岩波文庫解説目録2022に掲載されている、青帯(日本思想)の4冊を紹介します。
今回は比較的マニアックな4冊の紹介になります。
まずは青108-1、陸羯南の「近時政論考」から見ていきましょう。
陸羯南(くがかつなん、安政4(1857)年 – 明治40(1907)年)は、わが国の政府批判型ジャーナリストの走りのような人で、自ら興した日本新聞の社長兼主筆として舌鋒を揮いました。
あまりの鋭さに、政府から発行停止にされること数度。また、三国干渉受け入れを述べた「東京日日新聞」と論戦を繰り広げるなど、妥協を知らない硬骨の人でもありました。
一説には、当時の政府の支配層でもあった薩長閥への、東北人であった陸羯南の一貫した反骨真が、こうした批判の原動力であったとも言われています。
そんな陸羯南が著した「近時政論考」は、「日本新聞」に掲載した彼自身の社説を取りまとめたもので、明治時代の急速な変革期にあった時代背景を受け、政治や社会の現状を分析し、改革の方針を提唱しています。
西南戦争や明治維新などの出来事を経験した陸は、西洋の思想を都合よく採用する政府の人々と異なり、フラットな目で西洋の進んだ思想文献を読み解き、上からの国家ナショナリズムに対して、下からの健全なナショナリズムの可能性を主張しました。万民の幸福のために上の欺瞞を暴き、硬骨古風な文章で怒れる様は、令和の今でも熱く、心を打ちます。
続いて青109-1、横山源之助の「日本の下層社会」を紹介します。
カバーを変えて新書で出せば、令和の新刊本にも見えるようなタイトルですね。
著者の横山源之助(明治4(1871)年 – 大正4(1915)年)は、富山県出身のジャーナリスト。私生児として生まれ、早くに奉公に出されるなど、苦労の多い青年期を送っています。
その後、苦学して弁護士を目指すも失敗し、各地を放浪。ところが災い転じて福となすで、放浪期に二葉亭四迷ら著名な文士と親交を持ち、横山はルポルタージュの世界に興味を抱きます。
そのような流れでルポルタージュを書くようになった横山は、当時隆盛だった社会主義とは一定の距離を置きつつ、取材対象を貧民層に置き、綿密な取材を行うようになりました。
「日本の下層社会」は彼の代表的なルポで、感情や主義主張ではなく、客観的なデータを積み上げて当時の貧民層の実態を示しています。
「東京市十五区、戸数二十九万八千、現在人口百三十六万余。多数は生活に如意ならざる下層の階級に属す」という書き出しから、客観的な姿勢です。
読み進めると、貧民窟を戸数、人口、男女比で集計し、さらには各職業の賃金表、費目ごとに積み上げた賃金表を示すなど、現代でも通用するデータの取り方に驚かされます。
さらに、そんな国の在り様をミスリードしている政府を倒すべし、という主張に陥らず、「是非を言わざるべし。一に読者の判断に委す」としている横山のスタンスは賞賛されるべきでしょう。
ただ、かの横山の最期も悲惨なもので、「間借りの二階の六疊」で窮死したと伝えられています。さらに、その後の高度経済成長の中で、彼の業績は忘れられつつありましたが、岩波書店が「日本の下層社会」を粘り強く再版してくれたおかげで、「社会福祉の先覚」として今日では見直されています。
格差社会が叫ばれる令和の時代に、彼の著作はぜひ読んで頂きたいと思います。
3冊目と4冊目(青110-1、青110-2)は、近代自由民権思想の巨峰、中江兆民(なかえ ちょうみん、1847年 – 1901年)にまつわる作品です。
まずは、「三酔人経綸問答」。光文社古典新訳文庫でも読めます。
登場人物は3人。列強のやり方を否定し、完全民主制、非武装・非戦を唱える洋学紳士、彼に反対し、中国進出を主張する東洋豪傑。そして二人の論を俯瞰し、いずれも退けてしまう外交リアリストの南海先生。その3人が酒を酌み交わし論戦する、面白くもあり、永遠の外交テーマへの向き合い方に唸らされるのが「三酔人経綸問答」を読む醍醐味です。
ちなみに、空海の著に「三教指帰」というものがあり、三教(仏教・儒教・道教)を比較して、仏教の優越性を説きますが、「三酔人経綸問答」の骨格はこれに相似しています。
また南海先生の主張は、他の2人に笑われるほど地味ですが、天下百年の計を論じるに、いたずらに奇抜や新味を求めて喜んではならぬ、という彼の主張は現代人が特に肝に銘じなければならない金言と言えるでしょう。
これも、令和の特に若い人に読んでほしい一冊です。
さて、著者の中江兆民は、東洋のルソーとして知られる思想家で、かつ明治23(1890)年の第1回衆議院議員総選挙で当選し、政治家としても活躍しています。
しかし、彼の本領は『東洋自由新聞』の主筆として激しい弁舌を発揮し、国会開設に向け自由民権運動に盛り上がる当時の若者たちの心を大いに刺激したところにあるでしょう。
そんな中江兆民の壮年期から晩年に至るまでの社説をまとめた評論集はお勧めです。
彼の政治批判を読めば読むほど、時代の新旧を問わず、時間の経過とともに政治の熱は公・民ともに失われ、妥協と党利に収斂されてしまうような宿命を感じてしまいます。閉塞感漂う令和の時代、彼の主張には改めて耳を傾けたいものです。