寝る間を惜しんで水滸伝 第4回

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日本で大ブームを起こした「水滸伝」

明代から清代にかけ、中国庶民の間で大ブームを起こした「水滸伝」は、当然のことながら隣国・日本にも速やかに伝わります。

時は江戸時代。長崎の儒学者・岡島冠山(延宝2(1674)年 – 享保13(1728)年)が初めて「水滸伝」を翻訳し、たちまち大ブームとなりました。

そしてその後、日本における「水滸伝」黎明期に大きな存在感を示した滝沢馬琴が登場します。

滝沢馬琴 ※明和4〈1767)年 – 嘉永元〈1848)年

馬琴は、葛飾北斎の版画を挿絵に用いて『新編水滸画伝』という翻訳を発表しました。馬琴独特の講談調の語り口と北斎の豪快な挿絵は忽ち、江戸っ子たちを魅了し、順調な売れ行きを示しますが、馬琴と版元との間に揉め事が発生してしまい、『新編水滸画伝』は中断の憂き目に遭います。代わって高井蘭山(1762(宝暦12)年 – 1839(天保9)年)という戯作者が残りを埋め、どうにか『新編水滸画伝』は完成します。

さて、翻訳を諦めざるを得なくなった馬琴の方はと言うと、今度は自らが「水滸伝」を参考にした英雄物語を書こうと思い立ちます。それが『南総里見八犬伝』です。

「八犬伝」は、江戸っ子の間で人気爆発、大当たりになりました。ハラハラドキドキ、怒涛の展開に早く続きを読みたいという声が続出し、「八犬伝」は大長編となり、過労が祟った馬琴が失明するという悲劇まで引き起こしたほどです。

さて、そんな「八犬伝」ですが、「水滸伝」との共通点は随所に見られます。まず、基本的なイデオロギーが勧善懲悪であること。次に、「水滸伝」が宋代に実際に起きた地方反乱を想像力豊かに膨らませたように、「八犬伝」も実在の大名・里見家で起きた史実に対し、ギリギリの線までフィクションを織り交ぜ、一大冒険物語に仕上げていること。

里見 義実(応永19年(1412年)- 長享2年(1488年)

そして、両作ともRPGのように好漢たちが単体で武勇伝を繰り広げ、スキルを磨き上げながら成長し、最後に一堂に会して巨悪に立ち向かうところが、いかにも日本人好みのヒロイズムに満ちていて、現代に至るまで不滅の人気を博しているのも分かります。

その一方、異なる個性を感じさせる部分もあるのも事実です。

「水滸伝」は洪大尉が封印を破ったため、百八の妖魔が閃光とともに解き放たれ、その後の波乱が始まるのですが、「八犬伝」は犬の妻となった伏姫が、畜生との道ならぬ行為がなかったことを証明するために割腹、姫の身体から仁義八行の文字が記された八つの大玉が飛散するという、ややエロティックな由縁からスタートします。

次に、「水滸伝」は魯智真や武松のようなごつい荒くれ者、李逵のような無知だけど正直な暴漢、コソ泥の時遷、時にはあくど過ぎる策士の呉用など、ひとクセもふたクセもある人物ばかり登場しますが(例外は完全無欠の悩めるイケメン・燕青くらい)、「八犬伝」は若くスマートで、義侠心に満ちた八人の侍が活躍するお話です。

こうやって見ると、似ている二作でありながら、底流には日本人と中国人の異なる美意識が微妙な印象の違いを生み出しているように思えてなりません。

いずれにせよ、「水滸伝」が「八犬伝」を生み出し、「八犬伝」が日本に武侠小説、伝奇小説のムーヴメントをもたらしたのは、日本文学史における大きな奇跡と言えるでしょう。

それでは次の回では、時代が飛んで明治から平成にかけての「水滸伝」の素晴らしい翻訳群についてご紹介して参ります。

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