寝る間を惜しんで水滸伝 第3回

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複数のエディションに分かれた「水滸伝」

1600年代になって、ようやく庶民の間で読まれるようになった「水滸伝」は、その無類の面白さから中国国内で爆発的にヒットし、特に清代は七十回本が広く大衆中心に読まれました。

七十回本?

水滸伝好きには敢えて触れるまでもない話ですが、いろいろな読書好きの方が読まれる当ブログで、このことをスルーするわけにはいきません。

実は「水滸伝」は、明代に成立したもっとも古いバージョンが、全100話から成る「百回本」と言われています(現存する最古の「水滸伝」である明代の容与堂本も百回本です)。なお、百回本の構成は以下のとおりです。

a.第1回~71回 梁山泊に百八人の豪傑が集うまで
b.第72回~81回 梁山泊と官軍との戦い
c.第82回~90回 百八人が招安され、北方王朝・遼と戦う
d.第91回~100回 方臘討伐と梁山泊の終焉

百回本を読むには、中国古典文学の権威・井波律子氏が訳した講談社学術文庫版が比較的容易に手に入ります。ネタバレになりますが、好漢豪傑たちの胸のすくような大暴れ、それが朝廷に丸め込まれて官軍として戦うようになり(梁山泊が賊の群れではなく、替天行道、本来は朝廷への忠義を貫く集団であるという理屈からいけば、矛盾のない翻意になります)、最後は異民族の遼や方臘の反乱軍と激闘を繰り広げながら、宋江はじめ多くの英雄たちが死んでゆくという、まさに軍記の王道はかくありきという構成になっているのが百回本です。

百回本は飛ぶように売れ、大ブームとなりました。すると、現代メディアでも同じような現象が見られますが、人気にあやかってスピンオフのような追加ストーリーが本編に挿し込まれます。具体的には、明末の楊定見・袁無涯という人たちが、上表のcとdの間に、田虎・王慶との戦い(第91回~110回の20話)を書き加えました。これが百二十回本です。

百二十回本は、過去に講談社文庫全8冊で出ていました。現在ではkindleで読めます。

さすがに豪傑たちが官軍となり、かつてのアナーキーな振る舞いをしなくなってからの部分に20話足されてしまうと、冗長な感じは否めません。駒田版は原作の粗暴なエネルギーを屈託なく最大限に引き出していて面白いことこの上ないのですが、どうしてもこの長さは気になります。

実は、水滸伝が大衆に普及した明代から、この官軍編入後のストーリーは蛇足と思われていた節があります。清初に金聖歎(1608年 – 1661年)という人が七十回本を刊行したことがその証左です。

七十回本は、序章の1話を含め71話から成り、上表ではaで終わります。その後の悲劇的なストーリには触れず、宋江はじめ108人の英雄好漢たちが意気揚々と梁山泊忠義堂に集うところがクライマックス。まさに勧善懲悪、梁山泊大勝利のストーリーと言えるでしょう。

こういう展開は、大衆に大ウケしました。あまりにウケすぎて、20世紀に至るまで百回本や百二十回本の存在が忘れられたほどだったとも言います。また、異民族王朝であった清政権にとっても、遼が討伐される後半がバッサリ切られたのは好都合であったでしょうし、中国共産党も朝廷に帰順した梁山泊を批判していた立場から、革命物語の外観を保った七十回本の方がマシだったのは容易に想像がつき、長く七十回本の優位は続きました。

ただしその後、「水滸伝」を近代小説として再評価する流れが生まれ、悲劇的な後半を蛇足として見ず、文学的価値を高める要素として捉える向きも増え、また原典主義も重んじられたことから、昨今では百回本、百二十回本も多く出版されています。

ちなみに、当ブログで積極的に採り上げている吉川英治も「新・水滸伝」という作品を遺しており、おそらく彼は百回本、百二十回本を想定して書き始めたと思われます。ところが皮肉なもので、作者急逝により偶然、七十回本の忠義堂集結あたりで「新・水滸伝」は絶筆となりました。

個人的には、寂莫とした後半の無常観は吉川氏の得意とするところだっただけに、また氏の「三国志」や「新・平家物語」のラストが見事だっただけに、ぜひ後半も読みたかったですね。

さて、次章では日本に渡ってきた「水滸伝」について書いてゆきます。

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