に「三国志」を書き、原作の雰囲気を全く壊さないながら、日本人的な心理描写や無常観を見事に溶け込ませ、彼の代表作としました。その後、「新・平家物語」や「私本太平記」という大長編を書き、いよいよ晩年にたどり着いたのが、「水滸伝」だったのです。

執筆当時、英治はすでに癌に侵されていました。結局、彼の「新・水滸伝」は、原作120回本の73回あたりのストーリーで絶筆となってしまいましたが、幸い70回本のような態となったため、現在まで版を重ね、広く読まれています。

さて肝心な内容ですが、そこはもうすっかり吉川英治の世界です。せりふ回しや文章の軽快さが彼にしか書けないもので、登場人物が生き生きしています。原作の豪放磊落さが抑えられている代わりに、何とも言えない品格というか、余裕のようなものが漂っているのが素晴らしい。

原作のあのアナーキーな雰囲気が苦手な人には、ぜひ読んで頂きたいリライトです。

 

続いては、平成に生まれた傑作リライト、読み応え十分な北方謙三の「水滸伝」を紹介しましょう。

この作品が大ベストセラーとなったのは記憶に新しいところ。それまでハードボイルド作品で知られた北方先生が、歴史小説というジャンルで地位を築くことになった、転換期の作品です。

北方先生はこの前に「三国志」を書いて話題になりましたが、メディアでの取り扱いは段違いに「水滸伝」が上だったのを覚えています。当時は「紙の本」が最後の輝きを放っていた時期でもあり(大型書店の出店ラッシュ)、「水滸伝」の累計発行部数は1000万部を突破したとも言われます。

さて、「三国志」もキャラクターが斬新な描かれ方をして大変面白かったのですが、「水滸伝」ではなぜこんな荒れた時代が到来し、役人までもが賊徒に身を投じたりしたのか、深く洞察してストーリーを組んでいるので、より深みのある仕上がりになっています。

そのカギの一つが「塩」。

宋の時代、役人の権威の後ろ盾となったのが、「塩」の専売権でした。古代中国において、専売品は統治の根幹をなす重要な戦略商品であり、漢代始元6年(紀元前81年)には「塩鉄論」という討論会の記録が残されたくらいです。

その権利を振りかざし、宋代の役人はあろうことか収賄など悪事を重ねていました。北方先生はそんな時代背景に注目し、梁山泊の好漢たちが非正規ルートで手に入れた塩を売ることで、莫大な資金を得ると言う伏線を作り上げます。

北方先生はキャラクターの再構築も断行しました。魯智真は強かでサイレントなフィクサー。いかがわしい偽善者の匂いのする宋江も、ここでは近代人的苦悩を克服していくリーダー。また、童貫・蔡京といった悪役にも彼らなりの行動原理が与えられる。さらには、原作では描かれなかった第3の勢力、青連寺の存在が梁山泊や官軍も脅かす…。

こうしたところ、ミステリでも比類ない手腕を発揮した北方先生の面目躍如ですね。

そして、この大河小説を読んでいて感じるのは、その半端じゃない熱さ。いや、ほんとに男臭さがムンムンしています。まさにこれは「北方先生の水滸伝」です。お見事!

この作品の紹介で以て、「水滸伝」を語るシリーズは終了したいと思います。他にも注目すべき翻訳やリライトはまだまだあります、それを探すのは皆さんの今後の愉しみとして、秘しておきましょう。

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