司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(5)

絶対に観る価値あり、葛藤の跡残る生原稿

★司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(1) 司馬遼太郎について はこちら

☆司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(2) 神戸空港からJR大阪駅まで はこちら

★司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(3) 新幹線or伊丹空港ルート→大阪駅 はこちら

☆司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(4) 八戸ノ里駅から司馬記念館まで はこちら

さて、やっと司馬遼太郎記念館に着きました。

閑静な住宅街に突如登場するので、ちょっとびっくりしてしまいます。

訪問時、道に迷ったせいもあり、この日の目玉である「館長講演」に危うく遅れそうになり、私は入口の職員さんの親切な案内を受けながら、バタバタと中に入りました。

モクレンやスズカケの木といった緑に囲まれた庭園。心和みますね。司馬先生は、これらの植物を心から愛したそうです。

先生が傑作を綴っていたであろう書斎を通り過ぎると、企画展「関ヶ原」の看板が。

岡田准一さん主演の映画「関ケ原(司馬遼太郎原作)」に合わせて、記念館では司馬先生がこの小説のために遺した貴重な資料が展示されています。

そして、いよいよ館内。立派な回廊です。

この立派な記念館は、有名な建築家・安藤忠雄さんによって設計されました。コンセプトは、「蔵書で囲われて、闇に包み込まれたような、かすかな光の空間のイメージ」だそうです。

回廊を進んでようやく、中に入りました。上の動画にありますように、スタッフの方に「館長講演」が始まりますのでお早めにどうぞ、と案内を受け、展示場は後回しにホールへと急ぎます。

1ページ目でも書きましたが、この日は実在しないと言われた「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」の生原稿が発見されたことを記念し、7月1日から8月31日まで行われた特別展示の真っ只中でありました。

司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(1)

特別展示では、上村洋行・館長が記念講演を1日の中で数回行います。私はお昼の部の参加。

びっしりと埋まった、40人ほどが座れる小ホールの中に、体格のいい、気品に溢れた上村館長が入ってきました。

この上村さん、何と司馬先生の義理の弟になられます。すなわち、お姉さんのみどりさんが、司馬先生の奥様だったんですね(2014年他界)。なお、上村館長ご自身も、司馬先生とゆかりの深い産経新聞の記者として、長く活躍しました。

上村さんはまず、今回の原稿の発見の経緯について、当時の新聞社内のエピソードなどを交えながら、実に丁寧にお話しされました。私はその話を聞いて、本当にこんなすごいものがよく出てきたな~、と心の底から感動したものです。

さらに上村さんは、司馬先生が校正を入れた個所、竜馬が斬られる際に刀をどちらの腕で掴んだ、とか、「天がその使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」の一文とかを挙げ、「当時のインクで何度も書き換えた跡が分かって、司馬の葛藤がよく分かる。現代の文書入力ソフトであったなら、こうした葛藤は知る由もなかった。」と仰いました。

う~ん、なるほど! これはまさに至言だと思いましたね。

たしかにWordとか一太郎は、サクッと文章を削れますけれど、上書きしたら二度とその文は戻ってこない。ましてや、自分の死んだ後に、作者はこの文章とどちらにするか迷った、何て葛藤は絶対に第三者には分からないのですから…。

納得しつつ、館長のありがたいお話が終わるや否や、私は館内の展示場の方に移り、先程の言葉を確かめるべく、展示中の自筆原稿をじいっと眺めました。

たしかに仰るとおり。

今は目にすることも少なくなった原稿用紙に、取り消し線や塗りつぶし、書き換えの乱文字や果ては裁断の後まで残る生々しい原稿! 今の講演のとおり、そこにはまさに司馬先生、編集者、出版に携わった職人たちの葛藤と戦いの後がしっかりと刻み込まれていました。

 

多読家の司馬らしい圧倒的な蔵書 壮観!!

食い入るように原稿を見倒した後は、改めて館内に広がる巨大な書架に目を見張りました。

まるでベルギーワッフルみたいな棚にびっしりと詰まった本。

司馬先生の作品もあれば、先生が作品を書くために集めた、気の遠くなるような量の本(2万冊)が収められています。

伝わるところでは司馬先生、ある作品を書くために古書店をまわり倒し、軽トラ1台分に積んで帰ったとか。おかげでそのネタに関する資料が古書業界から消失するようなことも起きたらしいです(笑)。

まあ、司馬先生の小説に頻出する余談のネタのマニアックさも、それだけの蒐集と多読の成果だと思えば納得できますね。

館内をじっくり観察した後は、お土産コーナーへ。

お土産もなかなかファン心理をくすぐりますね。

作品名の入ったブックカバーやバンダナ、一筆箋。そして、来館記念スタンプ台がありまして、館内で買った司馬先生の文庫本に押せるというシステム。

私は下記の本を購入して、スタンプを押し、大満足の今回の旅を完了しました。

 

※なお、司馬遼太郎記念館については、下記のデータをご参照ください。

〒577-0803 大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号 (近鉄奈良線「八戸ノ里駅」下車 徒歩約8分)

〇開館時間:10:00~17:00(入館受付は16:30まで)

〇休館日:毎週月曜(祝日の場合は開館し翌日休館)、9/1~9/10、12/28~1/4

〇TEL:06-6726-3860 FAX:06-6726-3856

〇入館料:大人500円、高・中学生300円、小学生200円(20名以上の団体は入館料が2割引)

司馬遼太郎記念館 公式ウェブサイト

司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(4)

ちょっと難しい司馬記念館への歩き方

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さて、前ページでようやく八戸ノ里駅に着きました。

ここから司馬遼太郎記念館までは歩いてほんの15分程度なのですが、ちょっと気をつけて頂きたいことがあります。出口です。

八戸ノ里駅には二つの出口があるのですが、必ず複数のバス停車場が並ぶロータリー側の出口に出てください。

ここを間違えちゃうと完全に逆走してしまいますから…(;´д`)トホホ。

出口さえ間違わないと、あとはどんどん進むのみです。

私がここを歩いた2017年の夏は左側で何か工事中でしたが、ここに何かできれば風景が変わると思います。ただ、そのさらに左奥に小学校が見えますので、まずは校舎が目に入れば、その方角でOKです。

右手には高校のグラウンドがあって、フェンスには司馬遼太郎記念館の方角を示す大きな看板が貼ってあります。

この工事中の場所とグラウンドに挟まれた一本道をまっすぐ行くと、右手に八戸ノ里病院という建物が見えてきます。

この八戸ノ里病院の建物を過ぎて、すぐに右の小道に入ります。

上の写真に見える、「八戸の里南」交差点の標識より先に進まないよう、ご注意ください。

こういう建物と建物の間の道をとにかく真っ直ぐ真っ直ぐ進みます。

到着です!

ここまでわずか15分で来られるはずなのですが、最初は逆方向に歩いたり、八戸ノ里病院のはるか先まで歩いて行ってしまったり、大変でした。

このブログが、記念館を初めて訪れる皆さんの一助になることができれば幸いです。

さて、次ページではいよいよ司馬遼太郎記念館の中身について書いてみたいと思います。

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司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(3)

伊丹空港からのアクセスについて

◁(前ページ)★司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(2) はこちら

前頁では、神戸空港から大阪(梅田)駅へのアクセスについて書きましたが、神戸空港にアクセスできる航空路線は限られています。よってこのページでは、就航数が多い伊丹空港から大阪駅までのアクセスについて書いてみたいと思います。

伊丹空港にアクセスできる航空便は、こちらで検索できます。より安い航空券を探すことも可能です。

伊丹空港に着きました!

ここから大阪駅までは、ちょっと複雑な乗り換えを経ることになります。

まずは、ターミナルからいったん外に出て、向かい側の「大阪空港駅」に向かいます。

大阪空港駅からは、迷わずモノレールに乗ってください。イメージ的に、モノレールは乗り換えが大変と思われがちですが、実際に乗車してみると、意外に楽です。

3分で「蛍池」という駅に着きますので、そこで下車。阪急宝塚本線・梅田行に乗り換え、20分で梅田駅に到着します。

あと、上の図のとおり、大阪空港駅から梅田に直行するリムジンバスもいます。ただ、大阪市内に近づくほど渋滞が激しくなるため、早め早めに移動したい方にはお勧めできません。状況に応じての選択を推奨します。

次に、新幹線で移動される方についても触れておきましょう。

新幹線の到着駅は、新大阪駅です。ここから地下鉄/大阪市営御堂筋線・なかもず行に乗車してください。地下鉄の梅田駅に3駅6分程度で到着します。

駅名は「梅田」ですが、阪急線の駅とは別の場所にありますからご注意を!

いずれにせよ、両梅田駅に到着しましたら、同エリア内のJR大阪駅にご移動ください。移動方法はこちらです。

さあ、いよいよここから東大阪市に向かって移動です。大阪駅から環状線、近鉄電車という行程になります。

まずはJR大阪駅の大阪環状線ホームを探してください。

環状線には内回りと外回りがあるのですが、今回は外回り。京橋・鶴橋方面行きに乗車します。

天満→桜ノ宮→京橋→大阪城公園→森ノ宮→玉造と、大阪市内の飛び切り美しい車窓を堪能しながら、約15分の旅。

「鶴橋」という駅に着きます。

ここでいったん乗り換えになるのですが、まあ皆さん、この駅でドアが開いた瞬間、びっくりされると思います。

そう、焼き肉の匂いが凄いんですΣ(゚Д゚)

鶴橋駅界隈は、実は日本でも有数のコリアタウンで、駅周辺には昔ながらの焼き肉の名店がびっしりと出店しています。人情溢れる下町のお店で、私も機会があればここでランチを食べたり、一杯ひっかけたりします笑。

鶴橋のグルメについては、憶良(おくら)さんのサイトに詳しいです。

ただ今回は先を急ぎますので、とりあえず泣く泣く乗り換え。

JR鶴橋から近鉄鶴橋駅への乗り換えはそれほど大変ではありません。駅構内の案内板に従えば、容易に連絡できます。

そこで近鉄奈良線・大和西大寺行に乗車し、5駅10分で目的の八戸ノ里駅に到着ですヽ(^o^)丿

次回はいよいよ司馬遼太郎記念館にアクセスです。お楽しみに!

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司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(2)

世界の中小企業の町、東大阪を歩く

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司馬遼太郎記念館は大阪府東大阪市にあります。

東大阪と言えば、日本でも有数の「ものづくり」の町です。中小の製造業がたくさんあり、主に部品の分野で世界中に優秀な製品を送り込んでいます。

アオキという会社をご存知でしょうか?
社長さんがとにかくキャラの強い方で、「東大阪からロケットを打ち上げるんや」を合言葉に、東大阪の中小企業と協力しJAXAを巻き込み、「まいど1号」なる人工衛星を宇宙に飛ばした方です。恐るべき行動力と言えるでしょう。

航空機部品製造の アオキ

この会社は、主にボーイング社の部品を手がけていて、その技術力の高さは折り紙付きです。そして何よりも、ボーイングから仕事を受注した社長のバイタリティ、私もお会いしたことがありますが、さすが大阪人という喝采を送りたくなるほどの魅力あふれる人物でした。

そういう個性的なリーダーや職人たちが集う街・東大阪に、生粋の大阪人である司馬遼太郎は「竜馬がゆく」を書き終えた昭和39年以降、居を構えたのです。なお、ここが彼の終の棲家となります。それから晩年まで、高度成長期にあってなりふり構わず頑張る東大阪の中小企業者たちの生き様を彼はずっと間近に見続けてきました。だからというわけではありませんが、司馬小説の道三や信長、秀吉、幕末の志士たちの像には、どこかそうした企業人や労働者らの姿が重なって見えるような気がします。

話が冒頭から脱線しましたが、私はその東大阪の町を改めて司馬先生と同じ目線で見直すべく、平成29年の8月、「司馬遼太郎記念館」を訪れることにしたのです。

今までのレポート(吉川英治、樋口一葉、太宰治、森鴎外)はすべて東京でしたが、今回は大阪ということで、交通手段などは一から調べ直し、このブログの読者様が私と同じように司馬記念館を訪れる際、最もお得なプランを立てられるよう、何度も行程を練り直しました。

以下が、私見による最も安心でお得なプランになるかと思います。

まずは大阪への行き方ですが、遠方からなら飛行機や新幹線ということになるでしょう。

飛行機ならこちらでお得な航空券をお探しください。

新幹線および鉄道のお得なチケットならこちらへ。

飛行機で大阪にアクセスするなら、伊丹空港または神戸空港が便利です。

関西国際空港もありますが、大阪のかなり南の方になりますので、時間的なことを考えればお勧めしません。

逆に神戸空港の場合、構造が非常にシンプルなうえ、2階に登ればすぐにポートライナーの乗り場がありますから、私は良くここを利用します。

【伊丹空港から司馬遼太郎記念館までのルートどりは、次章で説明します】

神戸空港は海上空港です。街部に出るにはここからポートライナー三宮行に乗らなければなりません。

所要時間約20分。片道大人330円子ども160円です。

ポートライナー 路線図/運賃

三宮駅に着いたら、大阪方面行きに乗り換えです。

ただし、三宮駅は神戸の大繁華街のど真ん中にある駅ですから、すぐに電車に乗らず、ちょっとオシャレな洋食屋さんや、B級グルメの名店など、ちょっと街並みを楽しむ余裕があってもよいかもしれません。

 

神戸イタリアン KIZUNA (キズナ)
神戸イタリアン KIZUNA (キズナ)
ジャンル:旬を味わうイタリア料理
アクセス:JR神戸線三ノ宮駅 西口 徒歩2分
住所:〒650-0001 兵庫県神戸市中央区加納町4-3-14 高木ビル2F(地図
ネット予約:神戸イタリアン KIZUNA (キズナ)のコース一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 三宮×イタリアン(イタリア料理)
情報掲載日:2017年10月22日

 

Hachi Cafe -KOBE-
Hachi Cafe -KOBE-
ジャンル:カレー、パスタ、カフェ
アクセス:JR神戸線三ノ宮駅 徒歩5分
住所:〒650-0012 兵庫県神戸市中央区北長狭通3-11-17 ベルズコートB1(地図
姉妹店:spice32 大阪駅前ビル店 | spice32 本町店 101
ネット予約:Hachi Cafe -KOBE-のコース一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 神戸元町・トアロード×カフェ
情報掲載日:2017年10月22日

 

さて、腹ごしらえが終わったら、大阪駅に移動しましょう。

三宮から大阪までは3つの鉄道ルートが存在します。

ひとつがJR。もうひとつが阪急。そして阪神。

もしあなたがスパっと大阪駅まで急行したいのであれば、JRしか選択肢がありません。新快速という、田舎で言えば特急に相当する電車が阪神間をかっ飛ばし、何と25分前後で着いてしまいます。

ただこの新快速の弱点は、便利がゆえに常に満席がちなこと。大阪の情緒あふれる街並みを楽しみながらゆっくり乗りたい方には少し不向きです。

そういう方には阪急電車がお勧め。

あずき色の綺麗で落ち着いた車輛。女性専用車両もあり、揺れも少なく、快適に乗れます。ただ難点は、新快速に比べると若干、到着に時間を要すること。そのぶん、お値段は安いのですが…

最後は阪神電車です。時たま、某球団のファンの皆さんの車内での熱狂がテレビに流れたりするので、ちょっと遠慮したい、と思われる方も多いかもしれませんが、電車も駅も綺麗ですし、乗車マナーも皆さん極めてよろしいです。ただ、阪神もやはり新快速に比べれば、時間がかかってしまいます。

いずれにせよ、三宮から大阪までは40分は見ておいた方が良いでしょう。

さて、ここで少し皆さんに注意事項があります。

ある程度、大阪について知識がある方ならご存知でしょうが、阪急・阪神のような私鉄では、大阪駅は梅田駅という名称になります。難波(なんば)は、大阪駅よりだいぶ南の方にある全く別の駅ですが、梅田駅は大阪駅と同じエリアに存在しています。ちなみに、地下鉄梅田駅もあります。

実は、出発側の三宮にも同じ状況が生じています。ポートライナー、阪神、阪急の駅は「三宮」です。一方、JRの方は「三ノ宮」と表記します。

梅田にしても三宮にしても、この名称の違いについては諸説あるようですが、とにかく「ヤフー路線」で調べる時にはきちんと入力しないと、おかしな結果が出てきてしまうので、ご注意ください。

ヤフー路線

今回は、東大阪に行くということで、ここからは近鉄電車に乗ることを想定して動くことになります(司馬遼太郎記念館には近鉄で行くしか手段がないんです…)から、新快速で大阪駅の方に出ることをお勧めします。

大阪駅 ⇒ 鶴橋駅 ⇒ 八戸ノ里駅 ⇒ 司馬記念館

どうしても阪急や阪神が良いと仰る方も、梅田駅から大阪駅に歩いて移動すれば良いだけなので、差し支えありません。ただし、大阪駅までは少し歩く必要があります。この道のりが結構難しく(迷いやすく)、事前に調べておいた方が良いかもしれません。便利な動画がアップされていたので、参考までにどうぞ。

さて、これで神戸空港から大阪駅までのアクセスは書き終わりました。

次章では、伊丹空港から大阪駅までのアクセスをちょろっと書き、あとは大阪駅から司馬記念館がある八戸ノ里駅までのアクセス方法について書きたいと思います。

 

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司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)をゆく(1)

「竜馬」と「坂の上」の原稿、見つかる

歴史小説好きな方ならどなたでも、司馬遼太郎の名前はご存知ですよね。

私が小学校の頃の80年代には、先生はまだ現役バリバリで、産経新聞に「風塵抄」というタイトルのコラムを連載しておられました。なので、私を含め、いまの40代(2017年現在)にとっては、司馬遼太郎はとってもリアルな存在です。

最近の若い人にとっても、司馬先生の歴史小説は大変人気があり、その証左としてほとんどの作品が今も書店に現役で並んでいます。

代表作の一つ「関ヶ原」も、2017年に岡田准一主演で映画化され、大変な話題となっています。また、これまで大河ドラマ化された作品を挙げても、

「竜馬がゆく」(1968)

「国盗り物語」(1973)

「花神」(1977)

「翔ぶが如く」(1990)

「徳川慶喜」(1996)

「功名が辻」(2006)

と、2017年現在で6作品もあり、さらに司馬先生の代表作「坂の上の雲」も2009年から2011年の足かけ3年にわたってNHKでドラマ化され、本木雅弘さん、阿部寛さん、香川照之さんのハマりまくった演技が話題になったのも記憶に新しいところです。

司馬先生の作品の凄いところは、歴史の瞬間瞬間を客観的に淡々と語っていくその筆致にあります。これは当たり前のようで、歴史小説というジャンルにおいては難しく、ひと世代前の吉川英治の作風とはかなり違います。吉川小説では情景描写に詩があり、人物の内面も純文学のように掘り下げられます。しかし、司馬先生は飄々と論評を加えたり脱線しながら、あくまで起きた事象を念入りに彫琢していくだけです。

これは、司馬さんが築き上げた唯一無二のスタイルと言えます。司馬遼太郎というペンネームが意味するとおり(本名は福田定一さんです。この名前には、司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者という意味が込められています)、先生の作品にはまるで「史記」の列伝を彷彿とさせるような、歴史の証言者たる客観性と、読み物としての比類なき面白さが両立しています。

著作権の問題もありますので引用は避けますが、例えば「竜馬がゆく」での竜馬の絶命のシーンなど、本来ならもっとドラマティックに、無念やら諦念やらいろいろな感情の交錯が織り交ぜられて書かれるところでしょうが、司馬さんが描くクライマックスは実に淡白です。文庫本で8巻という大長編の締め括りであるにもかかわらずです。それどころか、章のはじめに司馬先生がわざわざ、竜馬の最期は淡泊に書きますよ、と断りを入れているくらいなので、びっくりしてしまいます。

ただそう言いながらも、刺客が乱入してくる生々しい描写や臨場感、斬られる痛みなどはひしひしと伝わってきますから、やはり先生の筆力はすごかったと言わざるを得ません。

そうした小説としての独自性、面白さが今も幅広い層に支持されている理由かと思われます。

ところで、私はいま「竜馬がゆく」について書きましたが、その生原稿というのは、長らくこの世に存在しないと言われていました。

「そんな馬鹿な!」と仰る方もいるでしょう。しかし、この「竜馬がゆく」というのは、昭和30年代に新聞で連載された作品です。そこにこの話のミソがあります。

今日でこそWordや一太郎があり、メールがあり、全国各地に新聞ネットワークや印刷所が広がっていますが、当時はそこまでの技術的広がりはありません。東京にドーンと大きな新聞社があって、そこに作家の自宅から原稿が届き、校正・編集・ゲラ刷りから印刷に至るまで全て社内で行われる、そんな時代でした。

そして作家は原稿用紙に手書き。短い時間の間、ギリギリまで何度もペンで校正を入れていきます。それでも、隣にじっと張り付いた編集者があーだこーだ直してきますから、時には喧嘩も辞さない殺伐とした空気になったようです。

そうやって苦労して出来上がった原稿は、青やら赤やら修正が乱れ飛び、容易に読めるものではなくなります。さらに原稿は運ばれた先の社内で何度も校正を受け、手荒く次の現場へ投げ込まれ、最後は裁断される場合もあるそうで、まあ簡単に言うと原型をとどめなくなってしまいます。ですから最悪、活字化されたあとは行方不明になることも珍しくなかったとのこと。

これが、「竜馬がゆく」の原稿が実在しないという説の根拠です。実際、連載後半世紀経っても、原稿は世に出てきませんでした。

それが今回、出てきたのです。関係者は驚天動地。新聞でも大いに話題になりました。

出てきたのは、上で書いた「竜馬がゆく」のクライマックス部分だけでなく、「坂の上の雲」の有名な書き出し、「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている」で始まる章まで発見されたのです! 何と言うことでしょう!

しかも今回、東大阪市にある司馬遼太郎記念館にそれら原稿が展示されるとのこと。発見を記念して館長さんによる記念講演も行われるようです。これは行かねばなりますまい(笑)。

私はいつものようにネットで大阪行きの旅券をリサーチするのでした(笑)。

司馬遼太郎記念館 ホームページより

 

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ジャン・コクトー「恐るべき子供たち」

恐るべき子供たち

この本の作者 ジャン・コクトー

中条省平、中条 志穂:訳

この本の成立年 1929年 発表
この本の巻数 1巻
入手のしやすさ ★★★★★
未成年推奨 ★★★★☆
総合感銘度 ★★★★★

映画ファンなら見て頂きたい傑作「オルフェ」

ジャン・コクトー(1889年 – 1963年)は、20世紀のフランスが生んだ大芸術家です。彼は、あらゆる文化のジャンルで偉業を残し、詩人、小説家、劇作家としては超一級、絵画や映画においても、斬新なアイディアで後世に大きな影響を与えました。

 

こういう感じのイラストって、現代の日本でも良く見ますよね。上はコクトーの絵なのですが、彼独特の感性が色濃く反映され、当時としてはかなり斬新な印象を与える絵であったと思います。

 

上の写真はコクトー自身ですが、ちょっとグロテスクな感じがしますね。

でもコクトーは、このような退廃的で超常的な世界観を好んで写真や映画に採り込みました。

その最高の結実は、私の主観ですが、彼の傑作映画「オルフェ」だと思います。

この作品は、言うまでもなくギリシャ神話の「オルフェウスとエウリュディケ」を題材にしています。しかし、神話と違って、主人公が愛していたのは冥界の王女のほう。この話でも妻は事故で死にますが、追いかけてきたはずの主人公オルフェは、やはり美貌の王女のことばかり考えます。
これではいけないと思った王女がとった行動とは…..。

主人公オルフェを演じるのは、ギリシャ彫刻のような風貌でコクトーから偏愛された名優ジャン・マレー。そして王女役は、絶世の美女マリア・カザレス。

最近は絶世の美女という言葉が安売りされていますが(^^;、上のジャケットのようにカザレスはほんとうにカッコ良くて芯が通って、気高くて、それはもう本当に段違いの美人です。何だか恋をしてしまいそうなくらい笑。

それにしても、この映画の挑戦的な様々な実験。光と影のコントラスト。フランス語の絶妙の美しさを活かしたセリフ回し。どれをとっても稀代の芸術家・コクトーにしかできない芸当で、改めてフランスの芸術水準の高さ、底力のようなものを見せつけられる気がしますね。

古い映画ですから、動画サイトなどに全編アップロードされており、皆さまにもぜひ一度は見て頂きたいと思います。

 

コクトーの代表作「恐るべき子供たち」

そんな才人・コクトーの小説の代表作と言いますと、「恐るべき子供たち」です。

これは非常に意味深な小説で、孤児になった姉弟の近親相姦的愛情、主人公ポールとサイコパスのような学友ダルジュロスとの間の支配的構図、運命により強固に築かれてしまった子供たちの密室。そのすべてが糸が絡み合うように関わり合い、やがて主人公たちを壮烈な悲劇的終末へと導いていきます。

話は、謎の美少年ダルジュロスの危険な雪玉の一投で始まり、彼がポールに送り付けた毒薬によって終わります。

途中、ダルジュロスは姿を消し、代わりにポールを翻弄するダルジュロス似の美少女、アガートが登場。

ポール、エリーザベト、アガート、ジェラール。4人の子供たちの不可侵の王国で繰り広げられる同居生活。幸福であり、いびつであり、悲劇であり。そして、それらすべてを掌で転がしていたのは永遠の少女エリーザベトであったはずが、実は裁きの神はダルジュロスであり、彼によってすべてのピリオドが打たれる、という結末。

少年少女という、大変感性が鋭くて、純粋で、我儘な者たちの危うさ。それを詩人コクトーが妖しく耽美的、かつ氷のようなクールさを交えた美文で表現しています。いやはや、大変な傑作です。

さて、この本を読むには、2種類の翻訳が入手しやすいです。

岩波版は、鈴木力衛先生の翻訳です。鈴木先生は、モリエールとかデュマ作品の翻訳で大変有名な方で、私も氏の「守銭奴」やら「ダルタニヤン物語」の訳本に随分お世話になりました。

ここでの翻訳も読みやすく、かつ格調が高いのですが、やはり若干の古めかしさは否めません。でも、これぞフランス文学という空気感が好きな方には、鈴木訳こそベストの翻訳ではないでしょうか。

 

続いては新しい翻訳です。私が推薦するのもこの翻訳です。

両中条さんによる新鮮な翻訳は、コクトーの詩的な文体の美しさを一層際立たせています。セリフも現代の我々が日常で用いる話し方そのものであり、かつポールとジュラ―ルの純粋な少年らしさもにじみ出ていて、とても良い訳です。

この作品を手始めに、より多くのコクトー作品、小説や詩だけではなく、映画などにもチャレンジ頂ければ幸いです。

あ、それから、コクトーの生声を収録した大変貴重で面白いディスクがあります。

クラシック音楽ですが、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」という音楽劇のCDです。この収録で、コクトーは語り部として美しいフランス語を巧みに操り、雄弁な語りを披露しています。音楽も20世紀指折りの傑作ですので、ぜひお聴きになられてください。

 

 

 

 

岩波文庫を楽しもう!

本好きには安心のブランド、岩波

岩波書店は、1913年に創業した、日本の老舗出版社です。

夏目漱石の「こころ」を刊行するなど、大正・昭和の出版文化をリードする形で君臨してきた同社ですが、中でも膨大な量にのぼる岩波文庫は、学生たちの知の拠り所として長年、重宝に扱われてきました。

さらに、岩波の名を一躍有名にしたのがもうひとつ。

そう、「広辞苑」です。昭和30年の初版以来、20万語を遙かに超える膨大な語句を掲載し、幅広い層に愛用、支持されてきました。

 

他にも、日本の多くの優秀な理系の皆さんが愛用したかもしれない「岩波数学辞典」。

 

「折々のうた」、「日本人の英語」、「数学入門」など数々の名著を世に送り出した岩波新書。

 

子供たちに大人気、「モモ」、「ゲド戦記」、「ナルニア国ものがたり」を擁する岩波少年文庫。

 

私たち読書大好き人間にとって、岩波書店はまさに人生の瞬間瞬間で多くの恩恵を与えてくれました。文学だけでなく、歴史、法律、哲学、自然科学、宗教、ときわめて広範囲の書物をカバーし、まさに「知識と知恵の海」に読書人たちを誘ってくれたのです。

この稿ではそんな岩波文庫のうち、面白いというより難解、読みごたえがあると私が感じた作品を3つ紹介します。夏休みですので、学生さんとかこのブログをお読みでしたら、ぜひチャレンジしてみてください。

 

①春秋左氏伝

司馬遷が「史記」を著すより遥か遥か昔。あの孔子が、魯の史官の遺した記録に加筆し、さらに己の思想を投影して「春秋」という歴史書を書き上げました(伝説。異論多々あり)。「春秋左氏伝」はその「春秋」の注釈書です。

中国では古くから歴史書や経書の注釈書が作られ、それらは時に原典以上の評価を得ることもありました。陳寿の「三国志」に付けた裴松之の注なんてとても有名ですよね。

「春秋左氏伝」は、孔子と同時代の左丘明という人が書いたと伝わっており、魯の隠公元年(紀元前722年)~哀公27年(紀元前468年)までの約250年間の、魯を中心とした古代中国の動向が記されています。茫洋とした春秋時代の風景を今日に伝える第一級の史料であり、また「左氏伝」を読むことが長い間、知識人のステータスとなっていたほどです。

 

②トーマス・マン  関 泰祐、関 楠生 :訳 「ファウスト博士」

これは、岩波が難しいというより、トーマス・マンの作品がそもそも難しいと言った方が良いでしょう。

トーマス・マンの作品は常に脱線が多く、その脱線の内容も思索的、かつ高度なツイートです。この「ファウスト博士」における脱線も、非常にマニアックな音楽の知識に基づいており、クラシック音楽にアレルギーがある方にはちょっときつい作品かもしれません。

主たる内容も、架空の作曲家アドリアン・レーヴェルキューンが、娼婦からの病毒感染という「悪魔との契約」と引き換えに、非凡な霊感で作曲活動をおこなう、というもの。ラストでは、主人公の精神が崩壊します。愛する女性の大いなる愛によって救済されるゲーテの「ファウスト」とは、展開的には相似していても、まるで異なる結末を迎える作品です。

二つの大戦によって危機を経験したドイツの危うい雰囲気、そして彼らの精神の真実を垣間見れる傑作と言えます。

 

③唐詩概説 小川環樹

著者は有名な中国文学者。

地質学者・小川琢治を父に持ち、長兄は小川芳樹(金属工学・冶金学)、次兄は貝塚茂樹(東洋史学者。この方の世界史テキストで学ばれた中高年の方は多いはず)。そして三兄は日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹、というすさまじい学者一家の四男です。

小川さん自身も、岩波書店から「史記列伝」やら「三国志」のすぐれた翻訳を出しており、中国文学に詳しい方なら誰でもご存知のお名前かと思います。

この「唐詩概説」は、古代中国の王朝・唐で百花繚乱、様々な詩人たちによって創られた「詩」について、かなりアカデミックに論述されたものです。

七言絶句とか五言古詩とか、漢詩には様々な形態があり、そこに韻とか助字とかかなり込み入った技巧が入ってきます。それらを小川先生がかなり踏み込んで解説しているので、漢詩の初心者でなくても結構難しいです。

それだけに読みごたえは十分ではないか、と思います。

 

以上、3作品を紹介いたしましたが、これらはまだ序の口で、経済や哲学の帯の本にはまだまだ奥の院のような難解な作品がたくさんあります。今後、順を追って紹介して参りたいと思います。

 

アーチャー 「ケインとアベル」

ケインとアベル

この本の作者 ジェフリー・アーチャー

永井 淳(訳)

この本の成立年 1979年 発表
この本の巻数 2巻
入手のしやすさ ★★★☆☆
未成年推奨 ★★★☆☆
総合感銘度 ★★★★☆

旧約聖書に擬えた兄弟の運命の物語

旧約聖書『創世記』第4章に、とある兄弟のエピソードが語られています。

兄の名はカイン、弟の名はアベル。

聖書の上での話ですが、カインは人類最初の殺人者、嘘を吐いた者とされます。

で、どんなエピソードかと申しますと、

兄カインは農耕を行い、アベルは羊を放牧して暮らしていた。
ある日、2人はそれぞれの収穫物をヤハウェに捧げようとした。カインは農作物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物にのみ目を留め、カインの供物は無視する。これに怒ったカインは、野原にアベルを誘い出して殺す(人類最初の殺人)。その後、ヤハウェはカインにアベルはどこへ行ったか尋ねるが、カインは知らないと答える(人類最初の嘘)。ヤハウェはカインの悪行を見抜いてこれを罰し、エデンの東にあるノドに彼を追放する。

大変有名なお話です。

エデンの東という象徴的な地名は、そのままジェームス・ディーン主演の映画のタイトルになりましたし、その映画の原作は、アメリカの文豪・ジョン・スタインベックの長編作品です。

さらに、カインとアベルの兄弟相克の関係をそのまま現代社会に置き換え、一編のスリリングな小説に仕立てた人に、イギリスの作家・ジェフリー・アーチャーがいます。

アーチャーは、政治家としてイギリスでは大変有名ですし、また作家として1980年代にヒット作を連発しました。21世紀になって、また創作意欲が盛んになり、新刊本の棚を賑わせたりしています。

私もアーチャーの大ファンで、彼の本はたいてい読んできました。

どの作品も、とにかく展開がスリリングで、かつ心理描写が巧みです。プロットも斬新なパターンが多く、今回取り上げる「ケインとアベル」は、2人のまるで違う人生模様がリアルタイムに別々に進行し、それがラストに向かって融合していくという、実力派ならではの書法です。

20世紀初頭、ポーランドとアメリカに2人の男子が誕生します。
ポーランドに生まれた方のヴワデグは、本当に悲惨な生い立ち。捨て子だったところを貧しい罠猟師に拾われ、育てられます。それでも彼は学業優秀で、やがて友人のレオン(貴族・ロスノフスキ男爵の子、実は腹違いの兄弟)の学友として彼の城で教育を受けます。
一方、アメリカに生まれた方のウィリアムは、大銀行家の御曹司、すなわち生まれながらのエリートでありました。

やがて、第一次世界大戦とポーランド・ソ連戦争が勃発し、ブワデグは最愛のロスノフスキ男爵、レオン、その姉フロレンティナを失ってしまいます。彼自身もソ連の強制収容所送りになりますが、何とか脱走。アメリカに逃れ、その後、ホテルチェーン経営者の信頼を得て、彼の下で頭角を現していきます。
その頃、ウィリアム・ケインの方も、タイタニック号事故で父親を失うなど不幸に見舞われますが、持ち前の能力により、アメリカでも有数の銀行の頭取にのし上がります。
ホテル界の雄と金融界の大エリート。
このふたりの出会いと壮絶な戦い、そしてお互いの子供たちを巻き込んだ渦のような人間絵巻が、アーチャーの見事な筆致によって描かれていきます。

80年代当時、この作品はものすごいヒットとなって、テレビドラマ化までされました。それがまた面白くて、テレビにかじりついたのを思い出します。

その頃のワクワクを思い出して、久しぶりに読み返そうと思ったところです。

その前にブログにしたためてみました。

文京区立森鴎外記念館(東京台文京区)訪問記(3)

☆文京区立森鴎外記念館(東京台文京区)訪問記(1)
★文京区立森鴎外記念館(東京台文京区)訪問記(2)

昭和まで記憶に刻まれた「森のおじいさん」

千駄木駅を降りて団子坂。その先にある文京区立森鴎外記念館。

残念ながら、内部は完全撮影禁止なので、お見せできないのが大変残念ですが、広い館内をいっぱい使って、鴎外の生涯を非常に丁寧に解説しています。

 

幼少~青年期の鴎外

記念館は、まず幼少~青年期の鴎外、そう、彼が生まれた島根県津和野町時代→第一大学区医学校(現・東京大学医学部)までを振り返る史料から始まります。

幼い頃から英才教育を施され、類まれな俊英として認められていた鴎外が20歳を前に、私生活上のトラブルや、実質飛び級というハンディのため、研究者と海外留学という大きな目標を前に挫折したこと。逆にそれが契機となり、彼が陸軍医としての人生を歩み始めたこと。このあたりは、「人生」の面白さを感じさせますね。

そして、鴎外という人は大変周囲の人に恵まれていたのだなあ、と思います。挫折してぶらぶらしていた鴎外の陸軍省入りを友人たちが手引きしてくれたり、はたまた念願のドイツ留学が叶って、まだ明治と西洋との接点も薄い時期に、現地の人々から温かく歓迎されたり。鴎外のものすごい才能と社交性があってのものでしょうが、こうした「縁」の力は大きいと思います。

このゾーンの展示は、ウイキペディアなどからは辿れない若き鴎外の苦悩や、そんな彼を支える周囲の存在がクローズアップされていて、とても面白かったです。

 

文豪鴎外の誕生、そして晩年へ

青年期のゾーンをL字に曲がると、そこからは鴎外が成功への階段を駆け上がった時期の資料が展示してあります。

鴎外は帰国して軍医としてのキャリアを高めると同時に、当代随一の文学者としての道を歩み始めます。鴎外はこの頃から様々な芸術作品や自然科学に触れ、一個人として並々ならぬ教養を蓄えていきます。彼の優れた小説の底流には、こうした文化的素養の深さが作用しているのかもしれません。

最初の結婚と長男の誕生、短期間での離婚。その後だいぶ経って若い奥さんと再婚するなど、プライヴェートではずいぶん慌ただしい時期を過ごします。でも、色欲に溺れるような性質とはまるで正反対であったようで、彼は子供たちを心から愛し、厳格だが愛情に満ちた父親として家庭内ではたいへん尊敬されます。

それにしても、展示資料を見ていると、鴎外は生涯にたくさんの書簡を遺したことが分かります。まあ現代の我々だって、メールやらLINEやらインスタグラムなどを使って、数えきれないやりとりをしているので、書くこと大好き、交友関係いっぱいの鴎外がこれだけ多くの書簡を遺していたって不思議ではないのですが、まあ大変な分量です。

そして展示ゾーンの最後、「あっ、これが文豪・森鴎外の御顔なのか」と思わず熱いものがこみ上げてくるような、鴎外のデスマスクが目の前に現れます。

良き家庭人となり、陸軍医を立派に勤め上げ、余暇は存分に自分の書きたい「文学作品」の創作に打ち込み、周囲の畏敬を集めた鴎外。迎えた最晩年、1862年の出来事がそこに詳細に綴られていました。

鴎外は亡くなる直前、眼の中に入れても痛くない娘の茉莉をヨーロッパ旅行に送り出します。茉莉さん(1903年-1987年)は、まさかこれが父との今生の別れになるとは思ってもみなかったようで、父親への愛情が深かった彼女は生涯、この時の呆気ない別れを悔やんでいたことが作品から窺えます。

娘を見送った鴎外、ふっと肩の荷が下りたようになり、持病であった腎臓の不調が悪化します。そして、そのまま死の床に着きました。彼は生涯を通しての親友・賀古鶴所に遺言の筆を執らせます。

 

森鷗外の遺言

余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ
一切秘密無ク交際シタル友ハ
賀古鶴所君ナリ コヽニ死ニ
臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス
死ハ一切ヲ打チ切ル重大事
件ナリ 奈何ナル官憲威力ト
雖 此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス
余ハ石見人 森 林太郎トシテ
死セント欲ス 宮内省陸軍皆
縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間
アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス
森 林太郎トシテ死セントス
墓ハ 森 林太郎墓ノ外一
字モホル可ラス 書ハ中村不折ニ
依託シ宮内省陸軍ノ榮典
ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ 手續ハ
ソレゾレアルベシ コレ唯一ノ友人ニ云
ヒ殘スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許
サス  大正十一年七月六日
森 林太郎 言(拇印)
賀古 鶴所 書

森 林太郎
男     於莵

友人
総代   賀古鶴所
以上

森鴎外、死去。60歳の短くもやるべきことをやり尽くした生涯でした。

 

森のおじいさん

全ての展示を見終わって出口の方へ進むと、休憩スペースを兼ねた視聴覚室が見えました。

こんなことを言うのもなんですが、いつもならこのようなお部屋はスルーしてしまうのですが、ちょっと見学に疲れていた私は、椅子を求めて部屋の中に入り、ビデオに目を遣りました。

映像は、文京区の会報を作っているというご婦人に対してのインタビューでした。彼女は結構長い間、会報誌の編集に携わっていたという人で、駆け出しの時期は昭和にまで遡ることを匂わせていました。

昭和というと、鴎外のご子息も存命だったくらいですから、当時の文京区内には鴎外を見たことがあるという老人が、それこそゴロゴロいたそうです。鴎外は千駄木のお屋敷に住む「森のおじいさん」として、近所の人たちから親しまれていたらしく、そのことが時を経て彼女の口から我々に伝えられるのは、実に感慨深い気がしました。

今となっては鴎外の姿は写真でしか拝めませんが、この文豪の思想、格調高い言葉遣いはこの先何年経とうとも、その作品を通して、受け取ることができるのです。

森鴎外60年の生涯を刻んだ鴎外記念館、ぜひお越しください。

http://moriogai-kinenkan.jp/

 

文京区立森鴎外記念館(東京台文京区)訪問記(2)

◁(前の記事)文京区立森鴎外記念館(東京台文京区)訪問記(1)

「D坂」にある森鴎外記念館

いつものように、鴎外記念館までのルートを辿ってみましょう。

記念館があるのは東京ですから、北海道や関西以西など遠方から行かれる方は空路、羽田空港を目指してください。

このブログでは、旅費はなるべく抑えることを主張しております(笑)。下記のサイトにアクセスして検索すれば、かなりお得なチケットが見つかりますし、スカイマークが就航する空港近辺にお住まいの方なら、スカイパック・ツアーズを利用するのが吉です。

 

羽田空港に着きましたね。続いて、鉄道での移動をシミュレーションしていきます。

そうしますと、ここからの行程について、皆さんはヤフー路線をご活用になられることでしょう。

https://transit.yahoo.co.jp/

ここで羽田空港→(記念館のある)千駄木と入力すると、非常にわかりにくい候補ルートがいっぱい出てきてしまいます。この時点でお手上げになりますし、妙な自信で進んじゃいますと、間違いなく迷子になります。現に私がなりましたから(笑)(;´д`)トホホ

というわけで、あくまで私の提案ですが、一番安全な次のルートをお教えします。

①東京モノレールに乗りましょう。

②終点・浜松町から山手線/東京・上野方面に乗り換え、西日暮里駅を目指します。

(新幹線や在来線で東京駅に着いた方は、ここから先、同じ説明になります)

③西日暮里駅からは、地下鉄に乗り換え。東京メトロ千代田線急行・唐木田行に乗り、千駄木という駅を目指します。

④鴎外記念館のある千駄木駅に着きます!

千駄木駅に着きましたら、表示などをたよりに、1番出口「団子坂方面」と書いてある出口に向かってください。そこを出ますと、下のような光景が広がるはずです。

 

お店なども多く、賑やかな駅前です。何だかついつい目の前の横断歩道を渡ってしまいそうですが、そうではなくて左手の急な坂道、いわゆる団子坂を登ってください(途中、東京三菱UFJ銀行が現れればOKです)。

団子坂は、江戸川乱歩の初期の傑作、そして名探偵・明智小五郎が初登場する「D坂の殺人事件」でも描かれた有名な地名です。森鴎外や夏目漱石、二葉亭四迷もこの団子坂を小説の中に登場させています。

実際歩いてみると、かなりきつい坂道でした。渋谷の名曲喫茶・ライオンのある道玄坂も急勾配でしたが、ここもなかなかなもんです。

あとはひたすら真っ直ぐ登るだけです。鴎外記念館の案内板も途中出てきますので、変に脇道を疑ったりせず、直進してください。

そうしますと、周りに比べて非常に目立つ、ステンレス製(?)のメタリックな看板が石壁の前に据えられた特異な建物にぶち当たります。そう、ここが鴎外記念館です。

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