シャーロック・ホームズの冒険を冒険する Chapter 4

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図書室に現れたホームズ

シャーロック・ホームズは、日本でも多くの翻訳本が登場し、多くのファンを獲得しました。もっともコアなファンはシャーロッキアンと呼ばれ、聖地ベーカー街巡礼はもちろんのこと、様々な関連グッズを収集したり、奇抜な研究を行ったりすることで有名です。

そんな彼ら、特に昭和生まれのシャーロキアンたちにとてつもない影響を与えたのは、おそらくポプラ社の「名探偵ホームズ・シリーズ」と、グラナダTVのドラマでしょう。

かつて、小学校の図書室には必ずと言って良いほど、「少年探偵団シリーズ(江戸川乱歩)」、「怪盗ルパン・シリーズ(ルブラン)」、「名探偵ホームズ・シリーズ(ドイル)」が並んでいました。おどろおどろしい表紙絵と血沸き肉躍るストーリー展開に、読書好きの子供たちは先を争って読んだものです。とても良い時代でした。

とはいえ、ルパンとホームズについては、原作をかなり弄った翻案(「少年探偵団」も乱歩自身が自作を少年向けに書き改めたもの)であることに注意しなければなりません。

例えば、以前書きましたように、ルパンシリーズは訳者・南洋一郎さんのオリジナリティがかなり強いシロモノです。

怪盗ルパンシリーズ 「三十棺桶島」

同様に名探偵ホームズシリーズも、訳者・山中峯太郎(1885(明治18)年 – 1966(昭和41)年)によって大きく手が加えられたものとして知られます。ここに登場するホームズは、大食いでがさつ、陽気な名探偵。令和の私たちからみれば、かなりイメージが違いますね。

つまり、山中版は「翻訳」ではなく「翻案」として楽しまなければなりません。

山中 峯太郎

ところで訳者の山中。彼は文学畑の人ではなく、もともとは軍人という変わった経歴を持ちます。しかも、陸軍大学校に入校し、学友に東条英機がいるような超エリートコースを歩んでいました。

優秀な頭脳と人望を兼ね備え、将来を嘱望されていた山中。そんな順風満帆の彼に1911(明治44)年、大きな転機が訪れます。この年、中国で辛亥革命がおき、日本にいた多くの中国人留学生が打倒清朝、打倒袁世凱(1859年 – 1916年)のため、祖国に帰国します。

初代中華民国大総統となった袁世凱。

すると、山中は留学生たちとの友情から何と陸大を中退し、外国である中国の辛亥革命に身を投じたのです。それはすなわち、将来の栄達全てを放棄することを意味しました。

それでも、山中は名誉なんてナンボのものと、新聞記者に転身する傍ら、革命にズルズルと加担し、その後は陸軍依願免官、犯罪で投獄されたり、公職を追放されたりと、波乱万丈の半生を送ります。不運というより、信念のためにはどんな苦難でも受けて立つタイプなのかもしれません。

そんな彼の身を扶けたのは、彼自身が若い頃から副業としていた作家稼業でした。

彼は10代の頃から新聞の連載小説を受け持っており、中国から帰国後も講談社の「少年倶楽部」を中心にいくつかの小説を発表していました。特に日露戦争を描いた「敵中横断三百里」は子供たちの熱狂的な支持を得ます。

しかし、その作風もあってか、戦後は新作を出す機会が減り、山中の人気は戦前の作品でたまに思い出される程度にまで低下してしまいます。

そんなところに飛び込んできたのが、ポプラ社からの『世界名作探偵文庫』の執筆依頼でした。

この企画は、海外のミステリ小説を児童向けに、日本の名だたる文筆家が翻案よろしく書き下ろすという内容で、最終的に29冊のセット(のちに山中のホームズシリーズ12冊が独立し、新たに9冊を追加、全38冊)に発展します。

採り上げられた作家は、ドイル、ルブラン、ボアゴベイ、ウェルズ、アラン、フレッチャー等々。翻訳は南洋一郎、江戸川乱歩、保篠龍緒、海野十三など、どちらも多士済々。荻山春雄らのホラーチックでレトロな画調も光ります。

山中はすぐにこの仕事を受諾しました。元々が語学堪能の秀才。研究熱心で勉強家の彼はすっかりこの仕事にのめり込み、猛烈なペースで執筆。人気もついてきて、当初3冊の予定が『名探偵ホームズ全集』全20冊という偉業に大化けします。

山中の仕事は独特で、まず今日と違い、海外の情報をほとんど知らない日本の子供たちにも分かりやすい翻訳を心がけたところに長所があります。

なにしろ英国の作家だから、その小説には、当然に、英国人の古い習わし、風俗、わからないことばなどが、多分にふくまれていて、上手な訳文でも、日本のことに少年少女にはぴったりしない点、たいくつするところがすくなくない。

そこで、この本は、『緋色の研究』を翻案して、日本の少年少女に、もっともおもしろいように、すっかり、書きなおしたのである。

山中峯太郎 名探偵ホームズ全集 第一巻『深夜の謎』序文

次に、ドイルの原作はシャーロッキアンや研究家から、今日でも論理矛盾を指摘されるケースが多々ありますが、山中はいち早くそれらに気付き、自身の翻案では見事に修正を行っています。中には誰も気付かないような箇所の指摘も含まれており、山中の慧眼には驚くばかりです。

そうした山中の偉大な仕事を知って頂くためにも、ぜひ上の3冊の全集をお読み頂きたいところですが、かなり値段が高く、入手難易度はやや高いと言えます。そこで、端末さえあれば全国どこに居ても入手可能な電子書籍版をお薦めします。

上記2作品の他にも、たくさんの山中ホームズが電子書籍化されているので、ぜひ全巻読破にチャレンジしてみてください。

それにしても、以前ご紹介した延原謙と言い、この山中と言い、日本のシャーロック・ホームズ人気の基礎を作った人たちの並々ならぬ努力(しかも太平洋戦争という大変な時代にあって)と、その冴えわたる頭脳には、本記事を書いていて改めて敬服しました。令和もその次の時代も読み継がれていってほしいものです。

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